神の幕引き
「姉さん、慎重に……、慎重にお願いします」
「分かってるって~」
「そうだぞキョウシちゃん、ここでは少しのミスが致命的な事に──」
「分かってるってば!もう、しつこいな~」
そう言うとキョウシちゃんはぞんざいに巨大な剣を頭上へと放り投げた。するとそれは一つの嵐のように風と騒音を巻き起こし、上下の向きを変えて山頂に突き刺さった。
ズシン、と大きな地響きが起こる。
「あ」
「あっ」
「ああ……、だから言ったのに」
俺たちは剣を見上げる、なぜか顔を斜めにして。再び神の剣があるべき場所に戻ったのだ、それは久し振りの光景に思えた。
だがそれは以前に比べて少しばかり、いや、かなり斜めになってしまっていた。
「姉さん、どうしましょう。やり直しますか?」
「いいんじゃないの、これで。別に誰かが困るって訳でもないし」
「いいのか……?」
どうやらキョウシちゃんはこれでいいらしい、その顔はなぜか満足気だ。
だが、これからこの剣を人々が崇める事になるのに、信仰の対象がこんなに傾いていていいのだろうか……。
「何よ救世主さま、文句があるなら自分でやればいいじゃない」
「いや、別に文句なんて……」
ありません、というか出来ません。こんな事が出来るのはキョウシちゃんだけです。なので文句も言いません。
「姉さんがいいならボクも問題ありません。それより街へ戻りましょうか」
──そうだ、街だ。最悪、俺がこの斜めになった剣を認めたとして、他の信者たちはどう思うのだろう。
そんな心配のような不満のような物を抱えながら街へと戻ると、街には人っ子一人居なかった──。
「……どういう事でしょう」
廃墟のような街並だけが俺たちを迎え入れてくれた。
だがそこに建物を修復しようという人の姿はなく、それどころか声の一つも聞こえては来ない。全てが解決したと思っていたのに、今度は何が起こってしまったのだろう。
「仕方ないわよね、あれだけ暴れたんだから」
「……あ、確かにそうですね」
「ええっと……?」
この不可解な状況に姉妹はなぜか妙に落ち着いていた、諦めているかのようだ。だが俺にはさっぱり分からない、どういう事だろう。
「こういうのって何て言うんだっけ、試合に勝って勝負に負ける?」
「……合ってます、その通りです」
「あのー、俺だけ分かってないんだけど。説明してくれない?」
──しまった、と思った。俺は自分が口にした言葉を早くも後悔していた。
なぜなら聞く相手を間違えたのだ、説明力のない人に話を振ってしまった。このままではまたスネるかブチ切れられてしまう。
だがキョウシちゃんの反応は俺の想像より遥かに淡白なものだった。
「じゃあ、説明よろしくね」
「あ……、はい」
そう言って妹の肩を叩くと、キョウシちゃんは何もなかったように手にした剣で素振りを始めた。これにはジョーシさんも驚いたようだ。
「えっとですね……。姉さんの頑張りによって、我らが神が無礼講の大盤振る舞いで──」
そんなキョウシちゃんが気にかかってか、ジョーシさんはうわの空で説明をする。言ってる意味が良く分からない。
でもそれを聞く俺の方もうわの空で、互いになんの話をしているのか・聞いているのか良く分からなくなっていた。
何があったのだろう、キョウシちゃんの中で何かが変わってしまったのだろうか……?
