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剣の見えない敵

「ちょっ!?ちょわわー!?」

「待って待って!キョウシちゃん、俺!俺だって!」


 穴の中へ駆け込むと、そこには小さなランプを手にしたキョウシちゃんが剣を振り上げて立っていた。それはよりにもよって俺の剣だ、そんな物で襲い掛かられてはたまったものではない。

 だが驚いたのは俺の方だけではなかったらしい。キョウシちゃんの振り上げた剣は、俺に向けるというより怖さで自分の顔を隠そうとしただけのようにも見える。

 どちらにしろ俺はまだ生きているらしい、キョウシちゃんが本気で襲い掛かってきたら俺なんて一瞬で真っ二つになっているはず。だってこの子は恐らく、どんな化け物よりも強い。最強ならぬ最怖だ。

 そんなキョウシちゃんがため息のように口を開く。


「救世主さま……?ああ、びっくりしたー」

「こっちもだよ……。あ、そんな事より」

「もう!どうして私のランプ持って行くのよ!こんな小さなランプだと暗くて怖いじゃない、早く返して!……って、なんで救世主さまが妹を抱いて……。ん?なんで?」

「だ、だから!それどころじゃなくて!」


 ランプを勝手に持って来たのは確かに悪かったし、いきなり自分の妹が男にお姫様抱っこされているのを見れば色々疑問に思う事はあるだろう。が、今はそれどころではない。一応、俺は追われているのだ。そして敵らしき奴はすぐ背後に迫っているはず。

 ここはどうするべきだろう。このままキョウシちゃんも連れて一緒に逃げるべきか、それともやはり二人で迎え撃つか。しかし、こんな状態のジョーシさんを置いて戦う事にためらいを覚えたし。そもそもどうしてこんな事になったのか、その原因が分からないままキョウシちゃんも巻き込むのは危険なようにも感じた。

 そんな事を考えていると、キョウシちゃんに炎のランプをひったくられてしまう。


「やっぱりこれでないとねっ。あー、明るい明るい。これで何も怖くないわ、……わ?」

「……わ?」


 嫌な予感がした、キョウシちゃんは俺の背後を見たまま口を開いて固まっている。その口の形は丸く開いた”わ”の形。そして良く見ると微かに震えているようだ。キョウシちゃんの持っていた小さなランプが地面に落ちて転がっている、恐らくジョーシさんに渡そうとして落としたのだろう。

 キョウシちゃんの視線の先、俺たちの背後。きっとそこには居るのだろう、泣きじゃくるオヤジか、もしくはそれ以上のやばいものが。


「キョウシちゃん、逃げよう!」

「……わ、……わ。ちょ、わっ!?」


 先手必勝、俺はジョーシさんを更に抱き上げて体に密着させると、空いた片手でキョウシちゃんの腕を取って走り出した。

 先に言っておく、これは不可抗力だ。俺の両手は塞がっていた、よってその状態からキョウシちゃんをつかんで先に行くにはこの方法しかなかったのだ。

 そんな俺の言い訳が通じる訳もなく、ジョーシさんが体を揺すって抗議を始める。体勢が変わった事が気に入らないのだろう。しかし、それは逆効果だ……。この密着感は色々やばい。動く度に女体の女体が動いて弾んで反動して、俺は荒い呼吸でジョーシさんの匂いを鼻一杯に嗅ぐと、天国かどこかに登りつめるようだった。

 そんな必死の逃走劇にも関わらず、隣から妙に冷静な声が響く。


「救世主さま?いつの間にうちの妹とそんなに親密な関係になったのかしら」


 俺のニヤついていた顔が一気に冷める、天国から地獄への垂直落下。背後から来るものより横の人の方が怖い、ここはちゃんと言い訳しておくべきだろう。いや、弁解しておくべきだろう。


「違うんだよキョウシちゃん!これは君を引っ張って行く為に仕方なくだな」

「ならさっさと放せばいいじゃない!」


 そう言うとキョウシちゃんは俺の手を素早く振りほどく。なんだろうこの感じ、悲しい……。でもまぁ、これでジョーシさんと密着している理由はなくなったのだ。なら直ぐに両手でジョーシさんを支えてお姫様だっこの体勢に戻るべきだ。戻るべきだがその前に、もう一度思い切りジョーシさんの匂いを鼻から吸引するとクラクラする頭で元の体勢に戻った。頭の中がお花畑だ~。


「で、救世主さま。どうして妹を抱っこしているのか、説明して貰えるかしら?」

「そ、それは……」


 どうやらまだ恐怖は過ぎ去っていないようだった。だがどうだろう、横の恐怖もあるけど、片付けるならまず背後からじゃないか?説明は落ち着いてからの方がいいだろう。

 なぜか俺の頭は一週回ってクリアになっていた、きっとまだお花畑に居るのだろう。だが、その余韻もいつまで続くのか。ここはさっさと行動に移すべし。


「説明は後でするよ。それよりキョウシちゃん、背後から来るアレ、何に見える?」

「……」


 キョウシちゃんは明らかに不服そうな顔をしていらっしゃる、話をうやむやにされるのが気に食わないのだろう。なぜか俺は隠し事をしている訳でもないのに、後ろ暗いものを感じている。なぜだ、ジョーシさん助けて。

 腕の中のジョーシさんを見ると、今までの穏やかな顔から一変、無表情で不服そうな顔をダランと横へ向けている。なぜだ……!?

