剣の猫じゃらし
「こいつ……動けたのか」
「先ほどまでは手足を引っ込めていただけのようですね」
「お腹空いたー?あ、ごはんないや」
こんな巨大な物体にまだ何を食わせようと言うのか。まぁキョウシちゃんの発言は海の底にでも沈めておくとして……。
再び対峙したそいつは更に丸々としていて、胴体なのであろう巨大な肉の塊から頭と手足が出ているだけの珍妙な生き物と化していた。
よくこの手足で斜面を上がってこれたものだ、半分以上は肉の中に埋まっている。そして暗闇の中で不気味に光る両目は恐怖以外の何物をも感じさせない。
この物体をなんと呼べばいいのだろう……?そう、猫袋だ。
「ぶにゃあぁおぉ……」
「朝になればオヤジさんがご飯持って来てくれるんだけどなー、ここじゃ分からないや」
「……」
「ボクたちがご飯になりそうですけど」
俺たちがこいつのエサに……、その絵を想像するのは難しい事ではなかった、そして楽しいものでもなかった。思わず背中に冷たいものが走る。
作戦を練るにもこいつを縛るなりなんなりして動けなくするのが先決のようだ。しかしどうすれば……?とりあえず蹴り落とせば気持ちよく転って行きそうだが、それはキョウシちゃんの反感を買うだろう。危害を加えずに無力化する手段があればいいのだが……。
思い悩む俺をよそに、キョウシちゃんが無警戒に猫袋に近づいて行く……。
ちょっと誰かこの子止めてー!
「にゅわぁあぁん……」
「どうしたの?まだ遊び足りないー?」
「姉さん……」
さすがに絶句するジョーシさん、ランプを手にずいずい近づいて行くキョウシちゃん。まぁこの子なら簡単には調理されないだろうが……。
固唾を飲んで見守る俺たち、そしてキョウシちゃんが猫袋の目の前に……居るように見えるのだが、その大きさの違いから既に猫袋の腹の中に収まっているようにも見える。
ランプの光が近づき、猫袋の顔がハッキリと見えた。しかしその顔は意外にもあどけなさを残していて、子猫である事をその巨大な体から無理やり主張していた。
つまりは、余計に不気味だった。
「……ちょっと可愛いかもしれませんね」
「えぇ……、ジョーシさんまで」
眼鏡がずれているのだろうか、それとも目玉がずれているのだろうか。あれのどこが可愛いんだ、女の可愛いは信用ならない。きっと、基準がずれているのだろう。……もしくは脳みそが。
そんな間もキョウシちゃんは猫袋にずいずい近づいて行く。そして当の猫袋は、それが自分の命を救ってくれた飼い主だという事を知ってか知らずか、好奇心丸出しの目でキョウシちゃんをじっくりと見据え、今にも飛び掛ろうとしているようだ。
「危ない!」
「何が?」
「……姉さんがです」
思う間もなくキョウシちゃんに猫袋の腕が伸びる。伸びるというのは言葉通りで、その袋から先しか出ていなかった前脚が引きずり出されるようにして伸びていく。
緊張感のなかったキョウシちゃんが急に身構える、神の剣を体の前に出すがハッとして剣を引き、体をひるがえしその腕をかわす。
一体何があったのだろう、キョウシちゃんが子猫を敵と判断した……?
「爪でしょうか……?」
「爪?」
「肉球の手前に光る物が見えました。姉さんはそれを一瞬、刃物と勘違いしてしまったのかもしれません」
「なるほど……」
剣の使い手らしい反応だ、なぜかちょっと羨ましい。刃物を向けて来た相手に無条件に反応してしまうのだろう。
それでもまだ可愛さを優先してしまったようだ、身構えはしたが我に返って剣を引いた。返るべき我がそっちでいいのか、多少疑問はあるが気にしてはいけない。
しかしジョーシさん……、この期に及んでまだ肉球を見ているのか。
「にゅわん!ぬわぉお!」
そんな俺たちの前でキョウシちゃんは肉球と戦っていた。いや、その爪と。
次々と襲ってくる腕自体は大した事が無いようで、それこそ子猫と戯れるように身軽な動きでかわしているのだが。その動きがいまいち精彩を欠いて見える、それが迷いなのだろう。
猫袋の爪を見る度、無条件に剣を構えてしまう。そんな剣と共に生きてきた経験がキョウシちゃんの動きを鈍らせていた。つまりは……。
「キョウシちゃんの我が行ったり来たりしている……、それがキョウシちゃんの動きを鈍らせている原因だ!」
「……意味が分からない事を堂々と言わないで下さい、救世主さん」
なぜこれは通じないのか、ジョーシさんの理解力を過信していた俺は心にちょっと傷を受ける。
そして俺の発言通り、我が行き来する時に生まれるキョウシちゃんの僅かな迷いは徐々にその動きを縛っていき、やがてキョウシちゃんを追い詰め……追い詰めなかった。
猫袋は大きなアクビをすると腕を引っ込めて毛づくろいを始めた。一向に手ごたえのない獲物に飽きたのだろうか、なんて猫らしくない奴だ。捕まえるまで熱中しろ!
