剣のネーミング
火照った額に風が吹き付ける、目がぼやけてはまた元に戻る。
朝、目が覚めて体を起こした瞬間に頭を殴打されたような、俺はそんな何とも言えない気分で倒れていた。
「救世主さまー、無事なのー?」
「ああ……、いつもの事だー」
本当にいつもの事だった。神の剣に叩かれて殴られて放り投げられ、俺にとってはいつもの事だった。ただ少し違ったのは、その剣がいつもの剣じゃなかったという事ぐらいか。バカの剣じゃなった、手口はそれに沿ったものだったが。
俺は手元の剣に目をやる、恐らくはこいつも俺を守ろうとしてくれたのだろう。決して悪意があった訳ではないと信じたいが、真似した相手が良くなかった。よりにもよって最悪の奴を真似てしまうとは……。
どこかの主人に従わない可愛げのない剣が俺にやっていた行為を、きっとこの剣も見ていたのだろう。そして主人を助ける為にとっさに取った行動がそれだった。剣の側面で主人の顔面を思い切り殴打する、そんな最悪の行為だ。
そうじゃないのだと諭したかった、もっとジェントルでスマートなやり方があるはずだ。それをこの剣に教えてやりたかったが、生憎俺にもその方法が浮かばなかった。なぜだ。
しかし俺も伊達に殴られ慣れてはいない、その軌道や叩き方・勢いや当たってからの伸び等、全てにおいてバカの剣とは違うものだと理解できたのだ。しかも一瞬で!
そんな自慢にもならない事を考えていると不意に虚しくなった。ぼやけの落ち着いて来た両目を手で押さえると、軽くなるようなイメージで手を離しながら両目を見開いた。
「ふぅ……」
俺の視界の先で天国が瞬いていた。ヒュンヒュンと音を立てて、しかし何も動じる様子はない。
視線の先を何度も通過しているのはキョウシちゃんの振り回す二本の剣だ。恐らくはほぼ全てのサビ人間を塵に変えてしまったであろうその剣は、飽きる事なくまだ回り続けていた。
「姉さん、これからどうするんですかー?」
「うーん……、どうしよっかー」
俺の疑問を代弁するようにジョーシさんの声が掛かる。だがその返答はあやふやなものだった。とりあえず腹が立ったからやったけど、後の事は知りません的な、何やら危険なノリを感じた。
これだけグルグル回っても目が回らないキョウシちゃんもさすがだが、それだけ簡単な行為で街一つが壊滅できるほどの力を手にしている事に本人は気付いているのだろうか。やはり街の平和の為にこの子も地下に埋めた方がいいのかもしれない……。割とマジでそう思う。
「ところでどうー?これー。さっきのあなたの風車を見て思い付いたんだけどさー。風車剣パート2とか言っちゃうー?それともカザグルマがいいかなー?」
なんともお気楽な話をしているが、恐らく今もサビ人間の伐採は続いているのだろう。黒い穴から湧き続けるサビ人間を無差別に切り刻む、それは頼もしくもあったがさっき俺が殺されかけたのを考えると余り制御も出来ていないらしい。ここが地上じゃなくて良かった……。
「パート1は姉さんのですから、ボクのがパート2でこれは3になると思いますよー」
「あー、そっかー」
のどかな会話は続いていた、なんの話をしているんだこの子らは。そんなネーミングより考えなきゃいけない事が一杯ある気がする。例えば、俺たちが勝手にサビ人間と呼んでいるこいつらは一体なんなのか?前より気性が荒いのはなぜなのか?まだ湧き続けているようだがそれはいつまで続くのか?こいつらが地上まで上がっているのならそのルートを使って俺たちも地上へ戻れるのではないか……?
珍しく俺の方がまっとうな事を考えていて笑えて来る。ほんとにもう、俺が居ないとどうにもならないなぁこの姉妹は。
「なぁ、一度ちゃんと考えようか」
俺は慎重に顔だけ上げて話し出す、どうやらこの高さ安全なようだ。手元の剣を見るが何も反応していない。キョウシちゃんがどうやって一定の高さを保って剣を振り回しているのかは謎だが、この子の技量は人の域を超えている、考えるだけ無駄だ。
俺がどの疑問から口にしようと迷っていると、姉妹の方から声が上がった。
「そうねー、名前って大字よねー」
「救世主さん、何かいい呼び名があるんですかー?」
違う、そうじゃない。ちゃんと考えるのはそっちじゃない、もっと大事で重要で重みのある事だ。……だが俺にもプライドがあった、一番最初に風車剣のネーミングを思い付いた者としてのプライドだ。そいつがキラリと光った。
キョウシちゃんの動きを見ながら頭を巡らせる、俺がナンバーワンだという事を姉妹に知らしめてやらねば……!
なら、こんなのはどうだろう、”竜巻剣”。うん、悪くない。”旋風剣”なんてのもいいな。いっその事、合わせてみるのはどうだろう。
「じゃあ……、こんなのはどうだ。竜巻旋風け──」
「何て事を言ってる場合じゃないですよ!姉さん、ずっと回ってるつもりですかー?」
「ん……、それもそうよねー」
けーん、けーん、けーん……。悲しい響きが俺の心の中をこだましていた。聞く気がないなら聞かないで、俺のせっかくのネーミングが無意味になったじゃないか。そりゃあどんな名前付けたところで一緒なのは分かってるけどさ、一生懸命考えたんだから──っていうかむしろ俺の方が先に気付いていたから!
