剣の猫騒動
肉球ボロ雑巾猫の手ダンゴ虫猫救世主並小刀可愛くない。
それは少し前にキョウシちゃんが拾った子猫で、その時も今と同じように瀕死だった運のない子猫だ。その名前を含めてなんて不遇な生き物なのだろう……。
ちなみにこの名前はジョーシさんが勝手に言っただけで公認されてはいない。
「この子が死んだら私……もうダメかもしれない。お願い、助けて救世主さま……」
この猫が死んでもキョウシちゃんは恐ろしく逞しく生きていけると思うのだが、当然そんな事は口にはしない。子猫の顔を見て目が覚めた。いや、ここに来る途中、走りながら薄々気付いてた。これは夢じゃない、そしてキョウシちゃんが俺に助けを求めている。
順番的にはさっき部屋を出て行った男や家の前に居る連中の後になるが、それでも俺に助けを求めている!
「お願い、救世主さま……。もう祈るしかないの……」
それはキョウシちゃんが俺に始めて見せた、か弱い女の子としての姿だった。
これは一肌脱ぐしかない、一肌も二肌も脱いで全裸になるしかない。互いに全裸になって子猫を失った悲しみを慰めあうしかない!もしくは子猫の代わりに俺を可愛がればいいじゃない!?
「うっ……!」
背筋に冷たい物を感じて振り返る、そこには氷のように冷たい目をしたジョーシさんがドアの隙間から俺を見ていた。
……いや、この子はいつも通りの表情だ。俺が勝手にそう感じただけだ。
落ち着け俺、女の弱みに付け込もうとするな。俺はプロか、プロの間男か、そんな類の人間か。
違う、俺は救世主だ。使えなくて可愛くなくてダメな救世主だ、そっちの方がマシだ。
「お願い、死なないで……」
そうだ、同じ可愛くないと言われた者として。肉球ボロ雑巾猫の手ダンゴ虫猫救世主並小刀可愛くない、貴様を救ってやらねば……!でもどうやって。
キョウシちゃんは祈るしかないと言っていた、それは信者としての言葉なのか、それとも他にもう手段がないからなのか。もしくは、それにちゃんとした効果があるからなのか。
俺は最後の意味だと受け取っていた。つまりは信仰の力だ、ヨージョさまが雪山で倒れた俺にしてくれた事。……まぁあの祈りに本当に効果があったのかは分からない、俺がそれほど重症ではなかった可能性もなきにしもあらずだが。その辺の事は今となっては良く分からないし、それでも他に手段がないならやるしかない。
「キョウシちゃん、ここに居てもダメだ。地下に行こう」
「……え?泉の水?」
キョウシちゃんには意味が通じていないようだったが、祈りの効果があるとしたら地下だ。祈りの影響がこの街に出るのなら、今頃この場所は魔物の巣窟になっているだろう。
原理は良く分からないが、子猫を地下に連れて行けば何らかの効果が出るかもしれない。
背後のジョーシさんを見ると小さくうなずく、どうやらジョーシさんは理解してくれたようだ。
「え?連れてくの?……でも、この子病気なのよ?」
「大丈夫、きっとすぐ良くなるから」
いつの間にか泣いていたキョウシちゃんを俺とジョーシさんでなだめすかし、何とか子猫を連れて地下へ出発する。家の前に集まっていた人たちには悪いが、そのまま子猫が元気になる事を祈り続けて貰うようお願いした。
ヨージョさまに頼めば良かったのだろうか、しかしそれはキョウシちゃんには許されない事なのだろう。ヨージョさまより俺を頼って来てくれたのだ。順番的にはあの男と家の前に居た連中の、ああもういいや。
フとヨージョさまの不敵な笑みが頭をよぎる。きっとこんな状況になるのも分かっていて、達観した顔で俺たちを見下ろしているのだろう。……ありがたい事です。
「え……?泉じゃないの?どこ……?」
