剣の尻駆けっこ
いくつもの悲鳴が溶け合って混ざり合う、もはや叫んでいる本人たちにもそれが誰の悲鳴なのか良く分からなくなっていた。
「うわああマ”ーダメははは殺たくな妹ぶひぃにゃにゃにゃー!?」
それでも俺たちは恐怖に支配され踊らされていた、その姿はまるで観客のいない大道芸人だ。
──いや、観客は居た。背後から俺たちを執拗に追い続けている、正体の分からない”奴”だ。
地響きと共にガリリと空間を刈り取るような音がして、背後に一瞬だけ姿を現す。その血色の悪い大きな手は俺たちを恐怖のどん底へ叩き落すのに十分過ぎる代物だった。
「うわにゃにゃありがとうござ妹血が出るのは嫌だお姉ちゃぶひぶひほああああ!?」
「あの、姉さん……?」
「もうさぁ、好きなだけ叫ばせてあげればいいんじゃないの?何か面倒になってきちゃった」
「そんな……」
キョウシちゃんの許可は下りた。ならもう好きなだけ恐怖を堪能すればいい、満喫すればいいんじゃないかな!祭だわっしょい!
既に俺の足元はガタガタで、それが震動によるものなのか恐怖によるものなのか、はたまた疲れによるものかその全てか。俺自信にも分からなくなっていた。それはきっと俺だけではなく他の男たちもそうなのだろう。
むしろ冷静な顔で走っている姉妹の方がおかしいのだ、どんな鍛え方してんだよ……。
「あばばばばわっしょい姉と妹どっちがワンにゃんぶひぶひあはははは!?」
「あの、救世主さん!」
「あば!?」
七色の悲鳴に混じって、突如ジョーシさんに声を掛けられる。恐怖に我を忘れた顔を包み隠す余裕もない。
「何か浮かんだんじゃないんですか?」
「あばば?」
何か……?なんだっただろう。そういえばそんな事もあった気がする。
なぜそれをジョーシさんが知っているのだ。もしかしたら俺たちはもう以心伝心のレベルに達しているのだろうか。
「私にも聞こえたけど?」
やはり俺たち三人は特別なのだ。何度も死線をくぐって来た戦友なのだ。なのでこれからは家族以上の関係と付き合いをして行ってもいいんじゃ──。
「俺にも!聞こえた!」
「ほとほと困った男ですね、あなたは」
「聞きたく……、ない……」
今まで散々叫んだり笑ったり怯えていた男たちが、なぜか俺への非難だけはしっかりとして来る。やはり人徳というのは素晴らしい、これも全員の心が一丸となる為に俺の考え出した心憎い作戦の一つだっ──。
「いいから早く思い出して下さい!何か手があればですが……」
ジョーシさんが声を荒げる、実は俺にもそんなに余裕がある訳ではない。さすがは分かっていらっしゃる。
一体俺は何を思い付いたのだろう。記憶の中を巻き戻る、あの時俺の脳内にあったものは……。
「にゃにゃハハ姉ご褒美苦痛こそが俺の妹助け殺してらんらんるー!?」
ええい、悲鳴がうるさい、集中できない。冷静になれ、明鏡止水、曇りなき鏡と一糸乱れぬ水の心だ……。
耳を塞いで考えると、再び頭の中にピシャリという閃きが走った。そうだ、尻尾だ。
「思い出したぞ、トカゲの尻尾切りだ!」
「それは……、どういう意味ですか?」
「おいィ、独り言ォ!そいツァー俺とこいつらを見捨てるって事かァ!?」
俺の言葉に反応して巨漢が吠える、どうやら誤解を生んでしまったらしい。ここはちゃんと説明せねば、ええっと……。
「いや、そうじゃない。そうじゃなくて……、尻尾だ。尻尾を伸ばすんだ!」
「にゃにゃ!?」
全裸勢の一人が反応する、だが貴様の貧相な尻尾には興味がない。ゴミを見るような目で男の股間を見ると、俺は再度説明に入った。ぺっ!
