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剣の変化

「あー……、もう食えん」

「も、もう一口だけ……」

「アハッアハハハ!ぜぇ……ぜぇ……アハハッハハハ!」


 一体何度の宴が開かれたのだろう、何軒の家を食ったのだろう。目が覚めると民家は元の姿を取り戻しており、その事が気に食わなかった訳ではないのだが、俺たちはわざわざ別の民家を選び噛り付いたりもした。まぁ、結果は同じだったが。

 ジョーシさんのパンパンになった腹を見る、それでも肉を口に運ぶ姿に呆れと感心の入り混じった感情を覚える。よっぽど飢えた経験でもしたのだろうか。今食わないと死ぬ、そんな気迫と執着を感じて思わずゾッとする。ただの食いしん坊という事にしておこう。

 キョウシちゃんの方は目が覚めると大体ああやって剣を振り回して踊っているが、ジョーシさんの言によると何度か気絶するようにして倒れているらしい。

 しかし目を覚ますと直ぐ村人たちに渡された飲み物(恐らくは酒か何かだろう)を一気に飲み干し、また踊り狂っているらしい。こちらも病気と言えなくもない、きっと過酷な特訓が彼女をこんな風にした……って訳でもないだろう。ただの酒乱だよこの子!

 ジョーシさんの地鳴りのようなゲップを聞き流しながら思う。俺たちは何をやっているのだろう……?


「なぁ、ジョーシさん……。その、言いにくいんだけど」

「分かってますよ、言わなくても」

「……そうか」


 ホッと胸を撫で下ろす、やはりジョーシさんも気付いてはいた。きっと何か作戦があったのだ。

 ジョーシさんは重い腹を抱えノロノロと民家の隅へ行くと、その手に何やら作戦の計画書と思われる肉片を手にし、俺に差し出しながらこう言った。


「ここが一番美味しいんです、残しておいたんですが救世主さんにあげます。さすがにもう食べられな……ゲフゥ~ウッ」

「……ありがとう」


 俺に肉片を渡すとジョーシさんは再度地鳴りのようなアレを口から発し、それが断末魔でもあったかのように地面に突っ伏した。何度目かの昼寝だろう、お腹のクッションが倒れた衝撃をタプタプと受け止める。

 ……違う!そうじゃない!俺もありがとうじゃない!

 確かに俺たちは(少なくとも俺は)こんなにいい思いをした事がない。働かずとも食い物にありつけて、更にそれを共に喜び・(はやし)し立ててくれる人たちまで居るなんて。救世主であった時でさえここまでの待遇ではなかった。言うなれば幸福のマックスと言ってもいい。

 しかし俺たちには目標があったはずだ。いや、少なくともこの姉妹には。


「アハハハッアハッ!ハ……ヒュハッ!……ヒュー……ヒュー」


 背後で人の潰れた音がした。きっとキョウシちゃんが踊りつかれて沈んだのだろう。見てみると案の定、口の端から日差しを反射する液体を流しながらキョウシちゃんが幸せそうでだらし無い顔をして潰れている。

 もう一度問おう、俺たちは何をしているのだろうかと。

 まぁそれを言っている俺も繰り返される食っちゃ寝祭のせいで、すっかり腹が出て頼もしい感じに出来上がってしまっている訳で。説得力の欠片もない。

 ああ、太陽が暖かい。頭を使ったせいでまた睡魔が……。どうしてここはこんなに満ち足りて眠いんだ……?



「救世主さまっ、ねぇ起きてよぉ!」

「……んん?まだ暗いから、もうちょっと」

「救世主さまぁ!皆寝ちゃって誰も相手してくれないのよぉ、手拍子打って!私を褒めてっ!」


 また酔っ払っているのだろうか、ろれつが怪しいキョウシちゃんを正直うざいと思いながら体を起こす。

 寝ぼけた目で横を見るとジョーシさんが口から月光を反射させたアレを流しながら眠っている。村人たちも同じように、地べたに並んで眠りこけている。

 全員が気持ち良く眠りについているようだ、だって夜だもの。連日あれだけ騒げば眠るのは当然だと言えよう。それなのにこの子は……。

 俺の目の前を剣が通過する。


「見て見て、褒めてぇ。あははは、アハッアハハハハっ!」

「はい、凄い凄い。でも夜だから寝ましょうねー……夜!?」


 踊るだけで既に条件反射で気持ちよくなっているキョウシちゃんを尻目に、俺は新たな事実に気付いて驚く。

 夜だ、夜が来ている。今までこの場所で何度眠っても訪れる事のなかった夜が。これが意味するのはなんだろう……?

