剣の茂み
どこかで声がしている……。
「暖めないと……」
「そのランプの火はどうですか?暖かそうですけど」
「これってあんまり熱くないのよね、浄化の炎とかそういう信仰みたい」
「じゃあ他には……、あ」
どこかから奇声が聞こえる……。
「ちょわわー!」
「……救世主さんより頼りになりますね、姉さん。でもどうして女のほうばかり切るんですか」
「ちょわわわー!」
近くで恫喝が行われている……。
「ほら、出せるんでしょ。……もっとよもっと、しっかりしなさい!」
「姉さん、容赦ないですね……」
「こんなの邪教の神よ?好きなだけ利用すればいいの」
「でも、見た目は割とかっこい……なんでもないです」
暖かい、体が息づいていく……、ヌクヌクして気持ちいい。でも、ちょっと息苦しい。
風の音が聞こえている、俺はまた何かに食われようとしているのだろうか……?巨大な二つの目が脳裏に浮かび上がる。
恐怖でハッと目を見開く、見上げた先に居たのは……キョウシちゃんだった。
「あ、目が覚めた?救世主さま」
「……うう」
神々しい草原のような場所で俺は横になっていた。どうやら膝枕をして貰っているらしいが、頭にあるのは固い感触だけだった。
体は温まってはいたが身動き一つ出来ない。これは金縛りか、それとも俺はまた夢を見ていて今度は岩のように固い何かに食われようとしているのか……?
にゃあ、と小さな鳴き声がする。やはり居たか化け物め。
「こらこら、この布は救世主さまのだから止めなさい」
見上げる俺の前でキョウシちゃんが子猫を抱き上げる、そのやつれた顔はキョウシちゃんが街で拾った子猫と同じ……随分元気になったようだ。そして洗ってもらったのか小奇麗になっている。
横から伸びて来た指を目で追うとジョーシさんだ、子猫の肉球を突っついている。何をやっているんだこの子は……、と思ったら爪で引っかかれたらしい、指が引っ込んだ。
「気分はどうですか?救世主さま」
「……んあ」
口が上手く開かない。やはりこれは夢の中なのか、それとももうあの世へ来てしまったのか。
死人に口なしとは言ったものだが、まさかまともに口がきけないという意味だったとは。
「さすがにこれでは救世主さんも喋れないと思いますが」
「あ、そっか」
頭を上げられた俺は二人から皮を剥ぐように布をグルグルと巻き取られていく、どうやらミノムシのようにされていたらしい。体が軽くなっていき呼吸が楽になる、少し肌寒さも感じはしたがそれすら心地いい。
という事はここはどうやら夢やあの世ではないらしい。化け物が俺の皮を剥いでいるというのでもなければだが。
「何が……起こって……?」
「どうする?先に謝っとく?」
「はい……。すいませんでした、救世主さん。まさかこんな事になるとは……」
何がどうなったのやら、俺は何を謝られているんだ……?それよりもキョウシちゃんの背後に居る半裸で翼の生えた男はなんなのか。ヒラヒラ揺れる薄布から余り見たくない茂みがチラチラと自己主張している。
「あの空洞に居たのは雪山に住むという化け物で、ボクの知る範囲では人を襲う事はないはずなので先に逃げたんですが……、救世主さんが中々帰って来ないのでこれはまずいと思い姉さんに助けを乞うた訳です」
「それでその辺にあった服や布をかき集めて降りてきたって訳。入り口辺りの雪を掘り返しても何も出て来ないんだもん、どうしようかと思ったわ」
どうしようと話すキョウシちゃんより、俺は彼女の背後にある茂みが徐々にキョウシちゃんの頭に近づきつつある事に戦々恐々としていた。
逃げて!君の頭に生暖かい何かが密着する前に逃げて!
「に、逃げ……!」
「すいません、勝手に逃げてしまって。でもあの化け物が悪人しか殺さないというか、善悪の審判のような存在だという話を思い出して、もしかしたら連れて行ったんじゃないかと」
「そうそう、それで精一杯重ね着をして雪の中に入って行ったの。そしたらかまくらを見つけて、その中に救世主さまとアレが居た訳。ん……、ちょっと、熱いから下がりさなさい」
キョウシちゃんがそう言うと半裸の男は逃げるように背後に下がった、まるで躾けられた犬だ。
で、その後ろの茂みさんはどなたなのか。
「その……、男は……?」
「ん?ああ、その化け物がどうなったかは知らないけど。あっさり救世主さまを渡してくれたから何もしてないわ。一応、善人って認められたみたいだけど……、おめでとうって言っとく?」
「えっと、その後ですが。体が冷え切った救世主さんを暖める為にこの風の間に来て──」
風の間、その言葉に俺は体を揺さぶり起こす。風の神々、エロスの神々。見覚えがあると思ったら茂みさんは不必要な男の方の神だったか。
驚くキョウシちゃんとジョーシさんを素通りして俺の眼光が獲物を求めて空洞の中を周回する。……が居ない。
「……さっさと倒して埋めちゃったけど、何か問題あった?」
「しかもかなり深く掘ってましたよね……、すいません救世主さん」
事切れたように倒れる俺をキョウシちゃんの両手が受け止める。そして今度こそ俺の頭がその膝に……。
「綺麗な男というのも悪くないですね。救世主さんが必死になっていた訳が少し分かりました、ふふふ……」
「そんなののどこがいいのかしら。弱っちぃのに」
そう言ってキョウシちゃんは俺に視線を合わせて微笑む。ここは天国かもしれないが、少なくともあの世ではないらしい。
「そういえば神の剣も救世主さまと一緒にあの化け物の上で横になってたけど。やっぱり悪い奴じゃないって分かってたのかな?」
「そんなに無事な事にはなってないと思うんですけど……」
「でも結果的には助かったじゃない?」
そうだ、助かったんだな……。頭の下にある柔らかい感触を全身で味わう、ああ、生きてるって素晴らしい。自然と目が細くなる。
その視線の先にいる男の影と、その足元に垂れた薄布にじゃれて遊ぶ子猫。なんで穏やかなんだろう、そして子猫がその薄布を上手く捕まえて下にずり下ろし──。
「……あ」
「これはこれは……」
「こら、ちょっとは大人しくしてなさい」




