剣の四つん這い徒競走
「いい?救世主さま。私たちが穴を抜けるまで絶対に来たらダメよ!覗いてもダメだからね!!」
「……はい」
「姉さんの剣が見張ってくれるから大丈夫でしょう、それより早く行きましょう」
二人が穴の中に姿を消す、俺は残されたキョウシちゃんの剣とランプの側で途方に暮れる。なぜこんなにも信用されていないのだろう、これならあの変態の方がまだマシだ。
全裸のオッサンは暗闇の中で倒れていた。あいつはこの場所に置いて行く事に決定したのだ、きっとそれが本望なのだろうという俺の勝手な解釈だ。
姉妹は不満な顔をしていたが、これ以上あれに振り回されるのが嫌になったのだろう、嫌々ながら受け入れてくれた。俺だってもう嫌だよ。
見上げると星のような小さな光があった、やっと太陽の下に出れるのだ、それを考えるだけで心が温かくなった気がした。
「救世主さまー、もういいわよー」
「来て下さーい」
なんとなしに壊れたキョウシちゃんの像と懐の片腕を眺めていた俺は、二人の声に我に返る。それが合図であったかのように、キョウシちゃんの剣が穴の上から刃を移動させる、剣にまで信用されていない。
俺は静かに腰を上げると、そのまま穴の中に足を下ろす。どうやら穴はほぼ垂直になっているらしい、狭いがしゃがめばそのまま四つん這いで進めそうだ。
キョウシちゃんの剣は俺より先に穴に潜り込んだ、先導してくれるつもりだろうか。この剣は思った以上に忠実に育っているようだ、持ち主に見習わせたい。
ランプに手を伸ばす、もうこの場所に戻る事はないだろう。さようなら石像……、そしてオッサン。あんたには別れの言葉は言わないよ、どこかでまた会いそうだ。
よし、と俺が穴の中へ進もうと頭を下げた時、何かが動いた気配がした。再び顔を出して穴の中からランプをかざす、いや、きっと気のせいだとは思うのだが、なぜか心がざわついた。
すると音がする……、獣のような低いうめき声。まさか闇の化け物が……?いやいやあれは幻だ、俺の恐怖心が作り出した幻想。なら、この声はなんだ。
「……り、ぃた……りぃ」
俺は知っている、この声を。迷い無くその方向にランプをかざす。
そこに何かがうごめいていた。闇の中で光を照り返す限られた存在、新しい血を流すそれは身をよじるように謎の動きをし、悲しみと怒りの入り混じったうなり声を上げている。
にしても不思議な動きだ、踊っているようにも見える。良く見るとその動きには何か規則性を感じた、そう、尻だ。尻の穴をふさぐように足を順次交差させ手をあてがい、更にはブリッジのような体勢を形作っている。妙なポーズだが思わず俺の心も悲しみで震えた。
その肉体美、動く度に躍動する血で染まった筋肉。俺は何か神聖なものを目にしている気がして、その場を動く事が出来なかった──。
「ひっ!?」
突然その生き物と目が合う、そして心底恐怖を感じる。獣の目、それは怒りと殺意に満ちた最も危険な目だ。ここに居てはいけない、奴に関わってはならない。俺の本能がそう告げていた。
ランプを引いて穴の中に入り込む、四つん這いになり手足を必死で動かす。俺を先導するキョウシちゃんの剣は、そんな俺にも構わずペースを合わせ進んでいく。
危なかった……、なんだか分からないが恐ろしいものを見た気がする。何度も危険な目に会って来たが、目が合うだけでこれほど恐怖を感じたのは初めてだろう。だが、それもお仕舞いだ。さっさと日の光の下へ出よう、……う?
背後で獣の咆哮がする、そして何かが落ちた音。俺は内心の恐れをかき消すように、わざと冷静を装い肩越しに後ろを覗き込む。そこには獣の双眼があった。
「っ……!?」
思わず恐怖の叫びを飲み込む。どんな体勢で落ちたのか、その獣は逆立ちしているかのように顔の向きが逆だった。だがその目はハッキリと俺を睨んでいる、その見開かれた恐ろしい目……。
俺がピクリとも出来ずにいると、先にその獣の方が動く。いや、どうやって動いているのだろう。ブリッジのような姿勢のまま、頭を地面にこすりつけて迫って来る。頭の背後で太ももや謎の小さな足が上下してペチペチと音を立てる。このままでは……、まずい、逃げないと!
俺は必死で両手両足を前後させる、さすがにあの姿勢ではそれほど早くは動けないはずだ。奴の手はきっと尻を押さえている、なら動かしているのは足だけ。俺の方は両手と両足だ、二本と四本なら四本の方が早い!ランプを持っているせいで手が一本塞がっているから三本だが、それでもちょっとは早い!
