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剣の傷跡

「たっ、助けてえええええ!?」

「尻が……尻がぁああぁ!!」


 萎えそうな心を奮い立たせる為、俺は大声で叫んでいた。光はもう直ぐそこだ。

 穴の外に居る二人にもこの声は届いただろう。背後の獣はその変化に気付いたのか、呪詛のような言葉を大きな声で叫び出した。

 その声はハッキリとした攻撃の意志に感じる、理不尽な痛みに対する復讐。それを他の人間にも味わせたいとする強烈な欲求。俺はズキズキと痛む尻が冷えるほどの恐怖を感じ、更に手足をばたつかせる。

 奴はどこまで近づいている?その指は今どこに?耳を澄ませても自分の鼓動が邪魔で聞こえない、背後を見やるが上がっていた手はもう見えない。脅しはもう止めたとでも言うのだろうか……?奴の居場所を確認できる瞬間があるとしたら、それは俺が奴に捕まった時、俺の穴がえぐられた瞬間だ。


「痛ぃ、痛いいいいい!!」

「ひぃ!?」


 怒号と悲鳴の入り混じったような声、それはもう言葉ではない何かを発していた。もう人の声とは思えない。捕まれば間違いなく血の海だ、しかもかなり不名誉な。闇の化け物とはまた違う恐怖、だが今度はまだ足掻ける手段があった。それはただただ逃げる事。

 見えない敵と戦うのは自分と向き合うのに似ている、恐怖に飲まれてはいけない。だが見えないながら奴は間違いなく俺の直ぐ背後に居る、なら恐怖しろ、そして(あらが)え。使えるもの全て使って逃げ切れ。捕まれば俺の何かが終わる。男としての大事な何かが!

 神経を手足に集中させる。まだ行ける、もっと早く動ける。恐怖心によって足の引きが速くなったのを感じる、闘争心が膝の痛みを消していく。もっと早くだ、もっと!光は直ぐそこに……、その時俺の目に映ったのはその光をさえぎる二つの影の存在だった。


「救世主さま?」

「何かありましたか?」

「えぇ、ちょっとどいてー!?」


 姉妹だ、俺の声に反応して中を覗いてくれたのだ。それ自体はありがたいが出口が塞がっては逆効果。二人にぶつかってそのまま化け物に尻を突かれる未来が見える。良くて二人にしばらく無視される。

 いくら緊急事態とはいえ、多少なりとも帰り血を浴びた俺が体当たりを食らわせば表面上は許しても二人に遺恨(いこん)は残るだろう。

 結論を言うと俺はどちらもごめんだった。


「神の剣!」


 俺は先導するキョウシちゃんの剣に鋭く声を掛ける。剣は俺の声を聞くなり勢い良く穴の外へと飛んでいく、血塗れたその剣が光の中へ消えると同時に小さな悲鳴が上がり二つの影が立ち退いた。思った通り、効果は抜群だ。

 出口は目の前、だが光が迫ると闇の存在も大きくなる、俺は背後から迫る獣をひしひしと感じながらその光の輪の中に飛び込んだ──。


「くぅ、目が……!いででで」


 光の下へ出ると共にその余りの眩しさに目をやられる、そして手が宙をかく。穴と地面との間に僅かにあったらしい段差で手首をねじったようだ。倒れるようにそのままゴロゴロと転がり、尻の穴を地面に接地させるとようやく手足の動きを落ち着けた。まだだ、戦いはこれからだ。


「何するのよ救世主さま、きたな……危ないじゃない」

「さっきの悲鳴はなんですか?」

「奴が来る!剣を構えてくれ!!」


 俺の声に二人が息を呑む、不満気な声を漏らしていたキョウシが口をつぐむ。こういう時に修羅場を抜けて来た二人の反応はひどく頼もしい。

 俺はというと、方向感覚がつかめていなかった、薄目で見渡すが誰がどこに居るのやら……?どうやら転がりすぎたようで少々目が回っているようだ。二人の姿と穴の方向を探して光の雨と格闘する。俺も戦闘に参加しなくては……!そうだ、その為には剣だ。剣が要る。


「神の剣!」


 俺はランプを手放すと手の平を空へ差し出す、声に応えるように柄が手に触れる。いいぞ。

 剣を握り締めると久々の感覚に胸が震えた。クワとは違う、剣での戦い。そうだ、俺は戦える、俺が救世主だ!

 敵の方向も分からぬまま剣を構える。奴はどこだ、二人は無事か?その尻も。いや、変な意味じゃなくて、割とマジで!

