剣の猫あやし
「……つまりはあれは斬っても大丈夫、という事ですか」
「うん……多分」
「そうなのですか……」
俺の脳が天国から戻る為、壁に頭をぶつけること十数回。遠くなる意識の中でなんとかジョーシさんにいくつかの単語を発し、俺の考えを伝えてみたのだが。
むしろよく伝わったものだ。ジョーシさんの理解力に関心しつつ、しかし事態はまだ何の解決にも向かっていなかった。
「おごごごご……」
「ちょわーっ!」
もはや地鳴りのようになった猫袋の声と、キョウシちゃんの奇声が聞こえる。恐らく子猫は更に巨大になり、それに合わせるようにこの空洞も掘り返されて底が深くなっているはず。
猫袋を斬るにしろ神の剣が必要だ、その為にはキョウシちゃんにその事を伝えないと。
俺は底が見えなくなって地平線のようになった空洞の中央を見てから、ジョーシさんに視線を送る。うなずくジョーシさん。
俺たちは恐る恐るその深みへと身を乗り出し、その下で起こっている事を確認した。
「にょごごごー……」
「ちょわっちょわーっ!」
意外な事に猫袋はそれほど大きくなってはおらず、その事には安心したのだが。注目すべきなのはキョウシちゃんの活躍だろう。
ランプを手に、神の剣で連続して地面に穴を開けつつ、その下がった地面に転がり落ちてくる猫袋を身軽にかわし。そして猫の居た斜面に移動してまたも穴を開け、徐々に下へと移動している。
見事な体さばきと剣の扱いだ。既に自分の身長の倍近くはある猫袋相手に、そこまで余裕のある動きが出来るのに驚かされる。
その姿はあの時、泣く以外に何も方法を持たなかった女の子とは別人で。そしてそれは俺が良く知るキョウシちゃんの姿だった。
「キョウシちゃん!穴はもう十分だ、一度上がって来てくれ!」
「あ、救世主さま!」
その両目が暗闇の中でもハッキリと俺を捕らえる。まるで全てが見透かされるようだ、猫袋にうつつを抜かしていた自分が恥ずかしい。
一直線に駆け上がってくる姿はしつけられた犬のよう……、いや、女豹のようだ。早いよ!
「お陰であの子も無事よ、凄く元気みたい!」
「元気というか……。まぁ、そうかな……」
「姉さんは受け入れちゃったみたいですね」
なんとも適応の早い事で……。まぁそれ程キョウシちゃんにとって大切な存在らしいが、あんな巨大な玉のどこに面影を見つけたのか。そしてどこが可愛いか、既に理解に苦しむレベルだ。
あれはとても柔らかくて暖かくて気持ちがよくとろけるものなのでおっとヨダレが……。
「ねぇねぇ聞いて救世主さま、あの子がじゃれてゴロゴロ転がって来るの、だから私もそれに合わせて踊ってたの。とっても楽しかった!」
「……そ、それは良かった」
「そういう事になってるみたいですね」
何をどう解釈したらそうなるのか、可愛い物は別腹とでも言うのだろうか。
まぁそういう俺もあの猫袋とは濃密な時間を過ごした訳で……。なんとも複雑だが今はそんな事をあれこれ考えている場合ではない。
「キョウシちゃん、聞いてくれ。あれは化け物なんだ」
「え……、違うわ。あれはあの子よ」
「いや、触ってみて気付いた。あれはいつかの肉の津波や他の化け物と同じで──」
「違う!あれは私の可愛い子。……助けてくれるんじゃないの?」
キョウシちゃんのその真っ直ぐな視線が俺に刺さる。なんだ、どうしたらいいんだ。心がチクチク痛い。
でも俺が言っている事も間違ってはいないはずだ、今まで散々戦って来たから分かる。あれは危険なものなんだ。
「いいかい、キョウシちゃん。聞いてくれ、あれはもう子猫じゃない、子猫じゃなくて……?あれ?」
「救世主さま……?」
「少し話をまとめましょうか」
会話に割って入ったのはジョーシさんだった。助かった……、なぜか俺はそう感じていた。