なぜだか最近、四つん這いで動く事が多く、手馴れてきている感じがする。俺はここまでの距離で手ごたえを感じていた。速度を増したせいで膝が痛み頭を天井に何度もすり付けたが、あの化け物に捕まるよりはマシだ。穴を抜けて二人と力を合わせて戦おう、俺たちには三本の剣がある!一人、剣を握りたくない子が居るけど、その子が一番強いんだけど……三本ある!
俺は必死で手足を動かしつつ背後をうかがう、奴の声は聞こえない。ペチペチと断続的に音はしているが、そう近くはないだろう。
さすがにそろそろ大丈夫かと速度を緩める。膝が擦り切れている、このぐらいは仕方がないか。お陰でかなりの距離を稼げただろう。
奴は頭を引きずりながら進んでいるのだ、限界があるはず。余り飛ばすと頭皮がずる剥けになってしまうだろう。そんな事を考えながらチラと背後を覗き見る、すると俺の直ぐ背後で血に濡れた手が人差し指を伸ばしている。……なんだこの手は?
「ああ”っ!?」
思わず声が出る、その声は尻からひねり出されたもの。何かに尻の穴を押されて飛び出したもの、尻から頭へと抜けるその鋭い痛みは以前にも味わった、そしてその時よりも太い指が俺の尻の穴を貫いて──。
「ぎゃあああああ!?」
理解すると共に遅れて来た痛みの感覚、俺は叫びつつ足を背後に蹴り出す。すると足の裏に鈍い感覚が響いた、それと共に尻へ侵入した物体が外れる。
ホッと一息つくが、その直後にまた激しい痛みが襲ってきた、ズキンズキンと。まるで激痛を発する袋を体内に入れられたような感覚に思わず尻穴を押さえる、だが事態はまだ収まっていない。奴の吐息とペチペチが聞こえる。
「し……が、ぃりが……い、しり……いたい。……痛い」
俺の背後には獣が居た、復讐の鬼と化した獣。その怒りを向ける相手は俺ではないはずなのだが、大人しく説明を聞いて引き下がってくれる相手とは到底思えない。恐らくは激しい痛みの中で本格的に目覚めた奴は、とりあえず動く生き物である俺を生贄に定めたのだろう。治まらない痛みに捧げる生贄に。
どうやら俺の蹴りは奴の顔面を捕らえたようだが、奴の言葉通りその痛みは尻のそれとは比べ物にならないらしい。このままでは直ぐに復讐を再開するだろう、……逃げないと。
そうと決まれば俺に出来る事は一つしかなかった、手足を動かせ、穴を脱出しろ。穴を守る為に!
前を行く剣を見てフと考えが浮かぶ。この剣に切り倒して貰おうか……?いや、きっとこの剣は手を出さない。それがキョウシちゃんの言いつけだ。それにこんな狭い場所で剣を行き来させれば俺の体も斬り刻まれてしまう。
ゴタゴタ考えるな、先に光が見えている。あそこまで辿り着けば俺の勝ちだ、……多分。少なくとも相手に弱点をさらけ出したこの姿勢からは解放される。
寒気を感じて背後を横目で見やる。そこには手があった、さっきと同じくまるで俺に見せ付けるかのように高く上げた手。……いや、さっきと違う。さっきより指の数が多い。
前と同じように伸ばしていた人差し指と、更に今度は中指も伸びている。しかも攻撃の意志を露にして反り返っている……。
待て、そんなの入らないぞ。裂ける、明らかに何かが決壊する、血の海が出来る。……そうだ、それこそが奴の狙い。そして絶対的な願い。今、奴は楽しんでいるのだ、自分と同じように痛みを抱えた存在を前に、自分の苦痛と恐怖を追体験させる事で第二の自分を作り出そうとしている。
人が本能によって自らの子供を作るように、その存在を証明する為に奴は俺を同じ目に合わせようとしている。そう、言うならばこれは子作り、奴の怒りと悲しみに突き動かされた復讐という名の子作り……。
え、俺が子供?いやいやいや、一体俺は何を考えているのか。もう直ぐで外へ出れるというのに、痛みと恐怖で思考がおかしな方向へ飛んでいる。そんな混乱する俺の頭に再度悪寒が走る。横目で背後を見ると直ぐそこに手が上がっていた。このままでは……やられる!?
「たああ!」
そう思った次の瞬間、俺は背後を蹴り上げていた。さっきよりも感触が弱い、だがそれは奴の腕にヒットしたからだろう。ダメージにはならないが奴の動きが鈍るのを感じた、どんな相手であろうと狙いが分かっていれば対応するのも容易い。
俺は軽い笑みを浮かべると再度横目で背後を見やる、そこには高く上がった手があった。その指はハッキリと攻撃の意志を表し、真っ直ぐ俺の方へ伸びている。その数は……三本。人差し指と中指と薬指。それが意味するものは……、地獄。この世の地獄がそこにあった。
修正、そして修正。
なぜ俺の文章は解かりづらいのか……?
いや、これでも結構手を加えたんですよ。




