剣の腹の虫
「ふんふふん~ふん~♪」
「無駄に抵抗しなければもっと早く出られたんです、聞いてますか?救世主さん」
何やら鼻歌と小言が聞こえている、体がフワフワして妙な感じだ。いい夢を見ていた気がするが、どんな夢だったのかは思い出せない。もう一度眠ろうと思うのだが、小言と鼻歌のせいで眠れない。ああ……、腹減った。
「ふふん~ふふん~ふ~ん♪」
「起きていても余り聞いてないでしょうから、今の内に説明しておきますね。あの場所には特別な力が働いている、というか独自の意思のようなものがあるのは前に言いましたよね」
鼻歌と小言以外にもヒュンヒュンと風を切る音も聞こえている、外は風が強いようだ。小言も中々終わりそうにない、早く切り上げて朝食が食べたいな。……腹減った。
「ふんふん~ふふん~♪」
「地面が動いたり人をさらったりするあの力です。あの場所に留まろうとする人間を帰さない力、そしてその後ボクたちを襲っていたのはその逆の力です。つまり、あの場所にとって邪魔な存在を外に追い出す力」
眠い……、眠いのに眠れない。空腹なのに食べれない。体はフワフワして気持ちいいのに、何かが完全に満たされていない。うん?なんか頭も痛い……、なぜだ。
それと飯が食べたい、何か食うものあったっけ──?
「ふっふ~ん、ふふふ~ん♪」
「救世主さんより先にボクら二人を追い出したのは雲なんです、救世主さんを追い出したのと同じ。今救世主さんがその上で眠ってなぜか口の中でモグモグしているそれです。姉さんが雲に向かってやたらと毒づいたり煽ったりしていたのはそのせいです。だからワザと汚い言葉を使っていたんですね、きん○まとか──」
「たまっ!?」
その危険ワードで一気に目が覚めた。年頃の女の子が簡単に口にして良い言葉ではない、お父さん怒りますよ!玉に無理やり何をされたか言いなさい、出来る限り詳しく!
「ふんふ~ん♪あ、救世主さま。お目覚め?ふふん♪」
「……どうしたんですか、急に。ビックリさせないで下さいよ」
「もぐ……?」
俺は雲の上に居た、そしてこの口の中にあるのは……ペッぺっ!白くてなんの味もしない柔らかな物体だ、これは雲……?
おかしい、なぜまだ雲が。もしや俺の命懸けの脱出劇は全て夢だったというのだろうか。
「救世主さま、まだ夢でも見てるみたふふふ~ん♪」
「大丈夫ですか?救世主さん」
「大丈夫……、じゃないかもしれない」
俺の言葉にキョウシちゃんの鼻歌の音程が一段上がる。なぜか知らないが剣を振って踊っているようだ、風の音はこれだったらしい。何かいい事でもあったのだろうか。
俺の横でジョーシさんが小さくため息をつく。二人とも随分リラックスしているようだった、それに雲の上に居るのはどうやら俺だけらしい。二人の足元には地面があった、茶色い地面、地面だ……!
「救世主さん」
ジョーシさんが静かに俺に話し掛ける、その表情は僅かにほころんでいるようだ。そしてその手元にはランプがあった。太陽光とは違う明り、刺すような・貫くような光ではなく暖かく瞬いているような光だ。俺は周囲を見渡すと、ジョーシさんの次の言葉を待った。
「もう大丈夫ですよ」
「……そうか」
「そうよ~ふふ~ん♪」
そうだ、もう終わったのだ。ここはあの場所ではない、やはり俺は脱出したのだ。良かった──。
雲は俺の下にだけあった、穴を塞ぐように存在していた。
穴……、そうか、俺たちが落ちて来た穴だ。俺はその雲の上から四つん這いで這い出す、そして土の上に横になった。
ああ、土だ、地面だ……。それは固くて冷たかったがなぜか心が落ち着いた、俺は戻って来たんだ──。
気付けば俺の表情も緩んでいた。それは姉妹と同じ表情で、ランプの中の炎の化け物の頭も同じように微笑んでいた、更には食器を片付けるオヤジも同じだ。幸福な時間、胸が満ちる──。ん?なんか変なの混じってなかったか?
