剣のいつもの
「ちょっとした演武の練習だったのよ」
「ボ、ボクも策略を練っていただけでその……。騙されたフリをして相手の裏の裏をかこうと」
不満げな顔でキョウシちゃんはそう呟く、ジョーシさんはぎこちない。
一応突っ込んでおくと、あれは演武に見えなかったし、裏の裏は表ですよ。つまりはいいようにされていたという意味ですか。
本当に何の時間だったのか……。ため息と共に空を見上げると、太陽はまた俺たちの頭上にあった。
夜は去った……。短いような長いような、とても慌しい夜はもう過ぎ去ったのだ。
そう、あの後に起こった事は──。
俺は必死でキョウシちゃんを追っていた、光はかなり近くまで来ている。さすがにそろそろキョウシちゃんも気付く頃だろう、戦闘になるのかそれともあっけなく捕まって──。
浮かんでしまった最悪の事態を頭から振り払おうと首を振る。大丈夫だ、キョウシちゃんの腕を信じろ。願うようにして走る俺の前から何かが駆け寄って来る、早い、対応出来ない。
意表を突かれた俺の横を真顔のキョウシちゃんが走り抜けて行く。え?どういう事!?
「ちょ、ちょっと待って!」
慌てて立ち止まるが直ぐには方向転換できない、なまけた体で全力で走って来たせいで俺の息は存分に上がっていた。
今のは間違いなくキョウシちゃんだろう、しかしその表情は一変していた。あれだけバカみたいに上機嫌だったのにあの変わりようはなんだ。何があったのだろう、キョウシちゃんも逃げ出すような相手がこの先に……?光は徐々に近づいて来る。
「待ってキョウシちゃーん!」
俺は悲鳴のような声を上げる。待ってというより助けてと言いたかったが、そこはプライドが許さなかった。
体力とは違う恐怖心という別の原動力でもって俺はまた走り出す。ひぃぃ!助けて、怖いよぉ!
横目で背後を見るが、光はそれ程の速さでは迫って来ていないようだ。ホッとしたが、それでも二つの荷物を持って逃げるには十分な時間が確保できるとは思えない。俺はジョーシさんと子猫の腹を思い返して気が遠くなる。
「起きなさい、早く!あなたそれでもいいの!」
集落が近づくとキョウシちゃんの声が響いて来る。いつになく厳しい口調だ、今は説教をしている場合ではないと思うが、担いで行くよりは自分で走って貰った方が逃げるのに好都合だろう。
嫌々といった動きでジョーシさんがローブに引っ込めていた頭を出す、まるで亀だ。
「姉さんまでなんですか、まだ暗いんですからガミガミ言わないで下さいよ」
「何よそのお腹、だらしないと思わないの!?]
「まだ皆寝てるじゃないですか、お説教なら朝にでもお願いします。……朝!?いや、夜!?」
ようやく変化に気付いたヘッポコさんに呆れながら二人の元へ辿り着く。起きてくれたなら幸いだ、ジョーシさんの言い分ではないがお説教は逃げおおせてからにして下さい。とりあえずこれでお荷物は一匹に減った訳だ。
「キョウシちゃん、話は後だ。逃げよう!」
「いいえ、今でなきゃダメなの。……あ、ちょっとそこに座りなさい、救世主さまも!」
「もう座ってます」
「えぇ俺も?いやいや、それどころじゃ──」
俺の腹を見たキョウシちゃんは俺にも矛先を向けて来た。が、当然そんな場合ではないのだ。キョウシちゃんに何があったのか、恐怖の余り見たものを忘れてしまったのか、それとも死ぬ前に言うだけの事は言っておこうという腹なのか。
残念ながら俺はそんな狂態に付き合うつもりはなかった、ダメでも最後まであがくつもりだ。軒下で眠る子猫を拾い上げると、その意外な重量によろめきながらも走り出す。そして思い付きの案を口にする、これで全員助け出せるかもしれない……!
「子猫は預かった!返して欲しくば俺を捕まえてみろ!」
子猫を見て更に険しくなったキョウシちゃんが手を水平に振る。それとほぼ同時に刃物らしき物が俺の頬をかすめる。刃物に液体でも付いていたのだろうか、生暖かい液体が頬を伝う。それが血なのか涙なのか、全身から血の気の引いた俺には判別がつかない。
キョウシちゃんの手元に神の剣が舞い戻ると、静かな熱を発してキョウシちゃんが口を開く。
「次は当てるわ。それが嫌ならその子と一緒にここに座りなさい、……早く!」
そうは言われたが俺の腹は決まっていた。ふざけるな、俺は最後の一瞬まであがくぞ!どんなに無様でも最後の最後まで悪あがきしてやる、それが俺のジャスティス!