 あのスピードで飛び出して来たのだ、奴が今すぐ目の前に現れてもおかしくはない。のだが……、妙な沈黙が続いた。


「よく握れるわね、その剣……」

「姉さん、そんなこと言ったらダメですよ。一応はボクらの神なんですから、一応は」

「……はい?」


 徐々に目が慣れてくる、見当違いな方向を向いていた俺は慌てて声の方へ、姉妹の方へと目を向けた。その背後に見える穴、俺はあそこから転がり出て来たのだ。そしてそれに続いて奴も……、出て来たはずなのだが。あれ?どうなってんの。


「で、奴ってなんなの?私たちに向かって剣を放り投げるぐらいだから、ちゃんとした理由はあるんでしょうね」

「さすがにビックリしましたね、ただのお遊びじゃない事を願いますが」

「……あれれ?」


 俺は改めて周りを見回す、怒りに狂った奴の姿はない。それどころか明るい日差しがさんさんと照りつける穏やかな日和だ。鼓動が収まるとまるで全てが夢だったかのように感じる。いや、そんな訳はない。

 尻の痛みを抑えて四つん這いのまま穴へ擦り寄る、そんな俺に二人は距離を取るように足を引く。なんだこの反応は……。そのまま穴を覗き込むと、闇の中に僅かに光る二つの目を見つけた。奴だ、奴はやはり居る。それは間違いないのだが、なぜ襲って来ないのか。


「二人とも、見てくれ。中に獣の眼光が……!」

「えっと……、救世主さま。ちょっと離れてくれる?」

「獣なんて居ましたっけ?」


 緊張感のない二人に空気の違いを感じながら、場所を譲る。俺の扱いが前よりむごいが今はそれどころではない、奴は機をうかがっているのだろうか……?

 姉妹が穴を覗き込む、俺はいつでも戦えるように剣を構える。立ち上がったせいで尻の痛みが増してくる、ズキズキと。


「……何も居ないけど」

「見間違いという事はないですか?」

「……はい?」


 何を言っているんだろう、俺が覗いた時にはハッキリと光る両目がこちらを見ていた。獣が獲物を狙う目、怒りと悲しみに満ちた目。あれが見間違いな訳はない。

 俺が穴に近づくと二人は俺を恐れるように立ち退く、とりあえずそれは気に掛けずに中を覗き込む。と、真っ暗な空洞の中に光り輝く双眼が……ない、消えていた。

 なぜだ、諦めたのか?そんな訳はない。人とは思えない姿勢で無理やり追いかけて来るような奴が簡単に諦めるとは思えない。光に弱いのだろうか……?いや、奴はそもそも山頂に居た、光を受けて立っていた。確かに暗闇に長時間居たが、それなら俺と同じで多少眩しいぐらいだ、出て来れない訳じゃない。

 しかし奴の姿は消えていた、なぜだ……?そういえばさっき俺が覗き込んだ時に奴が居た場所。それは思った以上に穴の奥だった。単に戻っただけかもしれないが。

 その辺りで何か変化があったのだろうか、奴を立ち止まらせる何かが。


「で、理由は見つかったのかしら」

「勘弁してあげませんか?救世主さんも長く暗闇の中に居たので、ちょっと目と頭が……」


 二人の声がする。奴がここで足を止めたのはなぜだ、その復讐心を留めるような何かがあったのだろうか……。分からない。

 俺が顔を上げるとキョウシちゃんは挑発的な笑みを浮かべている、ジョーシさんはなぜか同情的だ。とりあえず戦いは終わったと思っていいのだろう。俺の一方的な逃亡だった気もするが。

 俺はその敗北の証をかみ締める、ズキズキ痛む尻を押さえる。……そうだ、戦いの跡ならここにある。これぞ獣との死闘の証、名誉であり不名誉の傷。


「そうだ、これだ。これを見てくれ!」


 俺は尻の穴を二人に向ける、服の上からでも指された指の痕は残っているだろう。もしかしたら奴の指先についた血痕が残っているかもしれない。

 背後で二人の動揺が見て取れた、相当ひどい事になっているのだろうか。激しい戦いの結果だ、例えそれが敗北であっても俺は生き延びた事を誇りに思う。

 不思議な沈黙が続いた……。二人には多少ショックだったのだろうか、(いた)わりの言葉すらない。だがこれで俺の無実は証明された訳だ、あの獣も決して幻覚などではない。また俺は男として自分の価値を一つ上げたのかもしれない。


「いい加減に……、しろ!」

「あひぃ!?」


 キョウシちゃんの掛け声と共に尻に衝撃が走る、前につんのめった俺はそのままいつもの四つん這いに戻る。何があったのか……?尻の片頬が熱い。きっとこれはビンタ、服の上からだというのにいい音がした。しかしなぜ俺がこんな目に……?

 まぁ、女の子に堂々と尻を向けちゃいけないよね。それは内心分かってた。

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