「キョウシちゃん、どうかした?」
「……何が?」
「えっと、その……。凄く落ち着いてるからさ、まるでこうなるのが分かってたみたいじゃない?」
「ああ、そうね……」
そう言うとキョウシちゃんはフッと遠くを見るような目をした。それは寂しさというより疲れがにじみ出たような表情だった。
「何かね、色々分かっちゃったの」
「色々って、何を……?」
「え~っとね、……あれ?何だったかな。忘れちゃった」
そう言うとキョウシちゃんはクスリと笑った、それはなんの屈託もない女の子の笑顔だった。その瞬間、俺はこの子が神をブン回すような恐ろしい存在だという事を忘れた。
この子は後いくつ、俺の知らない表情を隠し持っているのだろう。
「神を地下に置いてくる事で、神通力も消えてしまったんでしょうか……?」
「うおっ、ジョーシさん。居たのか」
「……説明の途中で話を抜けたのは救世主さんじゃないですか」
そう言えばそうだった、何やら完全にうわの空で空回りしている。この世界は分からない事で満ちている。
「神通力……、か。それって未来も見えたりするのかな?」
「どうでしょうね。ボクには分かりかねますが、そういう事もあるのかもしれません」
ならきっとキョウシちゃんはこうなる事が分かっていたのだ、それを受け入れた上でこの場所に居るのだ。それならあの落ち着いた態度も理解できる。
そしてここからは完全に俺の推測だが……、もし未来が分かっていたなら少なくともその間、キョウシちゃんは長女であるヨージョさまと同じ立場に立っていたのだ。
その時、キョウシちゃんは何を知ったのだろう。この世で最も憎む相手と同じ場所に立つ事で、何を理解し、そして思ったのだろう。
「──さん、聞いてますか?……救世主さん?」
「ああ、聞いてる聞いてる」
「本当ですか?」
嘘です、聞いてませんでした。
聞いてはいなかったけれど、さすがの俺でも察しがついた。この荒れ果てた風景を見ていれば……。
この倒壊した街並は破壊神が作り出した物だ、街を守る為だったとはいえ決して歓迎されるような事ではない。
つまり、街の人たちは逃げ出したのだ。破壊神や教団(主にキョウシちゃん)から……。結果としてそれが街を守る事になったとはいえ、今更怖くて近付きたくもないだろう。
……というか、果たして街を守ったのかどうかも疑問ではあったが。
「やれるだけの事はやりました。その結果がどうであれ、悔いは無いです……」
そう言うジョーシさんの顔は沈んでいるように見えた、何やら非常に悔いがありそうだった。眉間のシワは嘘をつけない。
俺は再び廃墟のようになった街を眺める。そこにはいくらか建物も残ってはいるが、ほとんどが瓦礫と化していた。この後始末を一体誰がやると言うのか……。
「当然、私たちがやるのよ」
えぇ……。
「そうですね、そしてここを再び人が戻って来れるような素敵な場所にしましょう!」
「そうはならないわ、きっと……」
「え、姉さん?どうしてそんな事が分か──」
と言いかけてジョーシさんが口を塞いだ。分かるのだ、分かってしまったのだ、キョウシちゃんには。
それがどれぐらい先の事までかは分からないが。
「元々教団に信者なんてほとんど居なかったじゃない、その頃に戻っただけ。何の問題もないわ」
「まぁ、あの煩わしい街並が消えてスッキリしたのは事実ですが……」
「そうよ、それでいいじゃない」
スッキリした……?ジョーシさんのその言葉には一瞬耳を疑ったが、きっとこの子の体質の話なのだろう。街を歩く度に辛そうにしていたその姿より、今の方が晴れやかに見えた。
しかし、本当にこれで良かったのだろうか……?
