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剣の水ひしゃく

「キョウシちゃーん!ジョーシさーん!どこ行ったのー!?」


 気付けば再び声を上げていた。そこに居るはずの二人、その安否も分からない。

 なぜ出口に居てくれないのか、何かあったのか。どうして助けてくれないのか……。残念ながら今の俺に二人の心配などしてやれる余裕はなくなっていた。それ程までに辛かったのだ……、排便が。

 この辛さは分かる人には分かるだろう、分からない人には分からない。分からない方が絶対いい。


「ああああ”-!!」


 俺の声に反応したのか、背後の声が勢い付く。どうした、何があった。前回は出口付近で立ち止まってくれたのに、今度はそれを期待できそうにない。

 どうすればいい?後、俺に残された手段はなんだ。足で応戦する、意味がない。ランプでもぶつけてみるか、悪くないがキョウシちゃんに怒られる。剣を手にして戦う、これ。これが一番無難な気はする。この剣は単独では奴を斬ろうとしない、だがその真っ直ぐに伸びた姿なら俺の手で斬れるはず、そうじゃないかなと思う。多分、確証はない……、うん。

 剣?あ、そうか。その時、俺の頭に天才的なひらめきが!


「頼む神の剣、俺の尻の穴を守ってくれ!」


 戦う事ばかりを考えていたが、そうだ、守ればいいのだ。守って貰えばいい、なんて俺らしい!

 そんなみっともない自己認識と共に、俺の手足に再び活気が宿る。剣が時間を稼いでくれる間にここを抜けよう。

 行ける、もう少しだ。残る距離は俺の体二つ分ほどだろうか。奴の吐息が直ぐそこまで迫っている気配はするが、守られた俺は強かった。いや、キョウシちゃんの剣は強いはず。そう簡単には奴を通さな──。


「あああ”っ!?」


 謎の痛みが俺の脳天を突き抜ける、なぜだ……そんなはずはない。しかし確かにその激痛は尻から来ていた。

 ダメだって……、無理。そんな大きいの無理ぃ!俺は膝を立て、その痛みから抜け出すように再び四つん這いで駆け出していた。

 そのまま穴を抜ける、が痛みは消えない。更に逃げるように爪先立ちになり内股で走る、激痛で頭の中が真っ白だ。俺は一体どこへ向かっているのか、二人はどこに居るのか、どうすれば奴は俺の尻から離れるのか。


「たったす、助け、たすー!?」


 痛みで言葉が途切れる、まともに悲鳴すら上げられない。

 いつの間にか尻へ回していた手、その指に触れている感触のおかしさにハタと気付く。俺に尻に刺さっているのは奴の指のはず、しかしこの無機質で硬い物体はなんだ。引き抜こうにもビクともしない、むしろ奥へめり込んで行く……。

 なおもフラフラと、爪先立ちでトコトコ歩いていると声が聞こえた。


「またやってるの?追われてるゴッコ」

「救世主さんの中で妙な遊びが流行っているみたいですね」


 二人の声だ、良かった、助かった。そう思った瞬間に緊張が解け、足がもつれて倒れ込む。顔面をしこたま打ち付けるが、それより尻が痛かった。尻が……痛い、奴の言葉が頭を巡る。だがそれを今、口にしたのは俺の方かもしれなかった。

 オッサン、今お前の悲しみが俺に届いたよ……。妙な親しみが胸に込み上げる、どうにもならない痛みと共に。そして背後から響く足音、奴だ。……待て、なら俺の尻に刺さっているのは何だ?


「ねぇ救世主さま、それは何の遊びなの」

「……すいません、ボクにも理解不能です」


 上から声が降って来る、顔を上げると姉妹が俺の前に立っていた。背後から来たと思っていた足音はこの二人の物だったのだろうか。そして遊びとは……?何が遊びだというのだろう、色んな意味で死に掛けているというのに、この状況が理解できないのだろうか。

 キョウシちゃんの妙に冷めた声が耳に痛い、それ以上に尻が痛い。だが、これで助かったと言えなくもない。二人が居れば奴が来ても撃退できるだろう、それともまた引き返したか。……なら俺の尻に刺さっているのは一体何だ?尻を押さえる指が握り慣れた何かを感じ出していた。


