第八十七話「スピカの手紙」〜健司視点〜
「……殺せよ」
もう、お互い魔力も残っていない。だが……この状況なら彼女の命を刈りとることはたやすい。
「……主人公は唯一、神を殺すことができる……神の断りに縛られず、全ての可能性を持つ者……そうだったな」
「……今となっては唯一じゃねーけどな……タクミくんが覚醒した以上……神殺しは二人だ」
「気付いていたのか?」
目を閉じ、自嘲気味に笑った。
「アタシの能力読取ならそのくらいわかるさ……。安心しろよ……あの最古の神には何も言ってねぇ……一応な」
「ああ、そのおかげで最初の神をだませた……」
「だな……さ、もういいだろ? 殺せよ」
僕は、そっと、ソード・ツェーンを引き抜いた。
「……は?」
そのあとは……一切の傷口が残っていなかった。少し破れた服の先に白い肌がちらっと見えるだけだ。
「最初っから僕は、君を殺すつもりはない」
……ペルさんから貰ってた傷薬をツェーンの刃にあらかじめ塗っておいたのだ。
まあ傷薬って言っても内容は全回復薬……込められた魔法で対象の怪我や体力をほぼ全回復させるといったデタラメ効能だ。
「……っふざけんなテメェ!! アタシは敵だっ!! テメェに……スサノオなんかに施しを受けたくなんぞねぇよ!!!」
掴みかかった彼女の手は震えていた。
「なんとか言えよおいっ!! なぜこんな事すんだよっ!!! なぜっ!!??」
その手をそっと握り、彼女の目の奥を見つめる。
「……君の誤解を解くためだ」
「ご……誤解?」
僕は、自分の奥底にある記憶を呼び覚ますように静かに目を閉じる。
「……あの日、カインの許嫁であったスピカが俺の元に来たのは……君のためでもあるんだ」
「ど……どういう事だよ……」
確かに、賢者スピカはカインを裏切り、彼の元を去った。
だが、そもそもそのきっかけとなったのはフレイア……つまりレイス=シュレッケンだ。
スピカはレイスが密かにカインに恋心を寄せていたことに気付いていた。
だが、彼女がカインへの思いを伝えられずにずっと苦しんでいた。
それはスピカもまた一緒だった。僕にとっては嬉しかったり寂しかったりだが、彼女もまた、スサノオへの思いを遂げられずにいた。
だから……彼女はレイスに置き手紙を残し、城を去った。
「置き……手紙…………?」
「ああ……その様子だと、読んでないんだな」
「あ……アタシは、怒りでそんなもの読む気にもなれなくて……それで…………破り捨てた」
……あるいは、そういう運命に書き換わった……ゼクスにとっては、そっちの方が後々レイスを操りやすくなるからな。
実際にレイス……フレイアは今ゼクスに加担しているわけだしな。
「確か、連王アーノルドはお前の従兄弟に当たる存在……だったな」
「ああ……」
だったら、接触する機会はいくらでもあっただろう。その時に……何かしらの形で運命を書き換えた……のか?
「そ……その手紙にはなんて書いてたんだ?」
「……僕も、スピカから話を聞いただけだ。……だけど、僕が知る限りだと––––––––」
––––––––私の親愛なる友、レイスへ。
突然王城を抜け出すご無礼をお許しください。
だけど、これは私達二人にとってとても大切なことだと思い……私はここを去ります。
あなたが真に愛する者……そして、私が真に愛する者。その想いを否定する王族の取り決めなんて、私は絶対間違っていると思うのです。
民の思いに答えるのが王ならば、このような誰を好きになるべきかを決めるルールなんて間違っています。
カインもまた、あなたを愛しています。ならば結ばれるべきは私ではない。
私が去ったあと、カインは深く傷つくでしょう……一応私の方からも手紙は渡しました。
「あなたを愛する人は、すぐ近くにいるはずです」っと…………。
だから……あなたは自分の気持ちに素直になっていいのですよ––––––––。
「……おそらくカインもまた、読まずに手紙を破り捨てたのだろう……でなければ、そもそもこんなことにはなっていない」
そうやって、運命を書き換えた。……元々カインは悪役としてデザインされたキャラクターだったから、もしかしたら、書き換えるまでもなくそういう運命だったのかもしれないがな……。
「……はは。なんつーオチだっての…………結局、アタシの勘違いかよ…………」
「……フレイア」
「アタシ……裏切られたって……せっかく諦めてたのに……カインを悲しませた上に捨てたあの女への怒りで……だけどそれが勘違いって…………」
「いや、フレイアは悪くない。……そもそも、スピカの性格なら本来フレイアとカインにきちんと話を通してから王城を離れる筈だ。絶対置き手紙で終わらせるわけがない」
そう……今にしてみればおかしいのだ。さっき運命の書き換えと考えていたら、ようやく僕は気がついた。
別に置き手紙にしなくても、二人にきちんと話を通す時間くらいできた筈だ。
もちろん、あの日スピカが言う通り恥ずかしくなったから置き手紙にしたというのが、運命に左右されていない可能性も否定できないが……だが、これで強い憎しみが生まれた。
これは、ストーリーの根幹なのだ。悪役がヒロインに恨みを持ち、執着させるための根拠なんだから。
