剣の継承
声が聞こえる……。
「救世主様……?起きて下さい、救世主様!」
「ダメですね。しばらくは起きないでしょう」
「そうなの?」
「一人で帰りつけただけでも上出来というか……。もうボクたちだけで行きましょう、救世主さんは後で拾えばいいですから」
「……そうね」
声が聞こえなくなる……。
すると俺の頭は色とりどりのマントを羽織った男たちで覆われ、煙や光の中を手探りで歩く。やがてそれはどこまでも続く地下道となり、はしゃぐジョーシさんを抱えたまま道を急ぐのだけれど、巨大な盾に行く手を塞がれ。背後から迫るキョウシちゃんといとこ君が奇声を上げて俺に向かって剣を振り上げ、その剣は吸い込まれるように俺の──。
「救世主様、ご飯ですよー」
「はい!」
「……本当に起きましたね」
目を覚ますとそこは馬屋だった。
何か悪い夢を見ていた気がする。でもそれはただの夢なのだと、口に含んだワラが教えてくれる。
吐き出す。
なぜ俺は寝ている間にワラを口に含むのか……。
「おはようございます、救世主様」
軽い笑顔でキョウシちゃんが言う。
「もうお昼ですけどね」
無表情なジョーシさんが言う。
「じゃあ、出発しましょうか」
寝ぼけた俺を放置して二人が歩き出す。
「え、あの、ご飯は……?」
寝ぼけた俺を放置して歩き出す二人に食い下がる。おや?キョウシちゃんの手には見慣れぬ長い物が……、いやそんな事はどうでもいい。
「あ……、向こうに着いたら。ね」
誤魔化すように笑うキョウシちゃん、その笑みに俺の目の前は真っ暗になる。
飯だと言われ起こされて、その飯は無いのだと言う。この空腹から来るI寂寞感はいかんともしがたい……。
その時だった。
「え……」
「なんでしょう」
早鐘の音、叩きつけるように鳴らされる鐘の音。それは明らかに異変を告げるもの、良からぬ事が起きた事を告げる音だった。
外で人が走り回る音。一つではないそれを聞き、キョウシちゃんの顔から笑みが引きその目が鋭く光り出す。
「化け物だ、化け物が出たぞー!」
「また奴らだ、奴らが出た」
「この世の終わりだわー!」
「剣の元へ急げ、あそこなら安全なはずだ!」
慌てて外へ飛び出した俺たちが短時間に得た情報はそれだけだった、が。
「……あ」
とつぶやき顔を見合すこの姉妹にはそれで全てが分かったらしい。そして俺の方を見る。
……いや、俺は何も分かってませんが。
「待ってください、姉さん!」
逃げる人波を逆行し、一直線に歩いていくキョウシちゃん。その後姿には何の迷いも感じられない。
ある人は彼女を見て立ち止まり、ある人は彼女に祈りを捧げる。
それでも逃げ惑う人の中を一直線に、それはまるで剣のような人ぶはっ!?
「あっ、危ないだろ。気をつけろ!……って旅芸人」
「……昨日のオヤジ」
そいつは昨日、俺がこの街と自分の記憶に迷った時、結果的に導いてくれた事になった恰幅のいいオヤジだった。運命的な再開……?
しかしそのタックルは強烈で俺は眩暈をしたまま動けなくなる。ああ、キョウシちゃんが遠く……!
「昨日の借りはこれでチャラにしてやる!」
一応悪いと思ったのか、情けない捨て台詞を残してオヤジが弾力的に走り去って行く。
何なんだ一体……。
「大丈夫ですか?急ぎましょう」
「あ、うん」
ジョーシさんが俺の手を引き歩き出す。その小さな手を握り俺は思う、この子は何かが欠けている。
それは感情的な面ではない、それは存分に見せて貰った。そうじゃなくて、異性に対する慎みというかたしなみというか。自分が女だと気付いていないのか、それとも俺が男だと思われていないのか。
ああ、いい匂いがする……。俺が困る。
小さくて柔らかい手……。とても困る。
辿り着いたのはほら穴の前だった。
神の剣が刺さった山の側面にある穴。そこは壁で覆われていない場所。
そして恐らく、間違いは無いだろう俺がジョーシさんを抱えて出て来たあのほら穴。
「やはりここでしたか」
先に着いていたキョウシちゃんが、手にしていた長い袋から見慣れぬ鞘を取り出す。
そして真っ直ぐと剣を引き抜く。それは、神の剣。
しかし、キョウシちゃんの腰には太い腰ヒモが巻かれたままだ。僅かに揺れる尻尾のような柄も間違いはないだろう。……じゃあ、あれは一体?
「いい剣に育ちました、どうやら持ち主に似るようです。まだハッキリした事は分かっていませんが」
「育つ……?でも犬の剣はキョウシちゃんの腰に……」
「ああ、お忘れですか?あれは救世主さんが教団に納めた剣だと聞いています。剣持ちから入手した、と」
そんな事もあったような……。
何かを確かめるようにゆっくり剣先を敵の喉に向けるキョウシちゃん。
敵、そう。いつもの見慣れた連中だ。
「奴らは救世主さんの居る場所へ集まるんですよね。壁の外に来ると思ってましたから、このほら穴は盲点でした」
背後で低い歓声が湧く、キョウシちゃんが錆人間を斬りつけたのだ。
返す刀でもう一度。
「お見事……」
思わず声が出る。
いつの間にか集まっていた観衆が再度湧く。
やはりその剣は君が持つべき物だった、俺なんかより相応しい。
しかし、そうなると救世主たる俺の存在理由は……。
「さすが次期教祖様!」
聞いた声に目を向けると、逃げたはずのオヤジが……。
今何て言った!?
「次期、教祖……?」
「……知らなかったんですか?」
うなずくしか選択肢のない俺。
「どこまで秘密主義なのか……。姉は剣の教団の娘で、まぁそれはボクもですが。次期教祖となる予定の人です」
「……」
言葉をなくした俺の前でキョウシちゃんが剣を振る。
一糸乱れず、定められたような動きで錆人間を斬りつける彼女。その度に起こる歓声。
そんな中、俺は自分の大切な人が遠くへ行ってしまったように感じていた。
……いや、元から距離はあるんだけど。




