剣の男の家
朦朧とする意識の中、見知らぬ男が俺を見下ろしている。彼は一体誰だろう。
鼻と額が熱い、口元が濡れているのを感じたが、気分は穏やかだ。その男は俺に向かって笑顔を見せた、爽やかな笑顔。まぁ俺の次ぐらいには男前かな。
その男は俺を荷物のように担ぎ上げると、家の中へと運び込んだ。
「話は聞いています、悪いようにはしないので騒がないで下さい」
「はぁ……」
既に悪いようにされている気はしたが、俺はその男の落ち着いた挙動に安心感のようなものを抱き始めていた。この街にも俺と同様に紳士的な男も居るのだと。外ではまだ野蛮な男たちの叫び声が響いていた。
俺はベッドに寝かされると直ぐに鼻や額に布を当てられる、その布が赤く染まるのを見て初めてそれが出血だと気付く。すると、にわかにこの男への怒りと疑問が沸きあがって来る。
「怒らないで下さいね、こうでもしないと暴れて大変だと言われていたので……。手荒な真似をしてすいませんでした」
「……うん」
こうも率直に謝られてしまうとやりづらい、俺は怒りのやり場に困って部屋の中に目を走らせる。直ぐに目に付いたのが椅子にかけられたローブ、そしてそれに付いている剣のマークだった。
姉妹の着ているそれに良く似たローブは真新しく、彼が教団の一員だという事を雄弁に語っていた。味方と考えていいのだろうか、妙な信仰の溢れたこの街ではそれだけでも心強い存在だと言えなくもない。
「少し痛むかもしれませんが、我慢して下さい。まぁ慣れっこですよね」
「……いてて」
その男は俺の顔に包帯を巻きつけていく、これではせっかくの男前が台無しだ。しかしここは堂々としておこう、男の言う通りこういう事にはもう慣れっこだイテテ……。
ため息をつくと全てを受け入れたような気持ちになった、諦めたとも言えなくはない。改めてその男の顔を見ると、その真剣な表情に何か引っかかりを感じた。俺と目が合うとフッと笑顔を作る、するとその引っかかりは消えてしまう。
「これで終わりです、大した怪我ではないでしょう。では、あれを着て行って下さい」
「あれって、あれ……?」
男が頷く、その視線の先には教団のローブがあった。彼の物だと思っていたが、違うのだろうか。本当に着てもいいの?
俺が躊躇していると男は自然な動作で俺のボロ布を体から剥ぎ取ると、そのローブに腕を通させる。胸元から落ちる石像の腕と短刀。そして俺のあられもない姿が晒されて……え、ちょっとちょっと。
男は何も無かったように俺にローブを着せると静かに微笑んだ。俺はそそくさと足元の腕と短刀を拾い上げるが、さすがに問わずにはいられなかった。
「今、見たよな……?」
「何をですか?」
「俺の……剣と、腕」
「……立派な物をお持ちのようですね」
男は俺の股間にスッと視線を落とす。そうだろうそうだろう、……いや、そうじゃない。
剣と言っても俺の背中にある剣だ、神の剣。これを持っていて良いのはキョウシちゃん以外では救世主だけのはず、教団の人間がそんな事を知らない訳はない。いや、実は教団の人間は全員俺の存在を認めているのか、もしくは山で俺が救世主となった瞬間を見ていた人間か。
石像の腕に関しても言う事はないのだろうか。これが切り落とされた物だとしたら、自分たちの次期教祖がないがしろにされている事になる。いやしてないけど、それでも何か一言あってもいいはずだ。
この男は何者だろう……?再び最初の疑問が頭をよぎる。静かに微笑むこの男、教団の一員らしき男。そろそろ全てを話して貰ってもいい頃だ。そいつは俺を先導するように部屋の入り口へと足を運ぶ。
「ちょっと待て」
「はい……?」
俺は男の服をつかんだ、それは教団の物ではない普段着だ。その男の顔から表情が消える、笑顔の消えたその顔に俺の引っかかりは大きく膨らむ。俺はこの男を知っている……?
男の胸元から何かが落ちる。薄い紙、何かの絵が描かれたその紙を見て、俺の中の疑問は一瞬で消え去った。
「あっ……!」
「ああ……、なんだ」
それはヨージョさまの写し絵だった、つまりはこの男は教団の人間ではない。いや、正確にはそうなのかもしれないが、少なくともこの男が遣えるのは教団ではなく一人の女性だ。
男はその紙を拾うと慌ててホコリを払い、納得して妙に落ち着いた俺を睨むように一瞥してからドアを開けた。
その表情のない顔、ようやく思い出した。その顔は地下でヨージョさまを先導していた男。猫の間でヨージョさまに先んじて顔を出したあの男だった、見覚えがあるはずだ。つまりはヨージョさまの下僕の一人という訳だ。
背後で勢い良く扉が閉まる、そんな怒る必要もないだろうに。失礼があったなら謝るよ、謝ってないけど。
俺は、晴れた疑問と同胞に再会したような喜びでなぜか寛容になっていた。空を見上げると建物の隙間にヨージョさまに足蹴にされて微笑む男の顔が見えた気がした。ああ、いい天気だ……!