 ついに訪れてしまった変化、それはこの空洞の裏の面を意味するようで思わず手足が寒くなる。ついにブクブク太った俺たちを食べる為に化け物が現れるのだろうか……?もしや、このでかい肉はその化け物の食べ物で、俺たちはそれを拝借(はいしゃく)していただけなのだろうか。

 こんなでかい物を食う更にでかい化け物を想像して、眩暈に似た何かを感じる。ついに現われてしまうのだろうか、このバカでかい空洞の主が。空洞の大きさに見合った姿を持つ恐ろしい邪神が。

 俺の目の前を皮袋が通過する。


「ほらほら、手を叩いてぇ。一緒に踊ってぇ!」


 なんて緊張感がないんだろう。なおも踊りながら皮袋に口をつけるキョウシちゃんに呆れと絶望を感じるが、俺は別の変化の兆候(ちょうこう)を探して周囲を見渡す。

 僅かに鉄の音がする、鉄が何かを()る音だ。そして続く道の向こう側に何か光るものがある。なんだろう?ずっと明るかったから分からなかったが、あそこに何かあったのだろうか。


「キョウシちゃん、あれって何か分かる?」

「んん~?あれはねー、猫の目!アハハハっハハー!」


 キョウシちゃんの言葉に血の気が引いていくのが分かる。猫の目、あの暗闇の中で光る猫袋の目。あんな悪夢がまた始まってしまうのだろうか。しかも今度は姉妹が何の役にも立たなそうだ、もちろん神の剣すらない俺も同様に。

 しかし良く見ろ、あの光は一つだ。目なら二つあるはず、なら違う、あれは猫の目ではないはず。でも何か近づいて来てません……?

 俺は救世主として、そして唯一まともな判断を下せる人間として次に取るべき行動を決定した。


「よし、逃げよう!」

「あは……?追いかけっこ?じゃあ私が捕まえるー!」


 別に怖気づいた訳ではない。これが今取れる最上の選択であると俺は自負しているし、この決断に何一つ恥じるものはない。

 だが俺の足はなぜかガクガクと細かなリズムを取って震えていた。これは……武者震い!


「捕まえたー!アハハハハっ」

「あ、やめて今は足が弱いから……」


 なぜかキョウシちゃんのタックルを受け転倒する。なんだこの子は、何をするのだ、状況がつかめているのだろうか。いや、つかめていない。

 だがそれは意外に悪くない状態を俺に提供してくれていた。女の子に押し倒されて馬乗りにされている、その強さに見合わない軽さと接触したお尻の温もりに俺の体は熱を取り戻して行く。下半身も熱を帯びていく。

 まぁそこまでは良かったとして……、どうしてこの子は俺の首を絞めているのだろう?手にした剣の柄が喉に当たって数秒の内に落とされそうだ。取り戻した熱がまた離れて行く……。


「アハッアハハハッ!変な顔ー、じゃあ今度は私が逃げる番ねー」


 何を満足したのか、キョウシちゃんは俺の上からサッと立ち上がると走り出して行ってしまった。危なかった……、キョウシちゃんに戯れに落とされてしまうところだった。

 そんなイタズラっ子な主犯者を目で追うと、その先に光が──。

 ちょっと待って、どこに向かって走ってるの。逃げるのはそっちじゃない、そっちから来るものから逃げるんだ!


「キョウシちゃん、待って!」

「待つ訳ないじゃない、アッハハハ!」


 光は徐々にこちらに近づいている。最悪あの子なら自分の身は守れるだろう、剣も手にしているし。しかしそれが決して良い状況ではないのは間違いない。

 俺はワラにもすがる気持ちでヘッポコ軍師のジョーシさんを揺り起こす。


「ジョーシさん、起きて!大変な事になってるんだ!」

「……ん、まだ暗いじゃないですか。もうちょっと寝かせて下さいよ」


 そう言って俺の手を弾くとまた眠りについてしまう。

 いやいや、俺みたいなこと言ってないで早く起きて!知恵が回るならこの変化にさっさと気付いて!


「ジョーシさん、ジョーシさんってば!」

「んんん……」


 ジョーシさんは布団にでも潜り込むように自分のローブの中に深々と頭を沈めてしまう。

 全く、使えねぇ軍師だなおい!ワラの方が味があるだけマシだ!

 ああ、笑い声が遠くなって行く、キョウシちゃんが化け物と接触してしまう。怪しく光る化け物は周りを黒い影で覆われているようだ。あれが本体だろうか……?一つ目の化け猫を想像して身がすくむ。

 化け猫?そういえば子猫はどこへ行ったのか、キョウシちゃんは抱いていなかった。もしや……、あの子猫がまた何かしでかしているのか。

 そう思った次の瞬間、子猫の声が聞こえた気がした。……どこだ?

 民家の軒下を見ると子猫が眠っていた、今のは寝言だったのだろうか。少し見ない間に立派な横幅になっている、俺たちと同じで食い漁っていたらしい。これなら猫袋になる日も近い……。

 どうでもいいがその横で寝ている生き物は──、同じく丸々と太ってはいるがネズミだろう。ネズミと仲良く眠る猫ってどうなの?狩猟の本能を忘れた猫ってなんなの?例えそれが子猫であったとしてもこれは……。


 もうダメだ、こいつらダメだ。こんな連中に頼ろうとした俺が間違っていた、自分が出来る範囲で出来るだけの事をしよう。

 そう考えるや否や俺は駆け出していた。キョウシちゃんに追いつかないなんて事は分かっている、しかしそれ以外に手はないのだ。重くなった腹を揺らしながら、多少の吐き気を覚えながらも懸命に走る。

 既にキョウシちゃんは化け物と接触したのだろうか、背の高い茂みが邪魔で見えなくなってしまった。

 頼む……、どうか間に合ってくれ。月明かりの下、願うような気持ちで足を走らせた。

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