剣のプランC
「救世主さん、聞いてますか?あれは人魚です。今までちゃんと見えてなかったから分からなかっただけです。そういう事なんです、……聞いてるんですか?」
薄れ行く意識の中、今までの沈黙を打ち破るようにジョーシさんが熱弁を奮っていた。
正直、迷惑だった。俺としてはこのまま静かに気を失わせて欲しかった。だがプライドを取り戻したジョーシさんにそんな気遣いは無理なようだ。
「どうしてこれが思い浮かばなかったのか、恐らくあの壁の白い骨のせいですね。あれが関係していると思って惑わされてしまった訳です。でもちゃんと見れば分かりましたよ、ボクだって知らない事ばかりじゃないんです!」
急に饒舌になった三女と、それでも俺を睨みつけている次女。いいからもう放っておいて下さいよ……。
薄れたり戻ったりの意識を何度も往復させられる、おちおち気絶も出来ない。そしてまた空洞から何かが跳ね上がり水の中に落ちる。
「……うん?」
「聞いてくれてたんですね、救世主さん!」
「水音……。そうだ、跳ね上がった瞬間を狙って斬ればいいんだ」
「違います。人魚ですよ、救世主さん」
残念ながら意識を失わせて貰えなかった俺は、痛む頬を押さえながら立ち上がり。キョウシちゃんの前でいじけている神の剣を拾い上げる(その間もキョウシちゃんは俺を睨みつけていたようだ)。
その剣は俺に持たれるとたちまち頭を垂れ、杖のような姿になってしまう。
全くこいつは……。その杖に顔を近づけ、囁くように言う。
「名誉挽回だ、あの生き物をぶった斬ってキョウシちゃんに褒めて貰うぞ」
「あの生き物は人魚と言うんですよ!」
俺の言葉に反応して剣が形を変える。元の剣の姿……ではなく先を曲げてクワになる。
いや、確かに俺が使う時はクワの方が多いけどさ……。僅かにプライドを折られながらも俺は神の剣を空洞に向けて構える。
「いいか、奴が飛び上がったらその瞬間を狙うんだ。お前なら出来る」
「人魚です、救世主さん。奴じゃないです」
しつこいジョーシさんをスルーして、俺たちは待った。キョウシちゃんの信頼を取り戻す為、その歪んだ欲望を叶える為、落ちない汚れにせめて水をぶっかける為。
俺たちは待った。そしてその時は……来なかった。
「あ、これ美味しい」
「救世主さんも食べませんか?さすがにそろそろ疲れたでしょう」
「いや、奴は来る。……きっと!」
「オヤジさんごめんねー、ミルクまで持って来て貰って」
「奴じゃなくて人魚です。なぜ出て来ないかは分かりませんが、それだけ待っても無理なら諦めた方がいいかと」
昼食を持ってオヤジがやって来ていた。
俺が空洞に向かって剣を構えてからどれぐらい時間が経ったのだろう。何の変化も示さない水面やそのキラキラした光に、もはや苛立ちしか感じなくなっていた。
背後からはいい匂いと、現金なキョウシちゃんが飯に釣られて明るくはしゃぐ声が聞こえていた。
正直、俺ももういいかな?と思ってはいたのだ。それでもまだここを動かずにいるのは、俺だけの意思でこうしている訳ではなかったからだ。
神の剣……、もう止めないか?
俺の手の中で静かに震える神の剣、こいつはキョウシちゃんに嫌がられたのがよっぽど堪えたらしい、褒めて貰いたくて仕方がないようだ。一人でも飛んで行きそうな気合を感じる。
「……もう神の剣に任せればいいんじゃないの?」
「そうですよ。人魚が飛び上がったら勝手に斬っておいてくれますよ」
「あ」
そうでした。わざわざ俺が持っている必要はなかったのだ。
キョウシちゃんに睨まれていたせいで、いつの間にかここ以外に自分の居場所は無いと感じていた。でもまぁ、機嫌も直ったようだし飯にしよう。
俺が手を離すと神の剣は束縛から解放されたように空洞の中央へ飛んで行き、グルグルと上空を旋回し出した。まるで剣を握る俺が邪魔だったとでも言うかのように……。
いや、そんな事は気にせずに戻ろう。飯を食う為に、……ええっと。
「飯は……どこ?」
「そこに残しておきましたよ。そこの……子猫の、口の中です」
「あ、もうミルク以外も口に出来るんだー。凄いね凄いねー」
「俺の飯が……」
子猫がモチャモチャと咀嚼しているそれは、ジョーシさんが俺の為に取っておいてくれた昼食なのだろう。思った以上に量が少なく、きっとジョーシさんが大半を平らげた後で子猫が失敬したのだと思われる。それはあらかた予測できた事だったが、それでも何か悔しかった……。
しかし、子猫相手に喜んでいるキョウシちゃんを見ると、さすがにその機嫌も直ったようで。それだけでも良かったとするべきかもしれない。
俺は残り物を食った子猫を許す気持ちも込めて、キョウシちゃんに軽い笑顔を向ける。が、キョウシちゃんは俺と目を合わすなりその表情を一変させ、そっぽ向いてしまう。
一体どうしろと言うのか……。
オヤジが俺の前から食器を引く、名残惜しさについそれを目で追う。その時、オヤジの口の端に一瞬不敵な笑みが浮かんでいたのを俺は見逃さなかった。
何が楽しいんだこのオヤジ、このオヤジ……!