「で、救世主さまはこれからどうするの?」
「え、俺……?」
姉妹が真剣な顔で俺を見る、急にどうしたというのだろう。
そういえば自分について何も考えていなかった、とにかくこの冒険は終わってしまうのだ。そうしたら俺は元の生活に戻る、そうとしか考えていなかった。
俺は一体何を求められているのだろう、そして俺は何がしたいのだろう……。
「盾の教会が復活してるはずだから、以前のような集落がまた出来てるはずよ。救世主さまもそこに行けばきっと悪い扱いは受けないはず」
「姉さん……?」
盾の教会が復活……?そういえば最下層にあった盾は以前のサビついてボロボロな状態から姿を変えていた。ツヤがあり分厚くなり、自信たっぷりといった様子だった。
やはりあれは信仰を取り戻した証なのだろう。
だとしたら皮肉な話だ、あれだけ必死に戦ったのは神の剣なのに、結局何もしなかった盾への信仰に負けたのだ。
人は強さよりも安心を求める、なんて教訓めいた事を言ってもなんの意味もないだろう。フとヨーシさんの笑顔が頭をよぎると、なぜか考えるのがバカらしくなった。
「それでもよ?もし……またこれからも教団の、いえ、私たちの手伝いをしてくれるなら。ここに残ってくれない、かな。また一緒にあちこち旅をする事になると思うけど……」
キョウシちゃんが慎重に言葉を選ぶようにして言う。だがその申し出は俺には少し意外だった。なぜなら俺はもう救世主ではないのだ、恐らくその役割は終わってしまった。その役目を果たせたのかは甚だ疑問だが。
それでも俺がまだ必要だという理由がどこにあるのだろう。
「そうか、俺はもう救世主じゃないんだよな。だからこれ以上一緒に居る理由はないんだ」
「救世主さん……」
「うん、色々とありがとうね、救世主さま」
もし、またこの子たちと居れば、可愛い嫁を貰うという俺の夢は限りなく遠ざかってしまうだろう。これからも何かしら訳の分からない冒険に巻き込まれてひどい目に合うだろうし、下手したら命まで失ってしまうかもしれない。
一緒に居るメリットが何もないように思われたが、俺の心はもう決まっていた
「じゃあ救世主じゃなくて、違う呼び名を考えて貰わないといけないな」
「それって……?」
「まぁ、これからもよろしくって事で」
「救世主さま……!」
「救世主さん!」
姉妹が驚いた顔で見つめ合う、そして喜びを確認するように抱き合う。どうやら歓迎されているらしい。どうせなら俺に抱き付いて欲しいところではあるが、二人が喜んでくれているので良しとしよう。
一応、遺憾の意だけは表明しておく。
しかし良く分からない、この二人が居れば俺なんて全く必要ないように思えるのだが、それでも何かの役には立っているらしい。
「でも救世主さま、本当にいいの?……後悔しない?」
「うん……?だってこんな楽しい冒険、やめられる訳がないだろう」
「ふ~ん、そうなんだ。……うふふふ♪」
「何ですか姉さん、その笑い方は」
キョウシちゃんの笑顔がまぶしい、ジョーシさんが珍しく口角を上げて笑っている。俺の言葉に二人は喜んでくれたようだった。
だが別に機嫌を取ろうとした訳ではない、それが俺の本心だったのだ。
「でもキョウシちゃん、未来が分かったんじゃないの?なら俺がこうなる事も分かってたんじゃ?」
「う~ん、何かね。集団じゃなくて一人の動きは良く分からないみたい、ブレて見えるというか……。まぁ、良く分からなかったの」
どうやら神通力とやらもそれほど完璧なものではないらしい。そういえばヨージョsまもそんな事を言っていたような……。その事に気付いたのか、珍しくキョウシちゃんが複雑な表情をする。
だがそれも一瞬で、直ぐにまたいつもの元気な表情に戻ると妹に向けて言い放った。
「何にしろ私たちのやった事は無駄じゃなかったのよ、少なくとも信者が一人増えたわ」
「そうですね……。そうですよ、姉さん!」
信者とは俺の事だろう、そう言われて多少の違和感はあったが、同時に少し照れ臭くもあった。
「まぁ、俺は無神論者だけどな」
「……あ、救世主さん!?」
照れ隠しに言ったひと言だったが、ジョーシさんが過剰に反応する。
「……救世主さま、今なんて?」
キョウシちゃんの目付きが変わる、表情の良く変わる子だ。
……なんて悠長な事は言ってられないらしい、破壊神の恐怖が再び俺に向けて押し寄せていた。
「ち、違うんです姉さん!」
「何が違うのよ!……あなたもしかして知ってたの?」
「え、いえ、その……」
「そんな人が救世主をやってたなんて信じられない!破門よ破門!」
その後、カンカンに怒ったキョウシちゃんをなんとかなだめ、俺たちは新たな使命を受ける為にヨージョさまと教祖とやらの居る本部へと向かったのだった──。