ジョーシさんが首尾良く持って来ていた炎のランプを手に、俺たちは泉を通り過ぎて地下へ、更に地下へと進んでいた
正直、どこへ行けばいいのか分からなかったが、俺の頭の中にあったのは風の間だ。俺が祈りの効果で回復したのであろう場所。三人が、いや三人と一匹が幸せな時間を過ごせたであろう場所。俺は無意識にそこをゴールに歩いていた。
何も知らない少女のようになったキョウシちゃんは、新鮮ではあったが何かが違った。何も持たずに無防備な少女、それがキョウシちゃんの根源的な姿なのかもしれなかったが、その姿を見ているのはこんな俺でも心が痛んだ。
そして僅か数日でそれだけキョウシちゃんの心の中に入り込んだこの子猫を少し妬ましくも思った。
「あ、目を開いた……」
それはトイレの間を少し過ぎた辺りを歩いている時だった。思ったより早く祈りの効果が出たのか、それともこの先にある猫の間が影響したのか。小猫がパッチリと目を開き、そしてキョウシちゃんお腕の中で鳴き声を上げた。
「あ、鳴いた……」
「あ……」
「鳴きましたね」
少し元気になったらしい子猫を胸に、キョウシちゃんも泣き出してしまった。
病気になったと騒いで泣いて、元気になったらなったで泣いて、全くお忙しい事で……。あの強くて女らしいキョウシちゃんがまるで小娘のようだ。
しかし涙と共に溢れたその笑顔はきっと、あられもないキョウシちゃんの素顔なのだろう。良かった……。
そして俺たちはその場で足を止め、しばらくはランプの明りの中で子猫と戯れるキョウシちゃんを眺めていた。
「にゃあお」
「へ?」
「ん……?」
「なんですか今の声」
が、変化は直ぐに現れた。それまでニーニーとかミーミーと鳴いていた子猫の声に混じって、妙にハッキリとした鳴き声が聞こえた。
声の大きさから近くに居ると感じた俺は周りを見回す、ジョーシさんも同様のようだ。どこに居る?暗い通路の先か、その先にある猫の間か。それとも足元や左右の壁……?
剣を忘れた事を再度後悔しながら、形だけでも身構える。ジョーシさんが忍ばせたローブの中の手には、きっとこの子の神の剣が握られているのだろう。今、俺たちにある武器はそれだけだ。
「にゃあお!」
「あ……れ?」
「どこだ……?」
「近いです」
一人足並みの会っていないキョウシちゃん。いつもは千人力なのに今日はてんで頼りにならない。俺たちがどうにかするしかないのだろう。
あの声は明らかに猫の鳴き声、きっと病気で苦しむ子猫がまた自分を助けてくれる何かを願って、地下にそれを作り出してしまったのではないか。だとするとやはり来るのは猫の間か。
キョウシちゃんたちを庇うようにその前に立つ、いざとなれば俺がジョーシさんの剣を借りてでもやるしかない……!
「にゃああお!」
「わー……」
「あの、……救世主さん」
「油断するなよ、きっと敵はこの先の猫の間だ!」
「救世主さん!」
ジョーシさんの声と背後からの肉を引きずるような音で振り返る、そこにあったのは大きな何か。
ちょうどキョウシちゃん目の前辺りに、丸々としてフワフワした毛並みの何かがあった。
それを見た瞬間、俺は高級なベッドを想像し、思い切りその上に乗って飛び跳ねたくなったのだが、どうやらベッドではないようだった。
「うにゃあああお!」
「これ……子猫です」
「……うん」
「元気に……なった?」
それはとても大きな子猫で、これを子猫と言ってしまうのは無理があるんじゃないかと思ったが、その毛色を見ると間違いなくあの子猫で。しかもそれはどんどん大きくなっていくのに、理不尽にもまだ子猫で。なんだか腹が立った俺は思わず口にせざるを得なかった。
「子猫って、何?」




