剣の水抜き
「あれって何?」
「なんだろう……?」
「さぁ……」
俺たちはしゃがみ込んで空洞の中を覗いていた。壁にある謎の骨、あれも何かの信仰なのだろうか。二人なら何か知っているかと思ったが反応がかんばしくない。
そしてもう一つ、水の中に居る”何か”。キラキラした水の中を半裸の女性らしい何かがチラチラ見えている。ああ、この世の神秘。女性らしい何かの何かがチラチラ、チラチラ……。
「あれって人?」
「人に見えるが、ちょっと違うっぽいんだよな。ジョーシさんどう思う?」
「……どうしてボクに聞くんですか、ボクにだって知らない事ぐらいありますよ。いくらでも!」
なぜか急に怒り出すジョーシさん、どうやら無意識にこの子に質問していたようだ。俺たちの畳みかける問いに答えられず、ブレーンとしてのプライドが崩れたのかもしれない。そんな自覚があったなら、だが。
しかし、重要なのはそんな事ではない。この空洞をどうするかだ。
俺としてはこの美しい場所をぜひともこのまま確保したい。これは人が触れていいものではない、そんな事は神に対する冒涜だ。無神論者の俺が言うのもあれだが。
ぜひともこの美しい場所を俺の目と心の療養地として確保したい……!
「さっさと斬り倒しちゃおっか」
「ええ……」
「特に害はないように見えますが……」
キョウシちゃんは一体何が気に入らないのだろう。思えば風の間の時もそうだったらしい、女の神々を選んで斬りまくったとか。信仰を集める女が嫌いなのだろうか……?ああ、そういう事ですか。
きっとヨージョさまと被って見えるのだろう、だとしたら私怨もいいところだ。なら埋めるだけでいいだろうに(俺は嫌だが)、わざわざ斬らないと気がすまないらしい。
俺としては猛反発したいところだが、こんな穴掘り野郎が何を言っても無駄でございやすのでご主人様に従うがいいでございやすよ。
「斬るにしてもどうするんですか?泳ぎます?」
「え?濡れるのヤダ」
「えぇ……」
必要ないのに斬ると言っておいてその手段を拒否するとは……。
このワガママ娘がっ!と叫んで背中から水に蹴り落としてやろうかと思ったが、当然そんな自殺行為はしない。じゃあどうするんでございやすかー!
「……どうしても斬りたいと言うんでしたら」
「うん、斬る」
「えー……」
「では、思いつきの案ですが……」
俺は穴を掘っていた。
なぜか?それ以外に芸がないからだ。いや、一応ちゃんとした目的はあるのだ。ジョーシさんが作戦と言ったものだが──。
「ここから斜め下に穴を掘って下さい、救世主さんが戻って来れる程度の角度でいいです。ある程度掘れたらその穴とこの空洞をつないで水を流し込みます。水量が減れば」
「濡れずにあいつが斬れるのねっ!」
「そんな爽やかに言われても……」
俺は穴を掘っていた。
それはあの美しい何かを斬る為、その泳いでいる水を枯らす為。そしてキョウシちゃんの内側にある歪んだ欲求を叶える為、染み付いて取れなくなった汚れのような復讐心を鎮める為……。
なぁ、これって無意味じゃないの?なんて事は当然口にはしなかったでございやす。神聖なる儀式なのでございやす。
「こんなもんでどうだろう?」
「いいかもしれません」
「うーん、もうちょっと深くお願い」
「……はい」
その無駄な執着はなんなのだろう。穴はそれなりの大きさにはなっていたが、恐らくあの空洞ほどではない。それでも十分水かさを減らしてあの綺麗な獲物も楽に始末できるようにはなるはず……。
それは俺にとっては悲しい事だが、もちろんそんな余計な考えは口にしないでございやすよ。
「キョウシちゃんのたーめなーら、えーんやこーら。でごっざいっやすー!」
「なんだか素直になったわね、救世主さま」
「そう……ですね」
穴はかなりの深さになっていた。これなら十分、空洞の中の水を干上がらせる事が出来るだろう。
むしろ全ての水を移動するのに必要な通路の深さがどれぐらいになるのか?と掘り終わったのに次の穴掘りの心配をするほどだ。
見上げると既にキョウシちゃんのランプの明りすら届かなくなっている。ああ、俺は一体何をしているのだろう……?
