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剣の犠牲

「おらぁ!うらぁ!」

「救世主さん、もういいでしょう。先へ進みましょう」


 俺たちはまだ喋る岩の前に居た。俺的にはこの岩をもっと形が無くなるぐらいに切り刻んでグチャグチャにしたかったのだが、あいにくそんな暇はないようだ。

 キョウシちゃんなら直ぐに出来るのになぁ……。


「さすがにそろそろ不安になって来ました。ペースを上げましょう」

「……分かった」


 どうやら危険な事態になっているらしい、だが残念な事に俺にはそれほど緊張感はなかった。俺の中の何かは完全に緩み切ってヨダレを垂らしてしまっている。

 仕方ないのでせめて顔の筋肉だけでもこわばらせて置く。


「救世主さん、にらめっこでもしたいんですか?顔より足を動かして下さい」

「……はい」


 螺旋状に作られたなだらかなカーブの道を登って行く、最初の頃に作った穴だ。ようやく帰って来たという実感が湧いて来る。

 もう少しで家(馬小屋)に戻ってゆっくり出来るのだ、こんなに嬉しい事はないっ……!


「その前にサビどもを何とかしないといけませんけどね」


 救世主としてまだ活躍できる事があるのだ、こんなに嬉しい事はないっ……!


「救世主さん、顔が完全に嫌がってますよ」


 全く嬉しい事はないっ!


「嫌なんですね……、まぁボクもそうですけど。あ、そういえば救世主さん、暗黒面って何ですか?」

「……それに触れてしまうのか」

「いえ、別に無理には聞きませんが……」


 いくら親しき仲であっても言える事と言えない事がある。むしろ親しいからこそ言えない事だってあるのだ。俺の心にある古傷(ついさっき出来た)に触れてしまっては、例えジョーシさんといえどもただで済むとは思えない。


「だから、無理には聞いてないと言ってます」


 しかし俺と関わった人間は少なからずその影響を受けざるを得ない。それが俺という人間と、切っても切れない過去という秘められた罪深い業の螺旋のうんたらかんたら……。


「じゃあ、もういいです。次の空洞に出ますよ、ここは何の場所でしたっけ」


 俺の罪深き過去の話。言いたい、でも言えない!言うほど大した事もない、でも誇大妄想も込めて言ってしまいたい!ああ、言いたい、でも……。

 あるって言いたい~♪それでも言えない~♪


「もういいですってば、なぜ歌うんですか」


 そんなナイーブな乙女心を持て余していると、俺たちは広い空洞に出ていた。薄暗い場所だ。中央がへこんでいて見えないのはそこに大きな穴が開いているからだ。

 そう、ここは確か──。


「肉球が転がっていた場所ですね」


 えっと……、間違ってなくはない。でも言い方って大事だと思う。

 ここは猫袋が暴れた場所だ。巨大化して空洞の天井に押し潰されそうになった子猫、それを救う為にキョウシちゃんが穴を掘って広げたのだった。

 確かに巨大化した猫が転がってはいたが、そんな生易しい言葉で片付くものではなかったように思う。

 あの猫袋の巨大な爪や光る目を思い出すと思わず背筋が寒くなる。だがその攻撃を颯爽とかわしながら俺の華麗な一撃が猫袋の心を射止め、奇跡的な展開によってその命を救い出したのだった。

 なんだ、いい思い出じゃないか。


「……救世主さん。その記憶、改変されてませんか?」

「人というのはそういうものだ」


 思い出話をするとその内容が人によって違っている事はままある。それぞれの見ている部分が違うからだ。更に記憶はそれぞれの都合によって歪められたり編集される。人とはそういうものなのだ(断言)。

 しかしジョーシさんは何を思い出しているのだろう。空洞を眺めながら珍しく口元をゆるませている。巨大猫と戯れた思い出にでも浸っているのだろうか?そんな事実があったとは思えないが。

 そういえば俺にとってもいい思い出は一つあった。それはヨージョさまだ、確かあの時そこのくぼみからお顔を現されてそのお姿をあがめる事ができ──。


「のんびりしてないでさっさと行きましょう。余計な事を考えている暇はありません」


 足を止めたのはジョーシさんの方だというのに、ちょっとヨージョさまの名前が出ただけでこの剣幕。怒られる俺の身にもなって頂きたい。


「暗黒面の話はもういいんですか?」

「その話をしてしまうのか……」

「別にどっちでもいいです」


 ああ、俺の忌まわしき過去よ!愛ゆえに……、愛ゆえに人は暗黒面に落ちねばならない!

 って何か簡単に話題を切り替えられた気がする、上手く操作された気がする。それほどヨージョさまの話をされるのが嫌らしい。俺も中々ちょろい。

 っていうか暗黒面てなんだよ、なんの力だよ。……俺だって知るか!