「さて、そろそろ次にどうするべきか考えましょう」
「うん、どうやって斬ろうかなー」
「いやいや……」
この子はまだあの生き物を斬るつもりらしい。既に散々手を尽くしたじゃないか、そして散々な目に合って来たじゃないか、主に俺が。
手伝いもせずに見ていただけなのにいい気なものだ。まぁ俺が勝手にやっていた感はあるが。
「そうではないです。そろそろ人魚を斬るのは諦めるべきではないか、と」
「えっ」
「そう!そうだよジョーシさん!さすが分かってる!」
「……そうです、ボクは分かってるんです」
またジョーシさんの砂の塔のようなプライドを築き上げてしまった……、次に崩れるのはいつだろう。しかし今は調子に乗せてもいい時だ。
もう俺たちに出来る事はない、少なくとも俺には無い。もしやるなら自分でやって貰うしかない。それをキョウシちゃんに理解して貰わないと。
俺はいつもの構図を逆手に取ることを考えつき密かにほくそ笑む。
「あの生き物を斬るのに賛成の人ー?」
「人魚です」
「……はーい」
思ったとおり手を上げたのはキョウシちゃんだけだった。勝った。
「じゃあ反対の人ーっ、はい!……あれ?」
「ボクは別に反対という訳でもないのですが、これ以上は時間の無駄かと……」
「え、無駄なの!?」
「同じこと同じこと、上げて!」
「じゃあ……、はい」
ゆっくりとジョーシさんが手を上げる。よし、二対一。
いつもこの姉妹が俺にしていた仕打ちだ。今こそこの痛みを思い知れ。あれ?三対一?もう一本手が上がって……。
目の端でオヤジがなぜか手を上げている。お願いだからもう帰ってくれ、お前今までの流れ全く知らないだろ。
「そうなの……」
「姉さん……、いや、あの」
「駄目だよジョーシさん。いつまでここで無駄な事してるつもり?俺たちは急いでるんじゃなかったっけ?キョウシちゃん、もう俺たちは手伝わないよ。やるなら自分一人でやるんだ」
我ながらどのツラが言うのか、先頭に立ってあの生き物を斬ろうとしていたのは誰か。大真面目な顔で二人を諭しながら、妙な笑いが込み上げて来た。
「でも……、私泳げないし。この剣も水に入りたがらないし……」
「薄いですが塩水のようです、さっき舐めてみました。やはり錆びるのが嫌なんでしょう。ちなみに救世主さんは泳げますか?」
「俺だって泳げないよ!!」
「ごめんなさい……」
「すいません……」
怒鳴りつける俺になぜか頭を下げる二人。なんだこの状態。
俺はただ泳げないという恥ずかしい事を大声で言っただけなのに、なぜ二人は謝っているのだ。
俺の顔は強張っていたが、それが怒っているのか笑いを堪えているだけなのか、もう俺自信にも分からなくなっていた。
「でも、あれ、斬りたいでしょ?そう思うでしょ?」
「その、姉さん、あれは人魚で、あの……」
「駄目だよジョーシさん!流されちゃ」
キョウシちゃんは自分でも気付いていないらしい、なぜあの生き物を斬りたいと思うのか。自分が憎んでいる人物と無意識に被らせているという事を。
だからためらいなく斬れるのだろう、斬りたいと思うのだろう。無自覚というその恐ろしさよ。
「どうして!?救世主さま、さっきまで言うこと聞いてくれてたじゃない!急にどうしたの、でごぜえやすおー!」
「……姉さん、ちょっと間違ってます」
「えっ、違った?」
正確には、”ございやすよ”だが、それはもうどうでもいい。
そう、どうでもいいのだ。俺はいつの間にか自信を取り戻していた。いや、正直に言うと二人のダメっぷりを目にして安心していた、俺でもいいんだと。
ダメ救世主でもいいんだ!ポンコツ軍師とワガママ狂戦士が一緒なら俺だってそう悪くはない。そんな情けない自己肯定によって俺は自分を取り戻していた。
それは俺が自信を持って上に上がった訳じゃなく、二人の株が落ちて安心したということになる。
本当にそれでいいのか……?という心の奥底から来る問いはスルーした。
「じゃあ、帰ろうか」
「……え?」
「帰るってどこにですか?」
「飯を食いに……、いや、先を急ごう。分かったね?キョウシちゃん」
ようやく一段落した気がしたが、しかしこれからまた俺が穴を掘るのだ。この空腹を抱えながら……。
半端にいい匂いを嗅がされたせいで俺の空腹はマックスだった。お腹と背中がくっつくぞ!
「……ヤダ」
「はい?」
まだ一段落着かせてくれないようだ……。




