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剣の逃亡者

 何体のキョウシちゃんを見て回ったのだろう。

 どうやら分かれ道の度に置かれているらしいその石像は、俺をどこかへ導いているようにも思われたが。石像のポーズがどんどん自由になって行く(さま)は、とても楽しそうというか何と言うか……。

 最初は普通に手を伸ばして立っているだけだったのだが、徐々に剣を構えたポーズから片足立ち・逆立ち(脚は完全に衣類で隠れている)、そしてアッカンベーや猫のマネになった段階で徐々にネタが切れてきたように思える。そして既に指をさすのを忘れてしまっているようで、俺が次の像を探す必要があった。

 ついでに言うと像の側ではそのポーズをマネする大人や子供が居て楽しげな事になっていたが、倒立や危険なポーズの周囲では慣れない大人の痛々しい姿で死屍累累(ししるいるい)の様相を(てい)していた……。慣れない事はするもんじゃない、マネしても何の効用もないだろうし。俺は彼らをスルーして次の像へ、次の像へと歩いて行った。

 そしてそれはキョウシちゃん巡礼の旅が佳境に入った、というか俺の方も像のポーズもそろそろ飽きに入って来たであろう頃だった。手馴れた手つきで人だかりをかき分けていく。


「ちょっとすいません、すいません通して下さい」


 首を振り上げる運動を繰り返している奇妙な人だかりに分け入ると、そこには頭上に髪を振り上げた神秘的なキョウシちゃんの石像があった。逆立った位置で固定された髪は、一本一本まで見事に再現されていてる。こんな時間を停止させたような像をどうやって神の剣に作らせたのか、今更ながらあの剣の凄さを実感する。挙動はバカ犬にしか見えないが。

 奇妙な一団の行動をようやく理解して、俺がそこを抜けようとした時、事件が起こった。

 髪を振り上げていたのは主に女性だったのだが、その中にいくらか例外も混じっていた。子供は良しとしよう、マネして遊んでいるのだろう。最悪、髪の長い男たちがマネする気持ちも分からなくはない。長い髪に憧れる気持ちは俺にも少しある。

 だがしかし……、首を振る度に太陽光を屈折させて俺の目に直射日光を運ぶジジイ、貴様は何をやっているのだ。何を振り上げているつもりなのだ。

 別に髪が無い事を責めている訳ではない、しかしその行動は神をも恐れぬ愚行のように思われた。髪をも恐れぬと言うべきか……、蛇足。


「なんじゃ、ワシの顔になんかついとるか?」

「いや……、ついてないというか」

「あん?」


 つい凝視してしまっていたその頭……じゃなくてその爺さん。口元には白いヒゲを蓄えているというのに、思った以上に血の気が多い。何十年も力仕事を続けてて来たのだろうその腕はかなり太く、俺以上の年季を感じる。勝てる気がしない。

 困った、姉妹の家も近いというのに、余計な揉め事を起こす訳にはいかない。

 軽く謝って立ち去ろうと思ったが、爺さんは一足で俺の前に立ちはだかると躊躇(ちゅうちょ)なく俺の胸ぐらをつかんだ。


「最近の若いのは年上に対する態度がなっとらん、ちょっと教育が必要かな」


 何があったのかは知らないが、どうやら相当頭に来ているらしい。しかもその言い分からすると、ただの八つ当たりではないか。俺は年上に失礼な態度を取った覚えはない(無口なオヤジを除く)。しかし困ったな、どうしよう……?

 俺は神の剣を背中に隠していた、この街で神の剣を持っているのはキョウシちゃんと救世主だけという事になっているはずだ。そして俺は救世主として教団が堂々と名乗れるような人物では”まだ”無いらしい、俺は納得していなかったが仕方がないのだろう。お忍びの救世主、まぁそれはそれで悪くないじゃないかな。

 直ぐに周囲が騒ぎ出す、誰かが爺さんを止めてくれないかと期待したが、妙な声援が耳に入るとそんな期待は泡と消えた。


「なんだ?楽しそうだな」

「いいぞ爺さん、やっちまえ!」

「若いのがどれだけ持つか賭けるか」


 ここの方たちはとても娯楽に飢えていらっしゃる、そしてとてもお上品なのを忘れていた。

 残念ながら俺は人を殴るのに慣れていない、その点を差し引いてもこの爺さんに勝てる気は一切しなかった。どうしよう……。


「どうした若造、もうブルったか」


 はい、許して下さい。というか完全に爺さんの憂さ晴らしに付き合わされてるだけじゃないか、俺が一体何をしたというのか……。

 俺が産まれて来た事を後悔していると、爺さんは胸ぐらをつかんだその片手で俺を持ち上げる。足が地面から離れる。わーい、高い高い。

 観衆が沸きあがる、もう既に勝敗は決した。これで許して貰えないだろうか……?でないと俺の背中で震えているキョウシちゃんの剣が何か仕出かしてしまいそうだ。あれだけ言ったから、俺を守る為に尻の穴に入る事はないと思うけど……。

 爺さんが腕を振り上げる、やはりこうなるか。一発で終わるならいいだろう、今までの痛みに比べればまだマシのはず。俺が覚悟を決めたその時、胸元が軽くなり、足元で音がした。


「あ」


 観衆が一斉に似たような声を上げる、そして静まり返る。彼らの視線に気付いた爺さんが俺から手を離すと、足元に落ちていた物体を拾い上げる。

 それは短剣(ジョーシさんの剣)とキョウシちゃんの腕(石像の)だった。衣服がずれて落ちたのだ、しかし、ただの落し物で終わるような事ではなかったらしい。観衆の表情がどんどん険悪になっていく。


