剣の街
目が覚めるとそこは馬屋のようだった。
光の入らない暗く閉ざされた馬屋。
寝ている間にしゃぶっていたらしいワラを吐き出し周りを見るが、
人の姿はない。それどころか馬も居ない。
寝床になっていたワラも俺の為に詰まれたもののようだった。
「誰か、居ませんか?」
見慣れぬ場所につい敬語が出る。
僅かな騒音が聞こえてはいるが、俺の言葉に返事はない。
という事は、ある程度好きにしてもいい訳だ。
勝手な解釈をし、立ち上がろうとするが腕が上がらない。
そういえば柔らかくて軽い何かを持って走り回っていたような……。
いい匂いがしてパタパタ動く……羊でも抱いていたのだろうか。
ぼやけた頭で這いずるように立ち上がり、ヨロヨロと扉に手をかける。
閂はされていないようで、鈍い音と共に開く扉。
まばゆい光に目をやられる、長く見ていなかった気がする。
聞きなれぬ喧騒の中、目を細め見上げる俺。
その目に入ってきたものは、神の剣。
山に突き刺さった巨大な……いや違う。
見知らぬ建物に刺さった見慣れた神の剣だった。
「なんだこれは……?」
思わず声が出る。
見渡すと隣の家にも神の剣が、その隣も隣も……。
大きさの異なる神の剣が建物に突き刺さって……いや、刺さっている訳ではないようだ。
神の剣の形をした建物……?
よく見ると刀身や柄が木材で出来ている。
いや、石材だったり鉄だったり材質にばらつきはあるようだが。
「われこそは救世主ー!ぶった切るぞー!」
明るさに慣れてきた目、その前を子供たちが走り抜ける。
木の棒を持った一人が立ち止まりジッと俺を見る、が無視する。
ここは村、いや街か。
俺の知っている範囲にこんな場所はない。
なら俺は一体どこへ来てしまったのか……?
走り出した子供を追いかけるように歩き出す。
ここは一体……?
そして、そうだ。これだけ目にしているのに肝心の神の剣が見当たらない。
馬屋に置いて来たろうか、そうは思えない。
あそこには何もなかった。
杖を失くした老人のようにフラフラ歩く。
高い建物が並ぶジグザグの道、先も見渡せない。
道行く人が俺をチラと見るが何も話しかけない、知らない顔だらけだ。
おかしい、眠りに落ちる前に懐かしい何かを見つけた気がしたのだが……。
今の俺はひどく空虚だ。ここはどこで、そして俺は……。
「逃げてきたのかい」
恰幅のいいオヤジが俺を見て口を動かす。
話しかけられたと気付くのに数秒をようした。
「俺は……」
何かから逃げていた気がする、旅をしていた気もする。
俺には何か目的があった。
そうだ、世界を救うという目的だ。
「俺は、救世主」
そう、俺は神の剣に選ばれた……今はどこにあるか知らないが、
姿だけはそこら中にある、きっとこのオヤジも知っているはず。
「あ、……ああ」
しばし呆けた顔で俺を見ていたオヤジが言葉を継ぐ。
「旅芸人か。そういえば夕方にまた救世主様の演劇をやるらしいな。よし、広場まで案内してやろう」
このオヤジは何を言っているのか、言葉が通じてないのか?
俺は……旅芸人だったのか。
「どうした?ついて来い」
先を行くオヤジの後を追うように、再び歩き出す、
見知らぬ迷路のような街を。
「ここじゃあ次々と新しい建物が出来ててな、その度に道が塞がれたり狭くなったりで……面倒な話だ」
そういえば新しい建物ばかりのようだ。
道幅のバラバラで、振り返るとそこがどこなのかもう分からない。
僅かに差し込む光とその先の太陽だけは見慣れたものだが、
空の形が違う。それは生まれ育った場所とは違う、見知らぬ空。
「……あ、オヤジ?」
辺りを見回している間にオヤジの姿が消える。
どこへ行った。どこへ……、俺はどこへ向かい何をして……。
ここは……どこだ。
眩暈に襲われ頭を押さえる。
知らない空、知らない人、そして剣の街。
俺は一体どこに迷い込んだ……。
「救世主様!」
ハッとする、聞きなれた声。
俺が求めていたもの、しかし姿はない。
どこだ、俺を認めてくれる。俺が俺であれる、その人は、どこだ。
建物の壁を反響する軽い足音、近づいて来るそれは前か後ろか。
俺はどこへ行けばいい、君に会う為に。
この迷路のような街の中、何をすればいい、君に会う為に。
背後で砂を蹴る音、振り返る。
ああ、やっと見つけた。
見慣れぬローブと太い腰紐、でもそれだけは変わらない凛とした眼差し。
君は……。
「キョウシちゃん!」
倒れるように駆け出し手を伸ばす。
ずっと抱きしめたかった、その肩を、その髪を、その腰紐が、
大蛇のように大きくうねり俺の顔面を強打する。
突然の衝撃に対応できずに無様に倒れる俺。
その目に映ったそれも懐かしく、そして見飽きたものだった。
……神の、いや。
「犬の……剣」
ご主人様を守る忠実な犬のようなそいつは、俺の目の前で威嚇するように切っ先を付きつけ、
じゃれる猫のように再びキョウシちゃんの腰に収まった。
待て、お前の主人は俺のはずじゃ……。
「おお、これはご機嫌うるわしい。この旅芸人めが何かしでかしましたか?」
戻って来たらしい親父の声が聞こえる。
「いえ、違うんです。この方は、その……」
そうだ、言ってやってくれ。
俺こそが、まごうことなき。
「馬の世話係です」
そう、馬の世話がかか……」
ジョーシさんの冷たい言葉が俺の心にトドメを刺す。
「自分は救世主だ、などと申すので。てっきり夕方の演劇に出るのかと思い道案内していたのですが……」
「そ、それは……」
「彼は嘘をついて人をからかうのが好きなんです。ボクらが言い聞かせておくのでもう行ってください」
俺は馬の世話係で嘘つきだったのか。
「ああ、それでは失礼いたします。この野郎、今度会ったらただじゃ……へへへ、どうもどうも」
見知らぬ空を仰ぎ見る、やはりここは別の世界なんじゃ。
それとも夢か何かを見ているのでは……。
「早く立ちなさい、馬の世話係」
「もう、いい加減にしなさい」
フフフとジョーシさんの笑い声がする。
空をさえぎってキョウシちゃんが俺の顔を覗き込む。
「大丈夫ですか?救世主様」
ガバ!と立ち上がる。そうだ、その言葉を待っていた。
急に立ち上がったせいでまた眩暈がする、
俺の挙動に驚いていた二人が俺の両脇を支える。
「本当に大丈夫ですか?」
「大丈夫じゃないみたいですよ」
大丈夫じゃないです、でも大丈夫です。
「ねぇ、どうする?」
「このまま広場まで行こう。色々知っておいて貰った方がいい」
そして俺は二人に脇を支えられ、いい気分のまま足を引きずり歩いていくのだった。
神の剣にわき腹をチクチク刺されながら……。
「急に居なくなったからビックリしたんですよ」
「首に縄でもかければいいんじゃないかな、その剣みたいに」
「いててて……」
「大丈夫ですか?救世主様。休みます?」
「痛いのはきっと足じゃないと思うよ」
「……あっ」