あの肉への敵対心とさっき味わった快楽の背徳感から、なぜだかあれを斬る事ばかり考えていた。思い出せ、あれがなんだったかを。キョウシちゃんがあれをどうしたいのかを。
「恐らくですが、姉さんと救世主さんの言っている事はどちらも合っています」
「……そうか、そうだった」
「え、え……?」
「あれは子猫でもあり、化け物でもあるんでしょう。……正確に言うと、肉球ボロ雑巾猫の手ダンゴ──」
「ジョーシさん?今はフルネームはいいから」
「その名前じゃないんだけどね!」
それぞれが顔を合わせて、少しばかり口元を歪ませる。いつの間にか出来ていたこの三人の空気、それを久々に吸った気がして心が和んだ。
大丈夫、俺たちならなんとかなる。何か方法を見つけ出せるはずだ。
「あれは子猫です。ただ街の人たちの祈りによって少々元気になりすぎた、というか巨大化してしまった何かでもあります」
「そう、そういう事だ」
「……あ、そっか」
キョウシちゃんは全く気付いていなかったのだろうか。最初は驚いてたはずだが、どれだけ心の許容量が大きいのか。……ことに可愛いものに限っては。
そしてあれは子猫だ、俺が守ると決めてキョウシちゃんがその為に動いていた大事な物。それを俺は斬ろうとしていたのか……。
危なく取り返しのつかない事をしてしまうところだった。
「しかし元気になる事がどうして巨大化してしまったのか……、その理由については良く分かりません」
「確かに……」
「そりゃだってさぁ、子猫が元気になるって事は大きく育つって事じゃないの?私だったら嬉しいもの」
「……」
分かったような分からないような……。っていうかキョウシちゃん、最初驚いてたよね?急に態度変わりすぎじゃない?その受け入れたら何でもありという甘々の態度は何なのさ。
しかし、原因は一応ハッキリしたと言っていい訳だ。じゃあ、やるべき事は……。
「地上に上がって街の人たちに祈るのをやめさせればいいんだな!」
「恐らくは……、ただ」
「え、待って。あの子はどうなるの?また病気になったら!?」
……あれだけ元気になったなら大丈夫なんじゃないだろうか。あれはもう元気以上の何かだ、元気が爆発して飛び散る前の何かだ、食いすぎて動けなくなったバカ猫の末路だ。
しかしジョーシさんもそこは断定できないらしい、何やら考え込んでいる。
仮にお祈りをやめさせて元の大きさに戻ったとして(それすら不確定だが)。病気がぶり返して死んでしまったら意味がない。意味がないどころかキョウシちゃんが半狂乱で暴れまくるか、自殺でもしでかしかねない。下手すりゃ両方するかもしれない。
それはなんとしてでも避けないとなぁ……。
しかしこの子にとっては街一つとそこに住む人たち、つまりはこの子の世界と子猫の命が同程度の重さな訳だ。これってちょっと恐ろしくない?
「せめて子猫があの体のどこに居るかが分かれば……」
「ん?どういう事?」
「あれがあの子よ?」
キョウシちゃんはちゃんと話を聞いてたのだろうか……?まぁ今の発言は雲の上にでも置いとくとして。ジョーシさんには何か算段があるらしい。詳しく話を聞こうとしていると、何やらズリズリと音がする。
なんだろう、この聞き覚えがあり耳に心地のいい音は。その音に混じって刃物で地面を削るような音もする。
全員がその音に耳を傾け、そして辿り着いた結論である神の剣。それはキョウシちゃんがしっかりと手に握っており……。
そこに全員の視線が一致したことで、それぞれが顔を見合わせ少しばかり口元を歪ませる。俺たちの中にそんな和んだ空気が流れ──。
「ぐにゃおおおぉう……」
「ひっ!?」
「あっ……」
「あ、上がって来たんだー」
俺たちの前に巨大な壁、ならぬ袋がまたも立ち塞がったのだった。