俺はそのまま全身全力でダッシュすると、キョウシちゃんの前に子猫を置いて正座する。
だって逃げ出して次の瞬間に頭を刺し貫かれるより戻った方が一瞬でも長生き出来るでしょ?なんて正しい判断なのだろう。だが……光は近づいて来ていた、背の高い草木を越えてもうじき俺たちを捕らえるだろう。
「たるんでるの、分かる?お腹だけの話じゃないからね。……そ・れ・も!だけどさ。そもそも私たちには時間がなかったはずよね、分かってる?私たちがやるしかないの、それをこんなところで足踏みしてる場合じゃ──」
お説教が始まった。が、もちろんこんな事をしている場合ではないのだ。横目に光が迫って来ているのが分かる。
なんの拷問だこれは。逃げても死ぬ、逃げなくても死ぬ。妙な汗が体から噴出して来る。キョウシちゃんの言葉が耳に入って来ない。本当にどの口が言っているのか、酔っ払って踊り狂っていた人の言葉とは思えない。
いや、きっとキョウシちゃんも分かっているのだ、そんな自分にも腹が立っているのだろう。俺たちも許せないが自分も許せない、そんな一種の懺悔でもあるらしい痛々しい説教が懇々と続く。ああ、こんな終わり方をするのか俺たちは……。
「──世主さま、聞いてる?救世主さま!」
「あっ、はい……」
せめて最後は剣を構えて終わりたかった、それこそ救世主らしく。ああ、神の剣よ戻って来て。
そんな願いも虚しく、神の奇跡も剣も訪れる事はなかった。そして光が俺たちを捕らえ……いや、来ていないようだ。
とっくに俺たちを捕食してもおかしくないぐらい時間が経っているのに、目の端にある光は足を止めたかのように動かなくなっている。品定めでもしているのだろうか……?
「あんな風になってもいいの!?」
キョウシちゃんが光の方を指差して言い放つ。恐怖で見れなかったそれを勢いに釣られて見てしまう、その指差す方向にあったのは──。
ああ、これは怒っても仕方がない。俺は安堵と共に何かが胸の内に落ちるのを感じた、これが腑に落ちるとでも言うやつか。そして両手を合わせて祈りたい気持ちになった。
ありがたやありがたや、ヨージョさま……。
鉄が土や砂利を掻き分ける音が響いている、二本足の牛が鉄のクワで畑を耕す音だ。どこの畑にもそんな牛が居て、人の代わりに労働を受け持っているようだった。
畑の側の集落では肉や魚や穀物の家が煙を上げ、こんがりと焼けた食料を囲む村人たちで溢れている。遠くの空を馬車が飛んでいく。
なんとなく分かってきた、ここの空洞が意味しているのは──。
「願望、とでも言えばいいんでしょうか」
「……ああ、まぁそんなものかな」
「堕落よ堕落!素振りが足りないわ!」
一人鼻息の荒いキョウシちゃん。その気持ちは痛いほど分かったが、わざわざその傷口に触れようとは思わなかった。
食べ物がいくらでもあり、誰も働く必要がなくて馬車も空を飛ぶ……。最後のは多少意味不明だが人は無意識にそんなものを望むのだ。という事にしておく。
ここでは誰も争わないしその必要もない、飢える事もなければ労働に耐える必要もなく、全員が笑顔でいられる。ジョーシさんの言葉に少し付け足せば、無意識の願望といったところか。
分かってみればあっけない、それだけの場所なのだ。だからこそ居心地が良く。もうずっとここに居てもいいかなんて思ってしまうが、それを口にすればこの楽園が俺の墓場になるのだろう。この空洞で一番危険なのはきっと俺の横に居る鼻息の荒い子だ。
楽園を追われたような気持ちで俺たちは山へ向かう。当初の目的であった場所へ、ようやく。
今度もヨージョさまに救われたのだろうか、その事に姉妹たちは気付いているのだろうか。余計な事を言うと命の危険があるので黙っておくが、長女さまは中々やっかいな立ち位置に居るなぁとは思う。
ちなみにヨージョさまが帰ると直ぐに太陽は真上に現れた。ここがどういう原理になっているのか、そしてそれをヨージョさまがどう操っているのかは不明のままだ。それでも自分で行かずに俺たちに行かせるには何らかの意味があるのだろう。
太陽はポカポカと暖かかったが、俺たちは歩き続けた。別に鼻息の荒い子が怖かったという訳ではないが今少しでも怠けると命の危険があった。……いや、やっぱり怖かった。




