剣の目的地
悪質な落とし穴からなんとか引っ張り上げられた俺は、次の空洞へ来ていた。
しかしひどい罠だった、あんな物を作った奴はきっと性格がねじくれていて陰険な奴に違いない。俺なら絶対に関わりたくない。
「あれはマンティコアを落とす為にボクが作ったんですよ、覚えてませんか?」
しかし素晴らしい罠だった、あんな物を作れる人はきっと頭が切れて魅力的な子に違いない。俺なら絶対お知り合いになりたい、……よね?
「あの、独り言ならもっと小さな声で言って下さい。というか……、もう聞こえるように言ってますよね?」
だってほら、色々答えてくれるから楽だなって思って。……ごめんなさい。
「そういう事はちゃんと顔を見て言って下さい」
そんな事より!俺たちは次の空洞に来ていた。薄暗い草原だ、余り覚えのない場所なのだが。ここには一体何が居たのだろう……?
「さっきも言いましたがマンティコアです。ここで襲われて逃げたんですよ、何も覚えてませんね」
そうだった、ここにあの恐ろしい奴が居たのだった。この場所に覚えがないのも仕方ないだろう、入って直ぐ襲われたからだ。いやぁ、懐かし──。
背後から大きな金属音が響いて来た、それは恐らくキョウシちゃんがまた一つ空洞を抜けたという証だ。黒い塊は俺たちの方へ徐々に徐々に近づいて来ていた、懐かしがっている時ではない。
「さぁ、先を急ごうか」
「え、あ、はい」
ジョーシさんの受け答えが少しおかしい、だが俺は気にせず次の空洞へと進んだ。……次の空洞へと、あれ?空洞へ続く穴がない。
「救世主さん、ボクたちが来たのはここまでですよ」
「あ……、そうだっけ?」
「凄い記憶力ですね」
呆れるようにジョーシさんがつぶやく。
そうでした、俺たちは髪の長い女と化したキョウシちゃんからずっとここまで逃げて来て、ここで更にマン子さんに挟まれてしまったのだった。
マン子さんに挟まれてしまったのだった。
「なぜ二回言うんですか。……どうしてこういう時だけボクの顔をちゃんと見るんですか、やめて下さい!」
ふざけている場合ではない、つまりこれ以上道はないのだ。ついに俺たちは追い詰められてしまったという訳か……。
いつかはこの時が来ると思っていた、覚悟を決めなければいけない。よし、ここは思い切って遺書でも書くか!それともキョウシちゃんを待って華々しく結婚式でも挙げ──。
「救世主さん、何を泣きそうな顔をしてるんですか。そんなに穴掘りがイヤならボクが代わりにやりますよ?」
「……掘る?」
「そうですよ……?他に何か方法がありましたっけ」
そうか、掘ればいいのだ。何を勘違いしていたのだろう、俺たちは決して追い詰められた訳でも尻に火が付いた訳でもなかった。尻に火を付けてコンガリあぶった訳でもなかった!
まるで翼でも授けられた気分だ、実際にするのはモグラ同然の行為だが。とにかく俺たちはまだまだ逃げられる、どこまでも逃げられるんだ!
「食料と飲み水の問題があるので、実際は5日も掘り続けられないでしょうけどね」
やはりダメだ、俺たちは土の下に埋もれて人生を終わってしまうのだ。こんな日の当たらないジメジメした土の中で、誰に看取られる事なく自分たちの墓穴を掘り続けて力尽きるのだ……。
こんな悲しい人生でいいのだろうか、どうせならここはドサクサ紛れに二人の体を揉んだりまさぐったりし──。
「でも泉の例もありますからね、掘り進めば何か少しは口にする物が手に入るかもしれませんよ。まぁそう簡単に見つかるとは思えませんが」
そうだ、可能性はあるのだ。掘り進めさえすれば水や食料、更にはまた女体に辿り着けるかもしれない。そうだ、女体だ!まだまだ眠れるお宝は沢山あるのだ。
希望は捨ててはいけない、煩悩も捨ててはいけない。欲望に際限がないのなら俺の可能性も無限大の無制限だ。
「あの、救世主さん。浮き沈みが激しくて楽しそうなのは何よりですが、少し気になっている事があるんです」
「……自分で上げたり下ろしたりしておいて、その言い分はちょっとひどくないだろうか」
「救世主さん、ハッキリ声が出てます」
おっといけない、思考が完全に漏れている。独り言が多い人のレベルを超えている。これでは完全にちょっとした不審者だ、気をつけねば。
「そんな事より聞いて下さい。気付いた事があるんです」
「ジョーシさんは確信めいた口調でそう言うと、服を脱ぎ出した」
「嘘はやめて下さい、何を口走ってるんですか」
「言ってみただけです。続けて……」
ジョーシさんの視線が冷たい。俺だってちょっと不安だったのだ、あらぬ妄想の一つや二つ許してくれればいいのに……、ケチ。
あ、ごめんなさい。聞いてますよ。
「……ボクたちがこの通路を選ぶ前に大きな分岐がありましたよね?」
「ジョーシさんが道を間違えた場所か」
「どうしてそういうのはしっかり覚えてるんですか……。まぁいいです、あの時に道が封鎖されてましたよね?サビどもが柱のようになって道を埋め尽くしていたんです、覚えてますか?」
確かそうだった。誰かさんが道を間違えた事に気付かず進んで行くので、俺が強引に正しい方向へ突っ走ったのだ。だがその道は黒い塊によって完全に封鎖されていた。ジョーシさんが一撃を入れても全く歯が立たなかったのだ。
つまり、ここから導き出される結論は……、ジョーシさんのへっぽこ具合が過去最大級に──。
「あれはボクたちの行く手を閉ざそうとした訳じゃないと思うんです。ボクたちに目もくれずに上へ上へと突き進んでました。恐らく何か意志があって地上へ向かってると思うんです」
「……でも俺たちの事も追って来てるよね?」
「その辺の事は分かりません……。でも地上へ向かっているのも確かだと思います」
あの地獄や天国で散々追い回されて来たのだ、俺たちを狙っている事に間違いはないだろう。それでも上へ突き進んでいるのも間違いはなさそうだった。
「……で?」
「で?じゃないでしょう、救世主さん。街が狙われているんですよ?信者の方々が危険な目に会うかもしれないんです。それを黙って見ているならあなたは一体何なのですか!?」
「ダダーン!?」
「随分、余裕のある驚き方ですね……」
そうだった、俺は救世主なのだ。自分の身だけでなく街の人々も守らねばならない。
前に俺を追い回したり袋叩きにしようとした不埒な連中ですら守ってやらねばならないのだ。ちょっとぐらい痛い目を見ればいい、なんて思っていてはいけないのだ!特に俺を追い回した連中だけは痛い目を見ろ、などと思ってはいけないのだ!