「尻尾、つまり巨漢のデカイあれをだな、背後に伸ばして穴を塞ぐんだよ!……って、あれ?別に下ネタを言ってる訳じゃないぞ?」
「……」
男たちが無言で俺を睨む、その憎悪と愛が重い。胃に穴が開きそうだ。ついでに全身にも穴が開けられそうだ、男たちの手にした剣が怖い。
少々期待を裏切ってしまったようだ、それほど当てにされていたらしい。
というか俺の話がちゃんと通じのだろうか?閃きをそのまま口にしてしまったせいで言葉選びにもいくらか問題があっただろう。どう言えば通じるのか……、うーむ。
するとジョーシさんがハッとして背後の巨漢に顔を向けた。
「巨漢の人!あなたのあの巨大な剣を後ろに向けて、元の大きさに戻して下さい!」
「あア?んな事したらつっかえちまうゼェー」
「いいから言われた通りにしなさい!」
「へいィ!アネさん!」
キョウシちゃんのひと言で全てが決まった。巨漢は押し並ぶ尻の間から無骨な棒を取り出す、それはまるで男のナニかを象徴するような卑猥で不気味な光景だった。
「よいショーっと」
巨漢がナニを背後に向ける、するとその棒は急速に膨張して元の奇妙な物体へと姿を変える。そして背後の暗闇を一瞬の内に塞いでしまった。だが、それと同時に巨漢の姿も暗闇の中へと消える。
「だっ、旦那が!消えた!」
「おやおや?これはどういう事ですかねぇ」
「尻尾が……、切れた……」
「うにゃ姉ママ妹ぶひぶひ殺して助けてー!?」
男たちがざわつく、そして奇妙な悲鳴も一気に遠ざかる。確かにこうなるのは当然の結果と言えたが、俺の計画とは既に少し違っていた。
「ちょっと、何やってるのよ!」
慌ててキョウシちゃんが背後に叫ぶ。すると悲壮感を増した悲鳴に入り混じって巨漢の声が聞こえて来た。
「アネさんンー、俺にこいつァー手放せネェーよ」
悲しい男の性分だった、巨漢にとってあの物体はそれほど大事なモノらしい。それが剣に対する愛着なのか、メタファーとしての卑猥な物体への執着なのか。それは本人に聞いてみるしか分からない。
「旦那ー!独り言が何か聞きたい事が──」
「それはもういいよ!」
目力はなぜいちいちチクろうとするのだろう、その巨漢は背後へと姿を消してしまったというのに。
すると今度はジョーシさんが俺を見る。
「救世主さん、これでいいんですよね?」
「ああ、多分大丈夫……」
のはずだった。俺の考えが正しければ巨漢もあの尻たちも助かるはずだ。ただ、思い付きを急きょ実行に移してしまったせいで想定外な事態になってはいたが……。
背後から震動が押し寄せる、”奴”は確実に直ぐ近くに居る。それならなぜ来ないのだ。
「こういう……、計画か……」
前髪がボソリとつぶやく。その言葉に男たちがハッとすると、一斉に俺を睨み付けた。
「独り言!お前の狙いはこれか!」
「おやおや、独り言さんも趣味が悪い。バカにされたのを根に持っていたんですかね」
「ちょ、ちょっと待て……!」
何やら勘違いをされている、俺は別に巨漢に恨みなど持っていない。良く分からない当て付けだ。だが結果としては俺が巨漢をおとしいれた形になっている、これは反論のしようが無いのだろうか。
というかこいつら、とっくに息が上がっていると思ったが案外元気だな。
「おっ……」
俺が男たちの視線を避けて背後を見ると、そこに薄い光があった。その形状はいびつで、震動に合わせて近付いてくる。それは紛れもなく、あの物体だった。
「来た!」
俺の声に全員が背後を振り向く。そこには薄い光を発する巨大な物体が、巨漢といくつもの尻を乗せて迫って来ていた。思わず男たちが嫌な顔をする、姉妹も無言で顔をそらす。ここは喜ぶべきタイミングのはずなのだが、おかしいな……。
だが全て俺の目論見通りだった、薄い光に照らされた巨漢と青白い尻たちは震動に合わせて俺たちの後を追って来ている。それはやがて俺たちに追い付くだろう。
──ってちょっとペース上がってません?
「うっぷ……!」
誰かのえずく音がする、どうやらこの作戦は余り好評ではないらしい。
「アネさんンー、俺たチャー無事ですゼェー」
「……そう」
巨漢の落ち着き払った声が響いて来る、どうやらこちらには喜んで貰えたらしい。それに反してキョウシちゃんの反応は冷淡だ。
「さすがアネさんのお付の人ダァー」
「妹よ」
「おお、小アネさんでしたかイー」
「こあねさん……?」
ジョーシさんが巨漢の対応に困っている、案外人懐っこい奴だ。
にしてもおかしいぞ、俺が考えた作戦のはずなのになぜかジョーシさんの評価が上がっている。ジョーシさんは俺の言葉をちょっと翻訳しただけではないか。
それに男たちも男たちだ、誤解が解けたのだから俺に謝罪の一つもするべきだろう。更に安全だと分かったのだから休めばいい、そして巨漢と尻に紛れ込めばいいのに。何をそんなに拒絶しているのだろう。
「なら!お前が行け!」
そう言うと目力は俺の足元を剣で払った。すると既に限界を超えていた俺の足はよろめく体重支え切れずに、あっけなく崩れ落ちる。
「いててて……、急に何を!?」
突然、地面を這った俺の体は激務から解放された喜びで満たされる。だが足だけはそれでも走るような動きを続けていた。
「おやおや、目力さんは乱暴ですねぇ」
ランプの明かりと男たちの後姿が遠のく、闇の中に残された俺は背後の音と震動に思わず身構える──、ほどの隙もなくペチンと顔面を人肌の何かによって突き飛ばされた。
「ぶへっ!?」
目の前に火花が散る、振り向いた直後の見事なカウンターだった。一瞬、意識が遠くなる。そして俺は吹き飛ばされながら、この作戦がどういう物だったか自分の思い付きを脳内で反復していた──。
最初に思ったのは尻尾だった。天国地獄の空間から抜け出る時に、引っ掛かっていた巨漢のあの物体が尻尾のように見えたのだ。あの物体は穴の中を通らない、つまり引っ掛かってしまうだろう。だから後ろから来たものにぶつかって、押されるか潰されるかするはずだ、と。
そしてどうやら俺の思惑は上手くいったらしい。その物体は押し寄せる波のように、何度も背後から来た何かに押し出されれていた。そして再び俺の方へと迫って──。
「ぶちんっ!?」
再びペチンという激しい音と共に顔面を人肌の何かが襲う、その勢いによって俺は再び吹き飛ばされた。にしてもなんだろう、鼻の中に残る痛み以外の僅かな香りは……。
俺は咄嗟に目を見開く。そうだ、物体にしがみ付いていたのは巨漢とそれ以外の大量の尻だった。つまり俺の顔面を何度も強打して、えも言われない香りを残していった正体は──。
「おいィー、独り言ォー。しっかりつかまレェー」
巨漢の声に応えるように俺は叫んでいた。
「尻だ、尻が来るぞ!?」




