剣の晩さん
「木の匂いがしますね」
「新築の家っていいよね~」
俺たちは新しい家に来ていた、新しいといっても前の家とほぼ同じ作りだ。場所は地下の入り口の近くに建てられていて、言うならば俺たちの新しい拠点だ。
俺が洞窟から這い出して真っ先に飛び込んだのはこの家の馬小屋だったのだ、見覚えがあるからとりあえず突っ込んだのだが、これが新しい家だとは思ってもみなかった。というか、馬小屋はそのまま移動されただけのようだ。
「やっぱり家は落ち着くわね」
「随分と長い間地下に潜っていた気がします」
新築なのに落ち着くというのは妙な感覚ではあるが、他に表現しようもなかった。俺たちはようやく戻って来たのだ、自分たちの家に、この場所に。
嬉しそうな顔をしたオヤジがいそいそと食事を運んで来る。俺たちは久し振りにゆったりとした気分で食事を楽んでいた。
「そういえばあの黒い塊なんですが、街を狙っていた訳ではなかったかもしれません。もしかしたら神の剣を狙っていたのではないかと思うのですが」
「へー、そうなんだ。あっ、こら!ダメでしょ!」
せっかく戻って来たというのにジョーシさんの頭の中はまだ地下に居るらしい、こういう時ぐらい別の話をすればいいのに。
キョウシちゃんの方は子猫のしつけという名の、食べ物の争奪戦に忙しそうだ。
何やら騒がしい食卓だが、それでも運ばれてきた料理を口に入れると込み上げるような充実感に満たされる。ああ、生きてるって素晴らしい。俺たちは久し振りにゆったりした気分で食事を楽しんでいだ。
「そういえばあの巨大な空間、救世主さんは願望の間と言ってましたっけ。あそこの山の中にあった砥石の事は覚えてますか?」
「……なんだっけ」
「剣が逃げ出した時の話です、山頂から山の中に降りていったでしょう」
「ああ、あれか」
降りたというより落とされたと言った方が正しいと思う、全くひどい目に会ったものだ。更にひどいのがその後に起こった事だった。
「俺が尻の穴を妙なオッサンに狙われた時の話だな」
「ちょっと救世主さま、食事中にそんな話やめてよね」
「……ええっと、あの砥石は神の剣の願望だったのではないかと思います。神の剣が研いで欲しかったのではないかと」
「ああ……」
「へ~、なるほどね~。ってほら!またやってる~」
良くもまぁそんな前の話を掘り返して来たものだ。神の願望というのも妙な話だが、あれだけ錆びていればそう思うのも仕方がないのかもしれない。信者たちにも気付かれず、ずっと土の中でサビにむしばまれて行く……。なんとも悲しい神の姿だった。
ではあのサビ人間たちはそんな神の剣の呪いなのだろうか、それとも救助信号なのだろうか。ようやく神の剣の願いが分かったというのに、バラバラになってしまっては研ぐ事すら出来ない。神というのも中々面倒な存在なのかもしれない。
そういえば願望の間には山に刺さった剣の姿もなかった、代わりに別のもの(変なオッサン)が刺さっていた。あれはどういう意味なのだろう、剣を必要とする人は僅かだが存在するはずなのに。
「救世主さま!食べながらブツブツ言うのはお行儀が悪いわよ!」
「もぐっ!?」
子猫のしつけが上手く行かないせいか、キョウシちゃんの矛先がこちらへ向かって来る。これはまずい、さっさと別の話題を振ってしまおう。
何かないか、別の話題が。そういえば俺は何か重要な事を忘れている気がする。絶対に忘れてはいけない何か……。そうだ、これだ!
「そういえば救世主に憧れるいたいけな女性信者についてなんだが」
「余計な事だけは覚えてますね……」
「え、何それ……?」
キョウシちゃんが露骨に嫌な顔をする、この話題がお気に召さなかったらしい。こんなに素晴らしい話題なのに、なぜだ。
(俺の中の)世界が注目して離さない、押しも押されぬホットでクールでビターでスイートな話題だった。良く思い出した、俺。
姉と同じでなぜか面倒そうな顔でジョーシさんが答える。
「自分自身も救世主になったんじゃないですか?」
「そ、そんなバカな……!」
なんとも悲しい結末だがあり得ない事もなさそうだ。憧れが強くなるあまりに自分自身がそうなってしまう、まれに起こる事なのだろう。それほどまでに思われてしまった自分が悪いのだろうか、それとも誰でも救世主になれてしまうこの状況が悪いのだろうか(明らかに悪いが)。
悲しいながら俺はこの事実を受け入れて、新しい救世主を応援してやるべき立場なのだろう。
そうだ、救世主に憧れるいたいけな女性信者というのが、まさかまさかジョーシさんの作り話ではないというなら俺はそう信じる他ないのだ。
ああ、可愛い救世主さん。どうか俺の心を救って下さい。
「──世主さん、またどこかにトリップされてますね。救世主さん、救世主ダブルオーファーストさん?」
「はい、聞いてます。聞いてますから勘弁して下さい」
「うん?何そのカッコいいネーミング」
なぜかここでキョウシちゃんが食いついてしまった、それは嬉しくない反応だ。
「じゃあ私も教祖ダブルオーファーストって名乗る!」
