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剣の消失

「救世主さま……、どうして泣いてるの?」


 俺は死刑執行を待つ罪人の気分だった。いや、それよりひどい。あらぬ罪を押し付けられて処刑台を自らの手で作らされているような気分だった。

 死神ちゃんの人をあざ笑うような質問に俺は男らしくこう答える。


「ごめんなません……。どうかこま切れぐらいで勘弁して下さい」

「……こま切れ?」


 どうやら交渉の余地もないらしい、中々無慈悲な執行人だ。そのケロッとした表情が憎い。

 幸いこの子の腕なら傷みを感じる暇もないだろう。一瞬で全身がバラバラだ、下手したら粉々になっていく自分の体すら見る事が出来るかもしれない。自分の体がケシ粒のようにされていくところを見ながら死ねる人間なんてそうは居ないだろう。レアだ!何も嬉しくない!

 ああ、次にこの子の腕がフッとひるがえった時、俺の命は終わるだろう。そう思うとまた涙が溢れて来た。


「救世主さまも手間が掛かるわねぇ……」


 お手数お掛けしますね、痛くしないで下さい。死神ちゃんはため息交じりにそう言うと、フッと俺の方へ近づき俺の体を優しく抱きしめた。

 優しく抱きしめた……?


「もう大丈夫、危険は去ったから。……私を守ろうとしてくれたのよね?分かってる」


 そして俺から静かに体を離すと、俺の顔を見て少し眉を寄せた。きっと俺がひどく真顔だったからだろう。それが自覚できる程度に俺の思考は停止していた。

 この子は何を言っているのだろう、1ミリも理解できない。危険は今俺の目の前に居るあなたで、守ろうとしているのは俺の終わりかけている命で……。

 とりあえず優しい言葉を掛けて油断させてから息の根を止めるつもりだろうか、きっとそうに違いな──。


「はい、返すね」


 死神ちゃんは手にしていた二本のカマ、じゃなくて剣を一本俺に差し出した。大きな音をたて鼻をすすり上げると、俺は恐る恐るそれを受け取った。

 どういうつもりなのだろう……?掛かって来なさい!とか言い出しそうだ。気分的には今直ぐ目の前に剣で壁を作りたかったが、挑発するようだからやめておく。

 すると死神ちゃ、いや、キョウシちゃんはスッと視線を上げた、その先には巨大な剣がある。膨大なサビを今も生み出している巨大な剣だ。その刀身の半分はサビで覆われて見る影をなくしている。しかし間違いなく神の剣だった。


「これってやっぱり、そうよね」


 独り言のようにつぶやくと、キョウシちゃんは手に持った剣を頭上にかざした。この巨大な剣と見比べているのだろう。釣られて俺も剣を上げる。

 神の剣──、それは山に突き刺さった巨大な剣だ。遥か昔に神々が戦いに使ったとされている謎めいた剣。なぜか忌み嫌われた時期もあったが、今や教団と共に大きな信仰を集めている立派な依り代(よりしろ)だ。

 その山に埋まった部分がどうなっているかなんて、誰も知らなかったし知ろうとも思わなかった。だが間違いなくこれは神の剣なのだろう。俺たちが今居る場所は山の根元、山すそから掘っていた穴の直ぐ真横だった。

 まさかこんな近くにあって気が付かなかったとは……。


「やっぱりこっちは味方って考えていいのよね?」

「味方……。ああ、そうなのかも」


 こっちとは恐らくこの剣の事だろう、それは今もサビであろう黒い塊を生み出し続けている。それは吐き気のするような光景だったが、今の俺たちにはきっと救いなのだろう。

 どれだけの距離をこの黒い塊に追われて来たか。それを思うとゾッとしたが、俺たちを追って来たのは今剣が生み出している物とは別の物。見た目こそ同じだが違うものなのだろう。剣が俺たちを守ってくれた、恐らくそう考えて間違いないらしい。

 裏切られたと思ってました、すいませんでした。


「ぷっ、何してるの?救世主さま」

「いや、一応祈っとこうかと思って……」

「似合わないからやめてよね」


 両手を合わせた俺になぜかキョウシちゃんが笑い声を上げる。そんなにおかしかっただろうか、別に誰が祈っても問題ないだろうに。次期教祖のお言葉とは思えない。

 そういえばもう一つ引っ掛かった言葉があった。


「キョウシちゃん、どうやって味方かどうか判断したんだ?」

「え……、どうやってって。そりゃあ、ほら。あれじゃない、ね?」


 キョウシちゃんは一人でうなずいたり指先をあっちこっちに向けている、だがそんな事では俺に何も伝わらない。そもそも単語が一つも存在しないのだ、それでどうやって分かれというのか。

 あの激しい音と光の中でぶつかり合っていた黒い物体。俺からすれば両方とも敵にしか思えなかったし、今もその疑いが完全に消えた訳ではない。しかしこの子は判断したのだ、敵と味方を。そしてその斬撃によって明らかに戦況を塗り変えた。そのせいで対等な力を保っていた二つの力は一気に均衡を崩したのだった。

 下手をしたら俺たちだって死んでいたのだ(死を覚悟してはいたが)、その判断がどこから来たのか知りたいと思っても不思議はないはずだ。命の掛かった重大な決断だった、決して軽い思いつきや適当な考えでされた行為ではないと俺は信じていた。