「切裂き魔はどこだー!」
「見つけて火あぶりにしろー!」
そんな気分に水を差すように、荒々しい男たちの声が響いて来る。そういえば俺は追われていたんだっけ?緊張感まで吹き飛んでいた。
ドタドタと足音を響かせて男たちが姿を現す。
「あ」
「……げ」
その顔を見て思わず声を上げる。そいつは腕っ節の強そうな男、つまりは無実で無害で無関係な奴を羽交い絞めにしたあの男。俺に騙されて無実で無害で無関係な奴を、一方的に盲目的に暴力的に押さえ込んだ若くてヤンチャな男だった。
よりにもよってそいつが俺の顔を見、そしてこちらへ歩いて来る。あの時こいつは俺の顔をしっかりと見ている、互いを確認するようにうなずきあった関係だ。まさか再び相まみえるなんて……。
下僕さんの家へ戻ろうかと考えているとその男が口を開いた。
「教団の方ですね。この辺りに危険な奴が潜んでいます、見つけたら直ぐに大声で叫んで下さい。オレが取り押さえて引きずり倒しますんで!」
「あ……、はい」
そう言うと男たちは走って行ってしまった。良かった、バレなかった……。
教団のローブと顔に巻いた包帯のお陰だろう。そこまで計算されていたのか、俺の鼻血は無駄ではなかったようだ。さすがはヨージョさま。
そして俺はキョウシちゃんの石像を探し歩き、迷いまくった挙句にその辺の人に道を乞いながら何とかキョウシ巡礼の旅に戻った。随分と脱線してしまった……。巡礼の先に辿り着いたのは、やっぱりというかキョウシちゃんたちの家の前だった。
「遅かったじゃない、救世主さま。……何その格好?」
「窃盗をとがめる人間は居ませんが、天罰は下りますよ。主に夜道で背後から」
ジョーシさんが何やら恐ろしい事を言っている、それはただの闇討ちではないのか。
俺の姿をまじまじと見る二人に、ざっと今までの成り行きを説明する。石像を順番に回った事、砥石と短剣を落とした事、それによって街の人に追われた事、そして教団の男に助けられた事……。一応ヨージョさまの名前は伏せたが、二人はそれとなく察したようだった。
「ふーん、何か外が騒がしいと思ったら救世主さまだったのね。楽しそうで良かったわねー」
「これからもその格好で居るつもりでしたら、救世主さんにも教団の一員として自覚ある行動をして貰わないと困ります」
俺のボロ布はあの男の家に置いて来てしまった、色々見たり見られたりしたせいですっかり忘れていた。だが、もう一度あの家に辿り着くのは不可能以上の何かだろう。
様々な苦楽を共にしたあの服……。汚れやオッサンの血は泉で洗い落としたが、尻に開いた穴だけはどうにもならなかった……。うん、何の未練もない。
「いい?救世主さま、バカな事を仕出かしたら教団の責任になるんだからね?ヨダレ垂らして歩き回ったらダメよ?したいからってその辺でトイレをしてもダメ、分かる?」
「姉さん……、救世主さんでもさすがにそれは大丈夫でしょう。あ、でも急に女性の前で全裸になったり衣服の中に入ろうとしたらダメですからね!分かりますか?」
「おいおい……」
二人にとって俺は一体何なのだ。それではまるで犬ではないか、盛りのついたダメ犬。キョウシちゃんの足に絡みついた俺の剣を見る、なんて羨ましい。しかし、俺をこんなのと一緒にされては困る。
なおも真剣な顔で俺を見つめる二人に、大丈夫だと言い放つ。心底安心したような二人に今度は俺が不安になる、俺ってそんなおかしな行動ばかりしてたっけ?
「そういえば救世主さま、どうして石像の腕を持ってたの?今も持ってるんだっけ、なんで?」
「いや、その……。あれだよ、俺も剣を研いでやろうかなって」
「姉さんが持ってたので十分なのでは?余計な物を持っていくと冒険に支障をきたす事がありますよ。既にあったようですし」
「それは、その……」
俺は懐にある石像の腕を握り締める。冷たくてすべすべしたそれは、目の前に居る女の子の腕と同じ形をした物だ。それを思うと胸が熱くなったが、同時に後ろ暗いものも感じた。俺が手に入れたのはキョウシちゃんの形であって、その人ではない。しかし、手放したくない。
キョウシちゃんが丸い瞳で俺の返答を待っている。何と言ったらいいのか、どこまで言っていいのか、そして何が俺の本心なのか。分からなくなる。
切りどころが分からず、ざっくりと切ってます。
次話とつながってます。