「あ、あなた……」

「どうして、ここに居るんですか?」


 二人が誰かに話し掛ける、その視線は俺の背後へ向かっている。奴が来たのだ、やはり聞き間違いではなかった。しかし、二人の反応に違和感を感じる。来たのが闘争心丸出しの獣のようなオッサンなら、キョウシちゃんはもう剣を構えて襲い掛かっているだろう。ここが修羅場と化しているだろう。

 もしや奴の怒りが収まったのだろうか、俺という犠牲によって……。

 俺は何とか頭を背後に向ける。そこに立っていたのはランプの光を受け、泣きはらした目をした、──オヤジだった。

 そしてその手前にあったのは、ランプの光を浴びて輝く、俺の尻から生えた神の剣だった……。


「えっ!?なんで?なんで俺の尻に刺さってんのこれ、どいて!!」


 俺がそう叫ぶと神の剣は容赦なく俺の尻から柄を引き抜く、俺に地獄のような激痛を残して。どうにもならずに身をよじらせる、何かを叫んだ気がするが、それがどういう言葉だったのかは分からない。

 どうしてこうなってしまったのか……、もう訳が分からないよ。



「ゆっくり頼むぞ、ゆっくり……。いたたたたた!?」

「なにやってるんだか、ねー」

「剣に触れないようにお願いします」


 俺たちは泉に来ていた、治癒の力がある泉にだ。目的は当然、俺の尻を治す為だ。

 出来れば直接、泉の中に尻を突っ込みたかったのだが、キョウシちゃんに恐ろしい剣幕で止められてしまった。仕方がないのであれこれ手段を考えた末、ジョーシさんの剣にひしゃくの形になって貰う事で解決した。

 人の命が掛かっているというのに、全くキョウシちゃんのワガママにも困ったものだ。


「ああ……、染みるけど効いてそう」

「ねぇ、この子ちょっと太ったわよね。運動しないとね」

「姉さん、相手は子猫なのでほどほどに……」


 うつ伏せで開放感あふれる下半身を冷気に晒し、勝手に飛び回るひしゃくから水を尻に受ける。心が洗われるようだ……。そんな俺に背を向けて姉妹は子猫と戯れていた。久々のこの感じ、なんてのどかなんだろう。

 ただ一人、空洞の隅で落ち込むオヤジの姿に妙な違和感があったが……。


 あの後、剣に担がれた俺は姉妹から冷たい視線を浴びながら、なんとかうめく様な声で今までの経緯を説明した。再び表れたヨージョさまの事、獣に追われた事、尻の穴を狙われた事──。どこまで理解して貰えたのかは分からない、俺にだってサッパリ分かってはいないのだ。そんな事を理解しろというのは難しいが、それでも俺に対する妙な誤解は解けた気がする。

 肝心のオヤジは相も変わらず何も話さなかった、姉妹の質問にもしょげる様にうつむくだけだ。なぜあそこに居たのか、なぜ泣いていたのか、俺を追っていたのはお前なのか(恐らくそうだが)。そんな疑問に対してもお得意の無口を通されてしまい、俺たちはもうお手上げ状態だった。

 無口さが売りらしいが、メリットよりデメリットの方が多くないか?そろそろ人選のミスに気付くべきだろう。オヤジよ、今までありがとう。


「ん、……何か来る」

「何?次はお尻からキノコでも生えた獣?」

「尻から火を吹く魔物かもしれません」


 その時、妙な感覚が俺の体を駆け抜けた。姉妹の反応はかんばしくなかったが、俺には確かなものに思えた。

 その異変は俺の腹から下半身へと走り、大きな音を立てて尻から放出された。いわゆる放屁というやつだ。


「いてぇ!?へ、屁が出るだけで……痛いだと!?」

「……私もう帰るね、お腹空いたし」

「あ、ボクは……、剣を回収したいのでもう少し残ります」


 なぜかキョウシちゃんは怒って歩いて行ってしまった、ランプと子猫を手に。その足に絡み付いているのは間違いなく俺の剣だろう、また主人の事を忘れているようだ。

 ちなみにキョウシちゃんの剣は俺と並んでひしゃくから水を浴びていた、こっちは主人に無視でもされているようだ。不憫な……。ちなみにこの水は錆びるのだろうか?一応、後で手入れをしてやろう。


「あくまでこれはボクの推測なんですが──」


 キョウシちゃんが行ってしまうと、申し合わせたようにジョーシさんが口を開く。声が妙な感じに聞こえるのはきっと鼻をつまんでいるからだろう。

 心なし胸を張り、ドヤ感のある背中でジョーシさんは語り出した。

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