「……何でしょう、あの光」


 再び足を止めたのはジョーシさんだった、先を急ぐのではなかったのだろうか。その視線は中央のくぼみに向いている。

 釣られて俺も視線を向けると、光だ、確かに光があった。しかもどこか覚えがある神々しい光……、まるでデジャブだ。俺はこの光景を知っている。

 ジョーシさんが生つばを飲む、光が近づいて来るように徐々に大きく広がっていく。俺は思わず両手を合わせていた。

 俺の中にも存在していたらしい信仰心、光の源であるその方はついに薄暗いくぼみからそのお姿を現されたのだった──。


「どうしてここに……!?」

「おお、ヨージョさま……!」


 ああ、ありがたや、ありがたや。再びその姿をあがめる事が出来るとは。

 まるで太陽が空へと上がっていくように、少しずつ上へスライドするようにヨージョさまの横になったお姿がくぼみから浮かび上がってくる。俺はそんなお姿を日の出でも眺めるように見つめていた。

 その胸元には太陽が二つ、そして腰から太ももへのラインには大きな月が。それは天地創造を見ているようだった。

 太陽と月とエロス。神秘的で謎めいた微笑が突き放される印象とむしゃぶり付きたい劣情を奮い起こさせる。その秘密のベールをはいでしまいたい、でもそんな事おこがましい。相反する気持ちを同時に味合わされる、不思議なお方だ。

 しかしなぜ急に姿を現されたのだろう、まるで歓迎でもされているかのようだ。……そうか、これはきっとヨージョさまが俺たちにおかえりと言って出迎えてくれて──。


「これは……!?」

「あれ?」


 ヨージョさまの姿はどんどん上へと持ち上がっていく。そしてその下でヨージョさまの乗った御輿を持ち上げていたのはいつもの男たち、ではなかった。御輿の下から顔を出したのは黒いトゲのような塊だった。

 唖然とする俺たちに見向きもせず、黒いトゲはヨージョさまのお体を天井まで持ち上げる。そしてなんの躊躇もなくその横たわった美しい体を、天井の壁とトゲの先で両断した。


「……やりましたね」

「あああああ!?ヨージョさまー!?」


 ジョーシさんの満足気な声が聞こえた気がしたが、そんなものは耳に入らなかった。真っ二つになったヨージョさまの体は光と共にくぼみの中へと落ちて行く、そして再び闇と絶望が姿を現したのだ。光を失った世界に黒い塊という闇が……。

 神は死んだ!


「大丈夫ですよ救世主さん。残念ですがあの肉袋が真っ二つになろうが粉砕されようが、本物のお姉さまは傷一つ負いません。なので非常に残念です」


 大丈夫なのか残念なのか、その時ジョーシさんが俺に掛けた言葉は中々解釈に困るものだった。その口調も喜んでいるのか悔しいのか、俺に向かって言っているのか独り言なのか。きっとジョーシさんにも分かってはいなかっただろう。


「あああ……!?」


 偶像を目の前で壊され、急に失意の底へ落とされた俺は声を上げ続けていた。それでも心の隅で思っていたのは、この場所にキョウシちゃんが居たら拍手喝采を送っていたかもしれない──。そんなこじれた姉妹の姿だった。


「余韻に浸っている場合ではありませんね」


 妙に冷静なジョーシさんの声がする。それがなんの余韻なのかは分からないが、異常な事態であるのは理解できた。ああ、でも。ヨージョさま……。


「何とか間に合いそうです、お姉さまが時間を稼いでくれたのかもしれません」


 ジョーシさんはそう言うと、うな垂れた俺の腕を引いて歩き出した。そしてくぼみの側へ来ると足を止め、中を覗き込む。まるで俺にもそうしろと言っているようだ。

 くぼみの底には薄い光が二つあった、だがヨージョさまの姿はもう見えない。隠れてしまったのだろう、その上にいくつも積み重なった男たちのバラバラになった肉片がある。

 奇妙な光景だった、分かってはいるがその肉片は一滴の血も流してはいない。ヨージョさまの体もそうだが全ては地下で作られたまがい物、三女さんの言う通りただの肉片なのだ。

 そして最も注視すべきなのは、その中央を貫いて伸びている黒い物体だろう。バラバラになった男たちの肉片をその胴体から生えたトゲで更に斬り付けながら、脈打つように少しずつ上昇している。地の底から伸びた禍々しい黒い物体……。

 ついにここまで来てしまったと言うべきか、それとも間に合ったと言うべきなのだろうか。とにかくこいつが街に辿り着く前に俺たちがなんとかしなければならない。


「救世主さん、大丈夫ですか?」

「ああ……、行こう!」


 俺たちは目を合わせるとうなずき合った、何やらクライマックスのようなものが近づいて来ていた。ヨージョさまは身をもって俺たちにそれを知らせてくれたのだ、あなたの犠牲は無駄にはしません……!


「だから、残念ですが無傷ですって」


 一体何が残念なのか、感想にいくらか食い違いはあったが俺たちの目的は完全に一致していた。そしてただ道を急いだ、そこから先の空洞には脇目も振らずにただ歩き通した──。

 トイレの間、炎の間、昼寝の間……。それら全てが懐かしく、しかしこれから来るであろう凶暴なサビの塊に飲まれてしまうと思うと名残惜しかったが──。


「脇目も振らないんじゃないんですか?いちいち止まろうとするの、やめて貰えませんかね」


 名残惜しかったが雑念を払うようにして俺たちは歩き続けた。せっかく俺が掘って来たのに……、ちょっともったいないじゃないか。


「自分や信者たちの命より大事だと思うならいつでも立ち止まって貰って構いませんよ」


 この子は男心が分かっていない。結婚したら絶対に旦那の趣味や思い出の品を勝手に捨てるタイプだ、悪妻とまでは言わないが冷たい嫁だ。

 そして泉の間へと辿り着くと、俺は思わず泉の中へ頭を突っ込んでいた。


「救世主さん」

「あ、ジョーシさんも飲む?」

「いえ、それよりボクは先に行きますね。救世主さんはここであれを待ちうけて下さい」

「え……?俺一人で!?」


 ジョーシさんは一体何を言っているのだろう、っていうかヤだ。

 首を横に振る俺に合わせるように、ジョーシさんは首を縦に振っている。どういう事だ、やはり何もかみ合ってなどいなかった。

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