「次期教祖さまの腕を……!」

「なんてバチ当たりな」

「切り落としたのか、ふてぇ野郎だ」


 どうやら俺がどこかの石像の腕をその短剣で切り落としたと思われたらしい。

 いや、違いますよ?それを斬ったのは間違いなくその次期教祖さまご自身で、俺はショックの余りそれを胸元に仕舞っただけです。……と言っても信じては貰えないだろう。このままでは全員に袋叩きに合ってしまう、一発で済むどころではない。全ての石像を調べて俺の無実を証明したかったが、そんな辛抱強い奴はこの中には居ないだろう。

 よし、と結論を出した俺は爺さんの手から短剣と石像の腕を奪い取ると、頭を低くしていつもの四つん這いになり観衆の足元を手早くすり抜けた。


「どこだ、どこへ消えた!?」

「ゴキブリみてぇな野郎だ」

「いてて!バカ、それは俺の足だ」


 観衆の背後に回ると短剣と石像の腕を胸元に仕舞い、そ知らぬ顔で歩き出す。あの四つん這い競争がこんな形で役に立つとは思わなかった……、膝も大分回復しているようだ。

 ありがとう、オッサン……。空を見上げると尻から血を出したオッサンが微笑んでいる顔が見えた気がした、笑顔なんて一度も見てないけど。


「居たぞ、そいつだ!」

「逃がすな、見せしめにしてやれ」

「こんの若造がー!!」


 さすがにそんな甘くないよね、俺は観衆の第一声を聞き終わる前に走り出していた。

 次の人だかりは見えていたのだ、方向はこっちで間違ってはいない。背後をチラと見ると、さっきの爺さんが鬼の様な形相で目の前の人を押し退けながら走って来る。被害だけで考えると、きっと俺より爺さんを縛り付けた方がいい。


「そいつを捕まえてくれー!」

「次期教祖さまの腕を持ってやがるぞ!」

「ワシが捕まえてやるぅー!!」


 背後から声が掛かる、その声に前方の人だかりが反応する。くそう、余計な事を。しかもその言い分だと俺がキョウシちゃんの腕を切り取ったかのようだ、誤解を生むから勘弁して欲しい。

 人だかりの若い連中が俺を見る、腕っ節に自慢がありそうな連中だ。まずい、どうしよう。

 考えるより先に、俺は前を歩く男の背中を指差して叫んでいた。


「そいつを捕まえるんだ!」


 俺の真剣な顔と怒気に押された連中が一斉にその男に襲い掛かる、無実で無害で無関係な男があっという間に押し倒されて羽交い絞めにされる。俺はその羽交い絞めにした男の顔を見て大きくうなずきながら、そいつらの横を走り抜ける。


「そいつじゃないぞー!」

「えっ」

「その走って行った奴だバカ!」

「ワ、ワシが捕まえて……ゼェ、ゼェ」


 ありがとう無実で無害で無関係な人、君の事は忘れない。空を見上げると無実で無害で無関係な男の、きっと笑顔であろう後ろ姿が見えた気がした。っていうか、あれって誰?

 背後で新たな追っ手の足音が聞こえる、若くて活きのいい連中が俺を追いかけ出したのだろう。既に俺の前方には人だかりがない、道を間違えたのだ。しかし戻る訳にはいかない、どうしよう……。

 迷う選択肢もなく手近な角を曲がる、とりあえず姿をくらまさないと。


「よくも騙しやがったな、ちくしょう!」

「この人殺しー!」

「死刑囚らしいぞ!」


 既に話に尾ひれがついている、俺はただキョウシちゃんの腕を持ち歩いていただけなのに……。

 目に付いた角を曲がり、また次の角を曲がる。その場所全てが一度見たような気がして、しかしどこに続いているか分からないような場所だった。どの建物も見新しく、そして頭上に剣の形をこしらえている。

 まるで迷路だ、いや迷路なのだこの場所は。それこそジョーシさんか、毎日この場所を行き来している者にしか自由に行き来できない、そんな迷路のような場所なのだ。


「ハァ……ハァ……、ハッ?」


 どれぐらい走っただろう、そして迷い込んだのだろう。息を切らせた俺が辿り着いたのは、行き止まりだった。背後を見るが追っ手は来ない、しかしこれ以上走り回るのは無理だと感じた俺は近くの民家の影に隠れこむ。

 鼓動が激しく打っているのは、全力で走って来たからというだけではないのだろう。まさか救世主をやっていて人に追われる日が来るとは思ってもいなかった……。


「どこ行きやがった、通り魔め」

「女子供は家に入れー!誰か来ても開けるんじゃないぞ」

「キャー!?」

「間違えるな、亭主の顔を忘れたか」


 周囲から声が反響してやって来る。どの声が近く、どれが遠いのかすら分からない。

 その言葉からすると、このままでは俺はキョウシちゃんを殺した殺人鬼として首をはねられるかもしれない。きっとキョウシちゃんは元気です、自分そっくりの石像を作って楽しんでます。

 俺は一体何を守ろうとしているのだろう、教団を・この街の人たちを……。それが今、守ろうとしている人たちに追われて命まで奪われようとしている。悲しくなって空を見上げると、細長い空にキョウシちゃんの笑顔が見えた気がした。縁起でもない。

 細長い空が更に細くなる、建物の窓から何かが出て来たようだ。それは見上げる俺の顔面目掛けて真っ直ぐに落ちて来ると、鈍い音を立てて俺の額と鼻をへし折っ──。


 目を閉じると細長い空に俺の笑顔が浮かんでいた。ああ、なんてカッコいいんだろう……。

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