剣の再木
俺の前に一本の木が立っている、俺と背丈の変わらないぐらいの木だ。その幹にはお盆のような円形の土が付いていて、何やら神々しい光を放っている。これは確か……、”世界”の木。
土の上にはいくつもの小さい生き物が動いていて、何やらとても愛らしい。部屋に置けばペットと観葉植物の両方の役割を果たしてくれそうだ。一家に一本、あると嬉しい”世界”の木。
「懐かしいなぁ」
「そうですね」
独り言のつもりだったのだが意外な返事が返って来た、ジョーシさんだ。説教を終えていくらか機嫌が直ったご様子のようだ。
時間の都合で早めに切り上げられたらしいお説教にはまだ続きがあるらしい。が、とりあえずまともに会話が出来るようになったので良しとしておく。続きを忘れてくれれば完璧なのだが。
「……何ですか、ボクが懐かしがったらダメなんですか?」
「いや……、別に」
なぜかジョーシさんに睨まれる、意外だったから少し顔を向けていただけなのだが……。やはりまだ怒りは収まり切っていないらしい。
視線を戻すと土の上で小さな石の人形のようなものが歩き回っている。木の放つ神々しい光も相まって、なぜかとても穏やかな気持ちになる。
「さぁ、いつまでも見てないで逃げましょう」
「ああ、そうだな……。先を急ごう」
そうだ、俺たちは逃げている最中なのだ。いつまでも思い出旅行をしている訳にはいかない。今この時もキョウシちゃんは戦っているのだ、その行為を無駄にしてはいけない。
「あの、救世主さん?言葉と行動が一致してませんよ」
「ああ……、そうだな。先を急ご……うーん」
なぜか足が動かなかった、どうした俺。
フと鳥の人たちのその後が気に掛かる、やはりあの黒い塊に呑まれてしまったのだろうか。なら次の犠牲はきっとこの木……。
俺は改めて木を眺める。小さな石の生き物やシカや蛇、その他もろもろの小さな生き物たちが何やらたくましく活動している。
あの時、恐怖に取り付かれたキョウシちゃんに真っ二つにされたこの木。それが時間を掛けて元の姿に戻ったのだ。なのに今度はよりによって黒い塊に呑まれ、今度こそ再起不能にされようとしている。天上人や爺さんと同じ場所へ連れて行かれようとしている。
「なぁ、ジョーシさん。これ持って行っても──」
「ダメです」
ダメらしい、ハッキリと言われてしまった。しかも食い気味に。なぜだ……!
「少しぐらいならいいんじゃないかな。ちゃんと俺が持つからさ」
「ダメです」
「……どうして?」
「ダメに決まってるじゃないですか!今がどういう時か本当に分かってるんですか!?」
また怒り出してしまった。だがジョーシさんの言う事はもっともだ、今は当然こんな木に構っている場合ではない。俺も一応、分かってはいる。
だがこの木はどうなる、この小さな生き物たちは。こいつらだって生きてるんだ、そしてこいつらを守れるのは俺しか居ないのだ。
ここで再びこいつらを見捨ててしまえば俺の中の何かが死ぬ、そんな気がするのだ。
「今が危険な時なんて事は重々分かってるさ、それでも俺はこいつらを見捨てて逃げたくないんだ!」
「……何て言われようがダメなものはダメです」
「じゃあさ……、これだけならいいよね。この土の部分と人形みたいな生き物と、あっ、そこのシカもいいかな?」
「ダメですってば!」
「そんな荷物にならないから、ちゃんと俺が持つから!」
「ダメったらダメです!」
なんて聞き分けがないのだろう、これではまるで俺が駄々をこねる子供ではないか。あれ買ってあれ買って!とわめく迷惑な子供だ。なぜか俺たちは駄々をこねる迷惑な子供とそのお母さんの関係になってしまっている。
違う、違うぞ。俺はわがままを言っている訳ではない、これはちゃんとした人命救助だ。決して我欲を満たそうとしている訳ではないし、子供とお母さんのプレイを楽しんでいる訳でも断じてない!
「ちょっとだけだから、直ぐ済むから!」
「ダーメーでーす!」
「先っちょだけ、先っちょだけだから!」
「何の話をしてるんですか!?」
「……あれ?そ、そりゃあこの木の話だよ。決まってるじゃないか!」
おかしい、何かが空転している。こんな事でキョウシちゃんが必死で稼いでくれている時間を無駄にする訳にはいかないのだ。なのに俺たちは一体何をしているのだろう……?