 そんな間にもチラチラと背後をうかがっていたキョウシちゃんが、独り言のように言う。


「あれは……。あのね、昔お婆ちゃんが言ってたの。悪いことをすると髪の長い女の人が来て、泣きながらお前の首を引っこ抜くぞ。ってね」

「うん……?」


 キョウシちゃんは何を言っているのだろう、話し方も妙に幼く思える。あの化け物がまた姿を変えたのだろうかと思い、首だけで背後を覗き込むが俺の目には何も映らない。恐らくキョウシちゃんが居なければ足を止めていただろう。

 この子には何が見えているのだ、そしてジョーシさんはなぜ俺たちが見えていないのだろう。俺にはオヤジどころか追ってくるものの存在すら感じられないのに。

 原因が未だに分からない、あの暗い空洞に入ってからというのは分かっているのだが。まだそれは俺たちを追って来ているのだろうか、二人の様子を見るとそうらしいが……。


「キョウシちゃん、ほんとに見えてる?俺にはもう何が起こってるか分からないんだ」

「え……?見えてるわよ。私たちの後ろに、髪の長い……」


 やはり何か居るようだ、キョウシちゃんの顔色が悪い。血の気と表情が失せて、まるでジョーシさんのようだ。いや、ジョーシさんの顔色が悪いという意味ではないが。

 明らかにいつもとは違う、あの堂々として自信とワガママに溢れたキョウシちゃんの表情とは。やはり何かは追って来ているようだ。

 キョウシちゃんが震える唇をかみ締める、何かを決意したかのように。しかし俺にはまだ聞きたい事があった。


「髪の長い……オヤジ?何が来てるの、もうちょっと具体的に言ってみて」

「あれは……、髪の長い。あれは……女の。あれは……あれわ、わわわ。……ちょわわー!」


 足元にランプが落ちる。それを手放したらしいキョウシちゃんは、立ち止まると同時に剣を振り上げ、背後から来ているらしい何かに向かって襲い掛かかっていた。慌てて俺も立ち止まるが、ひどくバランスを崩す。

 なんて脚力なのだろう、走っている状態から急停止して、そのまま真後ろに飛び掛るなんて……、人間技ではない。そして有無を言わさぬ斬撃が放たれた。

 急反転の奇襲+あの斬り込みでは襲われた方がたまらないだろう、俺はなぜか襲われた見えない何かに向かって同情すると、ジョーシさんを下ろして尻餅をつくようにその場に座り込んだ。なんにしろこれで終わりだ、ようやく一息つけるのだ。


「ふぅ……、疲れた」

「……まだです、まだですよ救世主さん」

「はい……?」


 その声は直ぐ側から聞こえた。呆気に取られはしたが、この声を間違えようがない。ジョーシさんだ。声の方に目を向けるとその顔は真っ直ぐにキョウシちゃんの方を見ている、視線も定まっているようだ。

 まだ、と言った。何がまだなんだろう。キョウシちゃんを見ると、剣を振り下ろした姿で固まっている。静かだ……、全て終わったという感がある。キョウシちゃんの前にも足元にも何も居ないようだが、間違いなく斬ったのだろう。キョウシちゃんが見ていた敵を。


「やっぱり終わったんじゃないの?」

「……かもしれません。でも油断はしないで下さいね」


 早くも自説を曲げるジョーシさん、どうやら確証はないらしい。というか、いつ正気に戻ったのだろう。考える時間なんてあったのだろうか。

 俺が疑問の眼差しでジョーシさんを見つめていると、その表情に明らかな動揺が見られた。思わず俺もその視線を追う。するとキョウシちゃんがこちらを向いていた。うな垂れた髪で表情は良く見えないが、一歩二歩と歩み出したその姿は全てが終わった事を照明するようだった。さすがはキョウシちゃんだ、あっと言う間に倒してしまった。

 俺は自分の力量を少しばかり恥じるが、それも相手が悪い。どんな化け物が相手であろうが、この子はそれ以上だ、化け物越えの強さを持っている。人の範疇(はんちゅう)で考えるべきではない。

 それが正体の分からない相手であれ、斬ってしまえば問題ない。案ずるより産むがやすし、策を練るより斬ればよかろうなのだ!

 俺はそんな化け物ちゃんの労をねぎらおうと、疲れも忘れて立ち上がりキョウシちゃんの方へと歩みだした。


「さすが次期教祖さま、お強いでございやすよー!」


 どうもまた劣等感が丸出しになっているらしい、それが口調に表れてしまったのも情けない。しかしキョウシちゃんはそんな俺を意に(かい)す様子もなく、こちらにまた二歩・三歩と進んでくる。


「救世主さん……、少し様子がおかしいです」

「分かってるよ!可愛くない語尾はやめた方がいいんだろ?……つい出ちゃったんだよ」

「そうじゃなくて──」


 近づいて来るキョウシちゃんは、そのまま何も言わずに俺たちに向かって剣を振り上げた。

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