「救世主さん、案外根に持ってますね……」
「当然だ!」
「威張って言う事じゃないです」
「うぐぐ……!」
「とにかく今は私怨を捨てて下さい。彼らだって決して悪意からやった訳ではないのでしょう?街から不審者を排除しようとしただけです。救世主さんだってその場に居れば同じ事をしていますよ」
「でも、だって……、でも、ども、ぐも、ごむぉ……!?」
「せめて言葉を話して下さい……」
俺の中で何かが二つに分離しそうだった、それぞれが弾け飛びそうになっていた。正義の心と復讐の心だ、それらは互いに熱い血流となって俺の体の中を駆け巡っていた。
俺を形作る澄んだ血流と濁った血流がぶつかり合っている、そして互いをけん制し合っている。何かを守りたいと思う力と破壊したいと願う力が俺を二つに引き裂いて分断しようとしていた。
俺は一体どうすればいいんだ……!?
「街には救世主に憧れる若い女が沢山居ますよ」
「守ろう!何を迷う必要があるんだ、守るしかないだろ!?だって俺、救世主だもん!」
俺の二つの血流は激しく混ざり合うと、少しの乱れもなく下半身へと吸い込まれていった。そうか……、これこそが愛!力や憎しみを超えるもの。
もう正義とか悪とかどうでもいい、そんな事は問題ではないのだ!
「……信者を愛する救世主を持って、教団はとても幸せです」
「そうだろうそうだろう」
「今のは嫌味です」
「……そうなの?」
ジョーシさんは長いため息を吐くと俺に向かって言った。
「とにかく地上へ向かいましょう。サビどもの目的は分かりませんが、信者の方に何かあっては教団の沽券に関わります
「俺の股間にも関わる!」
そうだ、俺は守らなくてはならない、いたいけな信者たちを。救世主を待ち望む可愛い信者たちを。その心から不安や恐怖を取り除いてやらねばならない。
俺がやらねばならないのだ、救世主であるこの俺が。待っていてくれ、心優しい信者たちよ!(ただし女に限る)。
「……」
「さぁ、行こうか!」
俺は冷凍光線のようなジョーシさんの視線を受けながら剣を振り上げる。ここから俺たちの快進撃が始まるのだ、まさしく救世主としての活躍が。
そしてあの邪悪なサビの塊どもから信者たちと教団を守り通し、真の救世主として世界中にこの存在を知らしめるのだ。
剣が俺の決意に応えて脈打つように震える、俺は足を踏み出すと地上へ向けた最初の穴を掘り出し──。
「ちょっと待って下さい!」
「はいっとっと……!」
急な呼び掛けに俺は体を泳がせる。今いい場面だったよね?ここからって時になんなの。やめてくれない?
「救世主さん、掘る向き分かってますよね?上ですよ、上」
「……分かってるよ」
「そうですか、剣を振り上げていたので下に掘るのかと思いました。失礼しました」
「気分が台無しじゃないか……」
気を取り直して俺は剣を振り上げる。ここから俺たちの快進撃が始まるのだ、まさしく救世主としての活躍が。
俺は足を踏み出すと地上へ向けた最初の穴を掘り出──。
「ちょっと待って下さい!」
「はいっとっと……。ってまたかよ!」
「姉さんにも確認しておきましょう、疑問に思われるかもしれませんので」
「うん……、まぁ」
ジョーシさんは空洞の入り口へ戻ると大きな声で叫んだ。
「姉さーん!今から地上へ向かいますねー!」
「あー……、いいんじゃないのー?」
展開が理解できているか分からないが、次期教祖さまのありがたいお言葉が返って来た。どうやら戦略めいたものは全て妹に任せてしまっているらしい。
信頼関係と言えば聞こえはいいが、完全にオンブに抱っこではないか。これでいいのか時期教祖。
「じゃあ、お願いします」
「うん……」
気を取り直して俺は剣を振り上げる。そして足を踏み出すと地上へ向けた最初の穴を掘り出し──。
「……いいの?」
「はい、どうぞ」
た!