だから、スピカは置き手紙をしてしまった。今となってはそう考える方が自然に見えてくる。
これが……最初の神の能力なのか? ……いや、これは神の能力というよりむしろ…………。
「……そうかっ! 運命のルール自体はゲームに準じてるんだ! ……別に特殊能力なんて使わなくても、プレイヤーなら運命を操る力が最初っから備わってるじゃないか」
「えっ?」
「選択肢だよっ! それで最初の神はこの世界の運命を操ってたんだ」
この世界のシナリオライターがあくまで創造神……つまりアトゥムだとすると、プレイヤーにできることは、大元のストーリーに添いつつも、破滅の運命を目指す……つまり自分からバットエンドを目指して選択肢を選んで進めばいい。
アトゥムは一本のストーリーで作っていたと思ってたんだろうが、現実には運命に歯向かわない部分では微量に可能性が残ってる。拓海や拓海の弟子もそうやって死を回避した。
だったら全ての可能性が解放された主人公であれば周りの可能性を反響させるように操作し、本来存在しなかったバットエンドを作り出す事も可能なんだ。
ありえる可能性をバットエンドの方へ選んで操る……そうすることで、世界を破滅へと書き換えていった。
つまり……この世界を破滅に追いやったのは、間違いなくスサノオ……そして、そのパーティメンバーなんだ。
そして……ゼクスはそうやって世界で遊んでいた。
本来プレイヤーはハッピーエンドに向けてゲームをプレイするものだ。
だが……最初の神は全ての世界を、バットエンドにするためにゲームをプレイしている。
……だから、拓海なのか。
確かに、僕の持つ可能性は神を穿つに足るのかもしれない。
だが……それでは救えない。なぜならハッピーエンドを目指すはずの神が、そもそもバットエンドを目指してるのだから、そのプレイヤーの本来身代わりとなる主人公にはこの世界は救えない。
救える方法は……この世界のバットエンドが破滅ではなく、平和な世界にすり替えること以外にない。
少なくとも僕ではその答えにたどり着けなかった……だから世界を救えるのは、拓海しかいない。もしあそこで僕が勝って、拓海が負けてたら……そこで破滅は確定してしまっていた。
「……アンタに一つ聞きたい。最初の神にタクミくんは勝てるのか?」
「……それはまだわからない……だけど、あいつが覚醒した理由……それはなんとなくわかる」
「え?」
僕は、息を呑んでその真実を伝える。
「……あいつは、攻略不可能キャラクターへとシフトし……敵性キャラクターではシステム上おかしくなってしまった……一言で言えば、彼は……人間では倒せないほどの力を手にした」
「た……確かにタクミくんは強い……だけど、攻略不可能とまでは言えねーんじゃねーか?」
「現実世界で僕がやられた最後の技……あの技は、少なくとも僕には攻略不可能だ。僕の剣は雷撃の速さ。回避どころか、視認は不可能。……その筈だったんだ」
簡単に言えば、回避率、命中率問わずの必中にして、一撃必殺級の技……それが、豪雷閃。当然あいつは避けることができなかった。
「だが、拓海は全ての可能性を捻じ曲げた……その技の正体は––––––––––」
僕は念のため、彼女の耳に手を当ててこっそりと教えた。
「なっ……んだよそれ…………」
彼女のまた、その力に驚愕していた。
相手の技を見切るとか、そういった次元ではない。
本当に何をしようが、意味がない……技を発動させる前にこっちが切ればいい……それすらも意味がない。
本当の意味で何をしようが攻略不能な最強の技が、人間の神経伝達速度すら超えて放たれる。
「当然、それすらも最初の神は凌駕するかもしれない……だが、僕はこの拓海の力に賭けたい。だから君も、彼に賭けてほしい……これからは君は、彼を守るんじゃない。彼を信じてほしい」
すると、フレイア頰に大粒の雫が溢れ出る。
「……怖かったんだ……何度も怖い思いをしたんだ」
「フレイア……」
「アタシが何度あいつの死の瞬間を見てきたと思う? ……どれだけ怖かったと思う?」
……最初は自らも犠牲にして時間を遡った。あの瞬間彼女にとっては彼は死んだも同然だっただろう。
そして、二度目はスピカを追いかけて死んだ。その近くにはフレイアもいたというし、さらに辛かっただろう。
そして……拓海が死んだ交通事故。
「……女神っつーのは便利なようで不便でよ……あいつの不幸すぎる死を全てっ……見ることができちまうんだ……だからっ、今度はアタシが守らなくっちゃって……思った」
フレイアが顔をあげ、僕のことを見つめた。……いつも強気だったフレイア……そして東城佳奈美はそこにはいない。
本当は怖くて……必死に自分を強がらせていた仮面の下には、ただ一人の男を想い、愛し、大粒の涙を流し続けた儚げな少女がいた。
「もう……信じてもいいんだよな……もう……怖くなくていいんだよな…………」
「……ああ、ここから先は拓海に任せよう……そのために僕はここに来たんだ」
女神であることを忘れ……ただの少女に戻って泣きわめく一途な彼女の頭を、僕は何度も撫で続けた––––––––。