刻々と迫る時間を前に、ジョーシさんと睨み合う俺の心が折れ出したその時だった。ジョーシさんがソッと俺から視線をそらせた。
「……分かりました。その代わり速くして下さいね、今この瞬間も姉さんは必死で──」
「分かってる、ありがとうお母さん!」
「お母さん……?」
「あ、いや……、直ぐ終わらせるから!安心してくれ!」
さすがジョーシさん、話が分かる。ここはちゃちゃっと用事を済ませて先へ進むべきなのだ。
「あの……、救世主さん」
「うん……?」
「どうして服を脱ごうとしてるんですか……?」
俺は自分の手を止める。どうして俺は下半身を露出させようとしているのだろう、何を早く済ませようとしているのだろう。頭が完全に別のモードに切り替わっていた。
「……あれ!?おかしいな」
「やっぱりふざけてるんですか?また怒りますよ!?」
「ち、違うって!ちょっと気が動転してただけなんだ!据え膳食わぬは男の恥、的な気分になってただけなんだ!誤解だ!」
「訳の分からない事を言わないで下さい!」
俺は慌てて脱ぎかけた服を元に戻す、そして本来の目的である”世界”の木と向かい合う。安心しろ、今すぐ助けてやる。
剣の切っ先を木へ近づける。どこを斬るべきだろう、そしてどこからどこを持って行くべきなのだろう。問題の回答を探して俺の超脳が超速で稼働する。持ち易い形を、体にフィットする究極の出来上がりを。まろやかで、それでいてしつこくない何かを。考えろ、考えるんだ……。
やがて俺の超脳は一つの映像を弾き出す。それはキョウシちゃんがあの時、情け容赦なくこの木をぶった斬った悪夢のような光景だった──。
「どうしたんですか?救世主さん。早くして下さい」
「ダメだ……、斬れない!俺には斬れないんだ!」
「何を言ってるんですか……?」
「そんな事をしたら俺もキョウシちゃんと一緒じゃないか!」
「安心して下さい、姉さんと救世主さんに同じ部分なんて一つもありませんから」
何か今、ジョーシさんの中にある俺たちの序列をハッキリと見せつけられた気がする。だがそんな事を気にしている場合ではない。
危うく俺はあの悲劇をもう一度繰り返すところだった、もう少しでこの木を自らの手で傷付けるところだったのだ。そんな事はさせない、悪魔の甘言に乗ってはならないのだ!
「斬れないのなら置いて行きますよ、いいですね?」
「え……、ヤダ!全部持ってく!」
「邪魔になるからダメですよ」
「ヤダ!ヤーダー!」
「一つありましたね……。姉さんと救世主さんの共通点」
ジョーシさんが珍しくうんざりした顔をする、レアだ。だがそれが決していい意味ではないのは分かった。
しかし俺にも譲れない一線がある、負けられない戦いがここにある。この木は誰も触れさせない、俺が小さな生き物たちを守るのだ。
「救世主さん、ふざけるのはいい加減に──、ふざけてませんね。どうしてこんな事で真剣になれるんですか……」
「ガルルル……!」
ようやく俺の真剣さが伝わったようだ。俺こそが番犬、この”世界”の木を守る守護者。
「でも、どうするんですか。何か方法があるんですか?根はしっかりと地面に張られているようですし、斬らずに動かすのはまず不可能だと思いますが」
「……あ、ほんとだ」
俺の素直な返事にキョウシちゃんがため息を返す。確かに盲点だった、なら俺は斬らなければならないのか、この木を。俺が守ろうとしているこの木を……。
キョウシちゃんの無慈悲な一撃が脳裏をよぎる──。落ち着け、あれとは違う。俺は生かす為に斬るのだ、あんな破壊神の残酷な一撃とは違う。落ち着け、落ち着くんだ……。
「救世主さん、無理ならもう行きましょう!いいですか?」
「いや、やる。今斬るから少しだけ待ってく──」
「何やってるのあんた達!?」
声の方に顔を向けると、そこに破壊神が居た。違った、キョウシちゃんが居た。
ズリズリとスライドするように押されながら空洞へ入って来る。その顔はいくらか驚いているようだ。
確かに俺たちもこんなに足止めを食うとは思ってもみなかった。ジョーシさんも口をポカンと開けている、まさに呆気に取られたというやつか。
「その、姉さん。違うんです、この木が──」
「そう、この木が問題なんだよキョウシちゃん!」
「そうなの?……分かった」
さすがキョウシちゃん、これだけの会話で通じるとは。これぞ以心伝心というやつだ、どこかの分からず屋さんとは違う。新婚生活が楽しみだ。
キョウシちゃんは振り返り俺たちの方へ体を向ける、そしてそのまま踊るようにクルリと一周回った。揺れるスソに魅入られていた俺に風が吹く。はて、この風は一体どこから来たのだろう?
「あ、救世主さん。崩れてます」
「何が……?」
俺に向かって崩れ落ちて来たのは”世界”だった。またしても俺の小さな”世界”は破壊神によって真っ二つにされてしまったのだ。小さな生き物たちがボロボロと転がり落ちてくる、そして俺の手をすり抜けていく。
ああ、ごめんよ。また守れなかった……。傾いてきた木の幹に頭を打たれ、目まいのような感覚におちいる。またしても……!
一瞬で全てが終わってしまった、これぞ破壊神の成せる業。一瞬でもキョウシちゃんと心が通じたと思った自分がバカだった。
「片付いたでしょ?さぁ、早く逃げて!」
「救世主さん、さすがにこれで切りがついたでしょう。行きますよ!」
「あぁ……」
「救世主さん!?」
悪夢は繰り返す、俺は目の前で再び起こったショッキングな光景に身動きが取れなくなっていた。心が萎えて力が入らない。そのまま木と一緒に体が傾いて行くのを感じていた。
「何してるの!?今度こそ飲み込まれるわよ!」
「──神の剣!お願いします!」
ジョーシさんの鋭い声に従って、俺の手元から剣が伸びる。そして俺の腹の下に潜り込むとボディーブローのような一撃を主人に食らわせ、俺の体を持ち上げた。そのまま爪先立ちのように走っていく。
そう、これぞケン剣!ってもういいか……。