「こっちが味方っぽかったから……?ね、だからかな」

「ああ……、そっか」


 どうやら軽い思いつきや適当な考えだったようです。

 その言葉に俺は全身の力が抜けるのを感じた、軽いめまいまでする。この子の思考が理解できない、同じ言葉を使っているとは思えない。その味方っぽいとはどういう意味なのだろう、どこにどう違いがあったのだろう。どっちもただの黒い塊じゃないか。

 怖い、この子怖い。仮に人が襲われている情景があったとして、とりあえず悪漢ぽい人に事情も聞かずに八つ裂きにしました、なんて事を平気でしでかしそうだ。それは人助けではない、ただの犯罪者だ。


「あ、ほら。だってこっちに神の剣があるし、やっぱりそうじゃない?」

「……」


 キョウシちゃんは思い出したようにそう付け加えた。確かにキョウシちゃんが加担したのは巨大な神の剣から出たサビだった、神の剣は俺たちの味方のはずだ。次期教祖としてはもっともらしい発言に思われたが、その取って付けたような説明に説得力は少しも感じられなかった。

 運が良かったのだ、俺はそう結論付けた。破壊神の気まぐれがたまたま上手くいっただけ。どうせ一度は捨てた命だ、細かい事は気にするな!そんな風に俺は自分に言い聞かせた。ああ、生きてるって素晴らしい……。

 俺は静かに巨大な剣を見上げる。サビで覆われたその姿に軽い幻滅を覚えはしたが、それでも最初ほどの衝撃はなくなっていた。むしろこんな姿になっても俺たちを守ってくれている事に感謝すべきなのだろう。

 そう考えると不思議と親近感が湧いて来た、やはりこれは神の剣なのだ。今までに何度も見上げ、軽い憧れや強さへの幻想を抱き続けてきたあの巨大で安心感のある剣なのだ。


「あっ」


 突然キョウシちゃんが声を上げた。その目は俺と同じく剣を見上げている。何かに気付いたような顔をしているが、俺にはその原因が分からない。再び目を向けたが、剣にはなんの変化も見られなかっ──。と思ったら何かが落ちた。巨大な刀身からサビ以外の何かがポロリとこぼれ落ちた。

 なんだろう……?俺は剣の方へと歩み寄る。


「救世主さま、待って」


 キョウシちゃんはそう言うと俺の服をつかむ、完全に停止させられている自分が悲しい。なぜ止めるのだろう、この剣は味方ではないのか。なら近づくぐらい平気なはずだ。

 するとまた何かが刀身からポロリと落ちる、今度は前よりしっかりと目でとらえられた。その物体はサビとは色が違っている、そして細長く僅かに光を反射していた。そのまま地面に落ちると、カラカラと澄んだ音を響かせていた。その形、大きさ、全てに見覚えがある。この物体は──。


「剣だ……」


 これを見間違う事があるだろうか。今も俺の手に握られた剣、それと全く同じ大きさの剣が落ちて来たのだ。これは一体どういう事だろう……?そして見上げた俺の目に映ったのは理解を超えた光景だった──。

 剣の雪崩、そう形容するしかなかった。無数の剣が巨大な刀身からこぼれ落ちて来る。まるで雪山が小さな雪だるまをばら撒くように、次から次へと剣から剣がこぼれ落ちて来る。そしてそれは足元に落ちると割れるような産声を上げて次から次へと積み重なっていく、俺はそんな理解不能な光景を口を開けて眺めていた。


「救世主さまっ!」


 俺は強大な力で背後から引き抜かれる、そのまま簡単に引き倒された俺は足元にいくつもの剣が転がるのをただ見詰めていた。

 割れ鐘のような音が響き渡る、何度も何度もこだまする。再び耳をつんざくような音の後に残ったのは、大きな物足りなさだった。今度の物足りなさは耳だけではない、目と心の中にも大きな空洞が出来上がっていた。なぜなら……。


「あれ……?消えた?どこ行ったの?」


 頭上の剣が消えていた、巨大な神の剣が。発していた光と垂れ流すようなサビも共に消え、そこにあるのは遥か頭上から射す僅かな光だけだった。


「剣が、砕けた……?」

「え、救世主さま。何を言って──」


 俺のつぶやきにキョウシちゃんは途中で言葉を失う。信じられないけれどそれを認めざるを得ないといった様子だ。その心境は俺も同じだった。

 そんな俺たちを次に襲ったのは大きな歓声だった。遠くから響くような声、何かを奮い立たせるような大きな声だ。それはどうやら頭上から聞こえて来るらしい。


「今度は何……?」


 キョウシちゃんが顔を上げる。その先には空洞があった、巨大な空洞だ。神の剣があったであろう場所に大きな空白が広がっていた。声はそこから聞こえて来るのだろう。

 だがその声も俺には無意味なように思われた。神の剣が消えた、今も足元に転がる無数の剣を残して、その本体のような存在が何事も無かったように姿を消していた。その事実が俺の心を空虚にしていたのだ。

 一体何が起こったのだろう。歓声は鳴り止もうとしない、どこかで大勢の人たちが力強く叫び続けている。だがその声は俺にはどこまでも虚しく感じられた。

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