「もう二度と来るなって言ってるようですよね。あ、その雲の事ですよ。……ボクの話聞いてましたよね?」
「ああ、うん。まぁ、それなりに……」
仰向けになると頭上に大きな穴が開いていた、今までの事が嘘でないのならあって当然の穴だ。だがいつの間にこんなものが……?それより腹が減った。
「ああ、この穴ですね。……仕方ないですね、説明しましょうか」
「ふっふっふ~ん♪」
ジョーシさんがメガネを指で押し上げる、何やら調子に乗ってきたようだ。正直、穴は大して気にならなかったのだが言わせてあげても害はないだろう。それよりそれより──。
「オヤジ!俺の飯は!?」
「……!」
「ふふ~♪あっ」
「あっ、あの……。救世主さん、すいません」
急に全員の顔が曇る、オヤジが今更のように”見つかった!”という顔をしている。隠れる気なかっただろお前、その芝居がかった表情に少しイラつく。
しかしなんだ、この空気の重さは。もしやもしや、でもまさか──。
「ごめんね、救世主さま。悪気はなかったのよ?」
「すいません……。その、凄くお腹が空いていたので、あの……」
この流れはなんだ。やめて、もう聞きたくない。俺はただ食い物が欲しいだけだ、腹の虫を沈める儀式を、祭を厳かに執り行いたいだけなのだ。なのになぜ謝られる必要がある……?ああ、憎い。キョウシちゃんの食欲が、ジョーシさんの食い意地が。この場所を満たしているやたらといい匂いが、憎い。食べ物の恨みは三代たたると言うが、俺がキョウシちゃんと結婚したら自分の子供や孫をたたらねばならないのだろうか、それはそれでやっかいだ。
「……ガガガ、ダイジョウブ、ダヨ。ズェンズェン、気ニシナイデ」
「きゅ、救世主さま?落ち着いて、ね?……だからそんな断末魔みたいな声出さないで」
「泣いてるのか怒ってるのかも良く分かりませんね……。姉さん、これはもう中止しましょう。オヤジさん、早く持ってきて下さい」
「……!?」
反応がおかしい。俺は二人を許すつもりでニッコリ笑いかけたつもりだったのだが、一体どうしたというのだ。まぁ、多少腹が立ったというか、その立つ腹がないというか。お腹と背中がくっつきそうで、腹時計が警戒音をわめき散らかしていて。たかが飯ぐらいの事で大の男がどうこう言うなど片腹痛くて、減った腹が痛くて痛くて。腹が腹が、ああ、腹が……!
その時、俺の中に初めて敵対意識や殺意が湧いていたのだと思う。え、このタイミングで?しかも味方相手に?と思うかもしれないが、それほどに食い物の恨みは凄まじいようだ。特に飢えた相手から食べ物を奪うような真似をしてはいけない。
食い物よりも犠牲が欲しい、生贄が。でもそれよりやっぱり食い物が欲しい。
「じゃーん!ほら、救世主さまの分よ!」
「すいません、ちょっとからかうだけのつもりだったんです」
「ガガガ……、ガ!?」
「……!」
何やらアタフタする姉妹に急かされて、食事を手にしたオヤジが歩いて来る。俺は憎しみや殺意の事などなかったようにオヤジに向かってつかみ掛かると、飯を奪い取って一心不乱に食い始めた。腹が腹が、ああ、腹が……。幸せ。
「ほら、下で救世主さまが余りにふざけた事ばかりしてたから。ちょっと意地悪してやろうってなったのよ、ね?」
「だからやめようって言ったじゃないですか……」
「言ったっけ?」
姉妹が何やら言っているが耳に入らない、口に入る。言葉もまとめて飲み込んで行く。オヤジがなぜか不愉快な顔をしているが、今の俺には関係ない。もっとだもっと、俺は口の中に歯がある事も忘れて無我夢中で目の前の食い物をかき込んだ。
「ふ~ん、ふふ~ん♪」
「どこまで話しましたっけ……。まぁ、適当でいいですね。どうせ余り聞いてないでしょうから」
「もぐもぐごくん、もぐごくん」
再び団欒状態に戻った姉妹はそれぞれ踊りやお小言に入る。疲れてはいないのだろうか?まぁ俺より先にこの場所に着いて、飯を食ったりつまらないイタズラを考えるぐらいの余裕はあったのだ。それなりには元気なのだろう。
「ボクらの足元にあった大きな玉、あのきん○まに押し出されるようにしてボクらは脱出したんです。この縦に長い穴はその時のものですが、なぜ出来たか分かりますか?」
「ぶふっ……!?」
言葉もまとめて飲み込んでいた俺は、その危険な言葉に喉を詰まらせる。もはやなんの抵抗もなくたまたまと口に出来るジョーシさんに拒否感と少しの親しみを感じる。もう日常会話に仕えるレベルだ。
「凄い勢いできん○まに押されたボクらはそのまま天井の壁に打ち付けられそうになったんです。その時に姉さんが瞬間的な判断でこの穴を作ったんですよ、凄くないですか?……凄いですよね?」
「ふっふんふ~ん♪」
「もごくん」
そして姉自慢が始まった、なぜそこまで嬉しそうに言えるのか分からない。そして簡単におだてられる姉の方もちょろいと思う。まぁ……、平和でいい。
「そういえばその時も雲があの穴を塞いでいたんですが、急に外れたんですよね。重みに耐え切れなくなったというか……。救世主さん、原因は分かりますか?」
「ごくん……。ああ、満足」
もはや何も言う事はない、幸せだ。まだあるとすれば少し横になりたい。そんな俺の完全なスルーにも関わらず、ジョーシさんは言葉を続けた。
「再び穴が開いてから、ボクらは下を覗き込んだんです。するとそこには空中に浮かんだ巨大な黒い塊が両手を地面に付くように崩れ落ちていました。恐らくボクらを追ってサビどももあの二本の雲を渡ろうとしたんじゃないでしょうか?そして重さに耐え切れずに雲が落ちた」
「ふんふふふんふ~ん♪」
腹を満たしてそのまま横になった俺に、ジョーシさんのドヤ顔が近づいて来る。どうやら俺の意見など最初から聞いていなかったらしい、自分の自信ある推測が言えればそれで良かったようだ。
どうですか?とでも言うように俺の顔を覗き込んでいる。
「どうですか?ボクの考えは、きっと当たってますよね」
言った、俺の中でその言葉は”ドヤですか?”と脳内変換された。ドヤと言われて正直な感想を返すと、うざいです。としか言いようがなかった。
今は放っておいて欲しい、そんな俺のささやかな願いもどうやら届かないようだ。