「やめて下さい、許して下さい」
「姉さん……?」
「だって次期教祖さまとか堅苦しくない?」
そしてキョウシちゃんは子猫を抱き上げ、私は教祖ダブルオーファーストよ、どう?次期教祖ダブルオーファーストの方がいいかな?と何やらご機嫌につぶやかれている。
子猫がかなり迷惑そうな顔をしている、そして俺の方もかなり迷惑で恥ずかしい。……もう殺して。
「さて、これからどうしましょうか。ボクはお姉さまのところへ行こうと思っているんですが」
「え、どうして?別に必要ないでしょそんなの」
「話は聞いておくべきだと思います、やはり分からない事が多いので」
「聞いたところでどうせちゃんと答えてくれないじゃない、行っても無駄よ」
「それは、まぁ……」
姉妹が何やらデッドヒートしている、だが俺の方は久々にヨージョさまに会えるという期待で心と下半身が膨れ上がっていた。実物にお会いするのはどぐらいぶりだろう、地下に居たのは全て良く似たまがい物だったのだ。
早くお会いしたい、そしてあの全てを見透かすような目で見下されたい。ついでにあの熟れた果実のようなボディーをまじまじと凝視し──。
「ねぇ救世主さま。別にあんな嫌な女になんて会いたくないわよね~?」
「……は?」
既に期待で一杯になっていた俺は、キョウシちゃんの言葉の意味が分からずに真顔で返答をしてしまう。──しまった、そう思った時にはもう手遅れだった。キョウシちゃんの表情が見る見る険悪になっていく。
「勝手に行けば!それでいいんじゃないの!?」
ピシャリとそう言い放つと、キョウシちゃんは子猫を抱いて部屋から出て行ってしまった。そして俺たちの久し振りにゆったりした食事は最悪の状況で幕を閉じた……。
結局、少しもくつろげなかったなぁ。
ジョーシさんが入り組んだ街中を歩いて行く、俺にはここが一体どの辺りなのか全く分からない。それでもジョーシさんは確信的な足取りでズイズイと進んで行く。太もも辺りに手をやっているのを見ると、俺たちが居るのはその辺りなのだろうと思う。
キョウシちゃんの時とは違い、街の人たちが語り掛けてくる事はなかった。それどころか一定の距離を取られている。これもジョーシさんの人徳と仏頂面のなせるワザだろう、しかもローブで深々と顔を覆っているから更にタチが悪い。
「ちゃんとついて来て下さいね、はぐれても知りませんよ」
「へいへい……」
どうやら寄り道一つする気はないらしい、迷ったら本気で捨てて行かれそうだ。ジョーシさんのやっかいな体質はいまだに健在で、この子にとって教団の繁栄は余り喜ばれたものでもないらしい。
しかし……、と周囲を見回すが本当に場所が分からない、以前は方角ぐらいなら分かったのだが今はそれもない。なぜだろう?
その原因は直ぐに思い当たった。そうだ、剣だ。以前は見えていた山に刺さった巨大な剣、その姿を見れば最低限の方角は分かったのだ。
だがそれが消えてしまった事で、何も分からなくなってしまったのだ。だから今は時折建物の隙間から見える山肌を目印にするぐらいしか手段がなかった。
「そういえばジョーシさん、剣が無くなって悲しかったりしないの?」
「……剣ならあります」
ジョーシさんはそう言うと俺に強く握り締めた短剣を見せた。確かにそれも神の剣だが、俺が言いたかったのはそういう事ではない。
「そうじゃなくてさ……」
「言いたい事は分かります、最初は少しショックでした。それこそ家にこもって出たくないと思うぐらいに」
やはりそうだったのか、それらしい素振りは一切見えなかったが。やはりこの子たちにとって神の剣はそれほどの存在なのだ。
にしても剣がなくなって家に引きこもるとは誰の話だろう。神の剣を自分の男根とでも勘違いしているのだろうか。アソコがないから家の外に出たくないー!なんてな。
まったく、恥ずかしい奴だ。
「でも気付いたんです。ボクらにとって大事なのは信仰対象ではないという事に。大事なのは常に剣がボクらと共にある事です、それを信じられる事です。そういう意味では今までよりもずっと身近になったとさえ思っています、これは姉さんも同じ考えです」
「そうか……」
剣はあった、この子たちの中に。俺なんかよりよっぽど強い剣だ。仮に剣がバラバラにされても折る事は出来ないだろう。
建物の隙間から神の山を仰ぎ見る。その山頂に剣の姿は無いが、この子たちにとってそれはもう関係ないのだ。その何もない山頂は願望の間で見たのと同じ山だ。きっとあそこに剣がなかったのもその必要がなかったからだろう、小さなキョウシちゃんもヤドカリさんも互いに真っ直ぐなものを持っていた。
それは決して誰にも折れはしない。言うならば、剣とは生き方そのもの……。あ、これってちょっとカッコ良くない?
ジョーシさんに言おうと思ったが、前を見ると既に後姿すら見当たらなかった。慌てて曲がり角をいくつか覗くと、眉間にシワを寄せたジョーシさんが立ち止まっていた。
ああ、良かった……。
「ジョーシさん待ってー!」