しかし、お陰でピンチは脱した訳だ。このまま眠りこけてくれるのを期待しながら、忘れかけていた疑問を口にする。
「そういえば、さっき子猫がどこに居る?とか言ってたけど」
「ああ、はい。恐らくですが、あれは子猫が肥大化したものでは無いんじゃないかと思っています。その根拠は救世主さんの言った、感触、なのですが。……信用してもいいのでしょうか?」
「うん、……任せろ」
「ちなみに子猫の感触と比べてどうでした?」
「うん?うん…………任せろ」
ジョーシさんが露骨なため息をつく、当てにならないとでも言いたげだ。
いや、しかしあれは間違いなく化け物の肉の感触だ。恐らく一番あの肉に触れているであろう俺の確信。……別に触れたくて触れた訳じゃないが。
それと子猫の感触を比べろだと?全く違うと言っても……、そういえば俺って子猫を触った事があったっけ?
思い返すが思い当たらない。雪で倒れた時以外はキョウシちゃんのさり気ないブロックで触らせて貰えなかった気がする。という事は俺は子猫と肉の区別もつかずにあんな行為を……。
「救世主さん……!」
そうだ、あの行為は関係ない。問題は肉と子猫の触感の違いだが、やはり子猫も柔らかいのだろう。そしてむせ返るように温かい……、いやあの熱は俺が熱かっただけじゃないのか?俺が勝手にホットになっていただけで、そもそも最初からあの肉は温かかったのか……?
分からない、分かるのはあの時のむせ返るような熱と汗の匂い……、匂い?それだ!
あの肉には匂いがなかった。ずっと抱かれていたはずのキョウシちゃんの匂いが──。
「ああ、救世主さまと遊びたいんだー」
「救世主さん!」
つい考え込んでいたらしい俺が顔を上げると、目の前に壁があった。そして俺はその壁を強く抱きしめ、抱きしめられた、らしい。正確にはただ轢かれただけのようだが。
ああ、これだよこの感触。充実感が心を満たす。
何度となく味わった快楽が体を貫く、反射的に体が熱くなる。が、その邂逅は一瞬で終わってしまった……。
「もう、救世主さまに甘えちゃって」
「大丈夫ですか?救世主さん!」
キョウシちゃんの言葉は気にしないとして……。遠くからジョーシさんが走り寄って来る。どうやら俺はあの猫袋に押しつぶされたらしい。
にしても少しは猫らしい行動をして貰いたいものだ。丸いからといってゴロゴロ転がってくるとは、子猫なのに既にダメ猫への道を真っ直ぐに突き進んでいる。将来が楽しみだ。
そしてジョーシさんがようやく俺の側に到着する。一体どこまで逃げてたんですか……。
「無事のようですね。見た目より重くないのかもしれません」
「うん、……知ってる」
「それに凄い技を隠し持っていましたね、まさか自ら転がってくるとは」
「ただのズボラだと思うけど……」
もう一つの足音が近づいてくる、そしてズリズリと地面をする音。足音はキョウシちゃんとして、もう一つは当然……。
倒れたままの俺の前で、それを見上げたジョーシさんが息を呑む。壁に当たって跳ね返って来たのか、想像以上の距離に猫袋は迫っていた。
「さっきの様子を見て気付いたんですが、この猫はボクらの声に反応したようです、そして近づく為に転がってきた」
「まぁ猫だからね……」
「だから喋らないで下さい、なら気付かれないと思います……あっ」
「ぐなぉおん……!」
無言でうなずく俺。そして暗闇の中、二つの光る目が声の主であるジョーシさんを捕らえる。その目が新しいオモチャを見つけたように見開かれる。
しかしジョーシさんの逃げ足なら大丈夫だろうと高をくくっていた俺は、動かないその姿に動揺した。
「何をしてる、早く逃げろ」
「喋らないで下さい、狙われますよ」
「それはこっちの台詞だ。いつも通り逃げてくれ、早く!」
「大きい声を出さないで下さい!今は救世主さん、神の剣も持ってないじゃないですか!」
持ってないならなんだ、何がしたいんだジョーシさん。今さっきも俺を置いて逃げていたじゃないか。
焦る俺の前で、意外にも猫袋は俺たちの大声で少し威圧されたようだ。
もしかしたらこの手でいけるかも。そう考えた次の瞬間、無慈悲な猫袋の腕が予備動作からジョーシさんに向かって伸ばされる。
まずい、助けないと。しかしなんとか隠してはいたが、俺の体は猫袋に轢かれたショックで未だに快楽に打ち震えているのだった……。ああ、ビクンビクン。
改めてネットで検索していると、持ち運び用の照明はランプではなくランタンと言うようで……。まぁ手持ちランプなんて物もあるようなのでギリギリセーフ……?
それと中世に耳掛け眼鏡はないようです、ルーペのようにして本を読む物はあったそうですが。……でもこれファンタジーだから!
言い出したら気付いてないだけで一杯あるんでしょうねぇ。