でも、せめてちゃんと聞いて欲しかったの……。
「あ、救世主さん。何か言いましたかー?」
「えっ……。いや、何も?っていうか無理!今更言えない!」
「……救世主さま~?」
心がもてあそばれている。ああ、そんなお戯れを、やめてください。ぐっへっへ、嫌よ嫌よも好きのうちじゃ、体は嫌がっておらぬようだぞ。ああ、そんなご無体な……。あ~れ~。──などと独り言を言うだけの余裕はあった。
不思議とそれほどダメージはない、慣れって素晴らしい。ああ、風が心地いなぁ。
顔を上げたままフと竜巻の方を見ると、キョウシちゃんと目が合った──、気がした。だがキョウシちゃんはあそこで回り続けているはずだ、なら俺と目が合うはずが……、また合った気がした。
「うん……?」
気になって竜巻を凝視していると、髪に何かが触れる。手元の剣が反応する、風を切る音が大きくなって──。
おっと危ない、見る事に意識がいき過ぎて頭が上がっていたらしい。首を刈られるかまた神の剣に地面へ叩き付けられるところだった。剣を警戒しながら頭を下げるが、剣はそのままスルスルと伸びていく。何をしているのか観察していると、剣は俺の頭上辺りでピタリと止まった。
えっと、これは……?つまりそこまで行っても大丈夫、という意味なのだろうか。確かに何度も風が通過しているが剣は微動だにしていない。なんて気が利く奴なんだろう、俺を殴るのが趣味のようなどこかのバカで犬の剣に爪の垢でも飲ませてやりたい、剣のサビでも擦り付けてやりたい。柄でグリグリ押しつぶしたい。
「救世主さま~?」
キョウシちゃんの声がする、何やら心配されているようだ。視線をやるとやはり目が合う、何やら残像を見ている気分だ。恐らく回転しながら顔を俺の方に残しているのだろう。どんな動体視力だよ……。
「ああ、俺は大丈夫だー。それよりどうするってー?」
残像のキョウシちゃんは多少不気味に見えたが、それでも気遣ってくれているのが嬉しかった。俺は優しさに飢えている、優しさと女体に飢えている。そんな事より話を進めようか……。
「やはり埋めるしか手はないと思いますが、問題はその方法ですねー」
考え込んでいたらしいジョーシさんが口を開く。やはりそうなるか、臭い物にはフタ、穴には棒、地下の連中は埋めるに限る。だがその土をどこから持って来るか……?
あ、そういえばちょっとだけあったような。
「そっちの方なら土があったんじゃないかー?少しだから埋められるかは分からないがなー」
「ああ……、そうですねー」
そっちとは、剣たちがつつき回していた穴の方だ。そこなら少なくともこれ以上連中が湧いて来る事もないし、まだ安全だと思えた。
俺の頭脳の冴えも中々のものだ、頭が晴れ渡るようだ。心なしか涼しく感じる。褒めたまえ、あがめたまえ。そんな俺の自尊心を反映したのか、何かが風に乗って上空へと舞い上がった──。
「そうしますか、他に手段もなさそうですしー。……姉さん、聞いてましたかー?」
「……ぷっ」
「ぷぅー?」
空気の漏れた音がした。それはどうにもならない生理現象だが、マナー的にはよろしくない。特にうら若き乙女が人前で堂々とかましてはいけない類のものだ。しかしこれだけの風があれば匂いがこもる心配はないだろう。ここは男として今の音は聞かなかった事に──。
「ぷふふふ……、あっははははは!」
「姉さん……?」
どうやら爆発したのは生理現象ではなく笑い袋の方だったらしい、急にどうしたというのだろう。伸び上がっていた手元の剣が激しい音を立てる、どうやら旋回する剣とぶつかっているらしい。キョウシちゃんの剣の軌道がブレているのだ。
剣が一定のリズムで激しい音を張り上げる、たまに空振って肩透かしを食らう。これは手元が狂っちゃった、てへっ。で済まされる話ではない。俺が慌てて頭を下げると、剣もそれに合わせて短くなった。
いつの間にかこの剣も普通に伸縮するようになっている。真っ直ぐ伸びた無骨な剣だったのだが、最近少し緩くなってきた。そういえばキョウシちゃんの風車剣の時に、折れ曲がって回転していた二本の内の一本はこいつだ。
それが持ち主の影響なのか、それとも元から剣たちにはそういう力が備わっているのか、そもそもの持ち主であるキョウシちゃんの影響なのかは分からない。でも俺は最後の予想が一番近いと考える。
「あははっははは!ふふはははは!」
なんて事をつぶやいている場合ではない、頭を下げてもまだ剣同士はぶつかり合っている。キョウシちゃんをなんとかしないと、だがどうすればいい……?
「救世主さん、頭!頭です!」
そうだ、頭を使うのだ。俺は必死で頭を働かせる。うーん……、そして文字通り頭を抱える。なんだろうこの違和感は、そうだ、無いのだ。俺はようやくその真実へと辿り着いた。