「救世主さん、もう十分です」
「あ、ああ!そうだな」
「じゃ、さっさと片付けちゃおっか」
キョウシちゃんのその一言で俺の思考が現実に返る。剣の柄と片手を使って斜面を駆け上がり二人の元へ辿り着く。振り返って見たその穴の大きさに我ながらなぜかドキドキした。今からこれが水で埋まるのだ。
穴と空洞の間に立って神の剣を振り上げる。姉妹はそれを並んで見ている、まるで何かの儀式のようだ。
「えー、では最後の一太刀を入れさせて貰います」
「頑張れー!頑張れー!」
「救世主さん……、こんなに立派になってウルウル」
なんだろうこのノリは。しかもジョーシさんはなぜか俺の母親ポジションらしい。キョウシちゃんにいたっては子供を応援するかのようだ。
そんな些細な事は気に留めず、神の剣を空洞と穴の間に突き刺す。すると驚くほどの土が消し飛び、俺までその穴に落ちる。どうやら神の剣が調子に乗ったか緊張して力んだようだ。
拍手も束の間、俺を穴から引っ張り出す姉妹。そしてその背後では水が勢い良く穴へとなだれ込んでいた。
「さすがジョーシさん、この策士!山師!うそつき!!」
「救世主さんのお陰です、というかそれ褒め言葉じゃないです」
「姉としても鼻が高いわ、もう子猫乗せちゃう!」
「爪が痛いです……」
子猫が嫌がってジョーシさんの頭の上で暴れる、その爪に髪と頭皮を刈られながらもまんざらでもなさそうな顔のジョーシさん。これで俺の苦労も報われた訳だ。後は水を流しきるのに後何度か剣を突き刺すぐらいだろう。
水が干上がった後、あの綺麗な生き物が身動きできずに横たわっているのだろう。一体どうしてやろうか……。そんな妄想に、つい救世主としてあるまじき下卑た笑みを浮かべてしまう。
そんな俺の背後では、キョウシちゃんが流れる水を見つめながら自らの神の剣を構えていた。あの生き物が流されて来たら斬るつもりなのだろう……、なんというかそつが無い。
ジョーシさんは子猫に頭部を刈られながら、そして俺は不埒な妄想を浮かべながら。キョウシちゃんにいたっては殺意をみなぎらせながら水が流れきるのを待った。
しかし、水はいつまで経っても流れていた。そして穴を満たすと何も無かったかのように水の流れは収まってしまった。呆然とする俺たちの背後で水しぶきの音がしたのは、あの生き物が水上に跳ねたからだろう……。
「……どういう事?」
「分かりません……」
「穴は十分な大きさだった。とっくに干上がっててもおかしくないはず……、なのに。なんで?」
「だからボクに聞かないで下さい!ボクにだって分からない事は沢山たっくさんあるんです!」
そう言うとジョーシさんは怒って暗闇の中へ行ってしまった。
案外気にするジョーシさん、しかしそこまで追い詰めてしまったのは俺たちだ。悪い事をしてしまったとキョウシちゃんの顔を見ると、その口から可愛い舌をペロと出した。やっちゃったねっ、とでも言いたげだ。姉の余裕というのだろうか。
しかしこのままでいいのか、多少の罪悪感を感じながらジョーシさんの背中を見送る。
いや、このままでいい訳がない。同じ役立たずとして今のジョーシさんの気持ちは痛いほど分かって痛い。刺さる刺さる。
俺が一歩踏み出すとキョウシちゃんが俺の肩をつかむ。一人にしてやって、とでもいうのだろうか。
俺はただ無力感を感じながら見送る他なかった……。




