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剣の底の底

 身構える姉妹、それは俺も同じだった。大きさこそさっきの化け物どもより小さいが、数はそれをしのぐかもしれない。

 周囲を見回すと、その連中のせいで黒く染まった地平が川の流れのようにゾロゾロ動いている。その姿は壮観ですらあった。


「来るぞ!気をつけろ!」


 それでも心のどこかに余裕があったのはキョウシちゃんの存在だろう、今度はちゃんと戦ってくれるようだ。自分が助けた連中という負い目もあるのかもしれないが、それだけで俺には千人力に思えた。

 だが、木炭人間と俺が勝手に呼んでいるこの連中がどんな力を持っているのか、それは全くの未知数だ。地獄と呼ばれる場所でずっとその身を焼き続けられていた連中、体もススか木炭のように真っ黒になって形だけは人の姿を留めている……。こんな連中にどんな力が秘められているかなんて分かりようがなかった。

 木炭どもが渦巻くように走っている、中々距離を詰めてこない。その足音が遠くの地平からも響き渡り、まるで乱雑な楽器のようだ。

 来るぞ!と言った割りに中々襲って来ない木炭どもに()れた俺は、手近な一体に目を付けると自ら襲い掛かる。とりあえず一体斬ってみれば何か分かるだろう、うおお!救世主の一撃を食らえ!


「……って、あれ?剣がない」

「救世主さん……?」

「何やってるの?」


 背中に手を伸ばすが、そこにいつもの剣はなかった。そういえばキョウシちゃんが二本とも持ってたっけ。

 見事に敵の前に無防備な姿を晒した俺に、その黒い化け物の容赦ない一撃が襲って──来なかった。それどころか完全にスルーだ、俺の事をチラとも見ずに走り去っていく。石ころほども意識していない。

 なんだろう、これはこれで悲しい。


「警戒しなくてもいいみたいね」

「はい。でも、何が起こってるんでしょうか……?」


 木炭人間たちは一箇所に集まっているようだった、黒い粒が凝縮されて黒い塊へと変化して行く。周囲を見渡すとそんな塊が他にもいくつか見つけられた。

 その黒い塊は横幅を失っていくがその分どんどん大きく、いや、高さを増していくようだ。重なり合うようにして上へ上へと伸びて行く。黒い粒のような木炭たちがうごめきながら塔を作り出していた、これはまさか──。


「巨大化……?」

「え」

「そうでしょうか」


 口を開けたままその光景を眺める俺の先で、更にその黒い塔は高さを増していく。傾きながら、そして黒い粒を落としながら。

 良く見ると連中の中には文字通り他人の足を引っ張る連中や、蹴落として上へとよじ登る連中の姿があった。どうやらこの木炭人間たちは協力し合っている訳ではなく、他の連中を押し退けてでも上へ行こうとしているらしい。なんとも醜い争いが繰り広げていた。

 巨大化……?いや、その黒い塊が人の形になる事はなさそうだ。どんどん上へと伸びて行く細長くバランスの悪い塔は、傾きながらよろめきながら小競り合いを続ける一つの演劇のようだった。コメディーだが、笑えない方だ。

 ホッと胸を撫で下ろすが、なら連中は一体何をしているのだろう。


「あっ」

「あ~ぁ」

「ああ……」


 やはりというか当然というか、その塔はバランスを崩して倒れてしまった。一幕終了と言ったところか。俺たちはそれぞれに、やっぱりとでも言うような感嘆を漏らした。

 そんな滑稽な劇を演じている方も演じている方だが、それをバカ面そろえて見ている方もなんだか滑稽ではあった。

 しかし連中はまだ懲りないようだ。再び集まり黒い塊になると、次々と上へ上へと重なり合っていく。土台になった連中も決してそれで諦めた訳ではなく、キッと顔を上に向けて睨んでいるようだ(目があるかは分からないが)。

 なぜか全員の顔が上を向いていた、その視線の先にあるのは──雲だ。だが、見ているのはきっと雲そのものではない。その先にあるもの、つまりは天国。この連中のゴールはきっとそこなのだろう。

 地獄の管理者であるだろう巨大な鬼や悪魔から解放され、連中は遥か高みにある天国目指して這い上がろうとしていたのだ。骨肉の争いを繰り広げながら……。


「そういう事か……」

「そういう事よね」

「そういう事でしょうね」


 姉妹の顔を見ると呆れたような表情が浮かんでいた。それは決して俺の理解が遅かったから呆れている訳ではなく、きっと連中の愚行を見てそう思ったのだろう。俺はそう信じる。


「救世主さん、まだ説明が要りますか?」

「……間に合ってます」


 ──俺はそう信じる。



 黒い塔はそれから何度も立っては崩れを繰り返していた。その悲劇的なコメディーは俺たちが居ても居なくても全く関係がないようで、実際俺たちを見向きもしやがらない。敵がいの無い連中だ。

 なら、という事で俺たちは作戦会議に入った。作戦といっても次に何をするか、というだけの話だ。このまま直ぐ穴掘りをして更に下を目指すのか、それとも体の汚れを落とすのか。戻る選択肢が無い事にいくらか不満はあったが、それも今更な話だろう。


「キョウシちゃん、ここの天井ってどこまで壊したの?」

「え?えーっと……、端っこまで?」

「端があるんですね」


 それが聞けただけで十分な成果に思えた。やはりこの空洞にも限界がある。遠くを見回してもそんなものは一切見えはしないが、それでもどこかに壁があるのだ。最悪、そこから上に掘れば俺たちは地上へ戻れるのだろう。

 その反面、体の汚れを落とす方法が分からなくなった。まだ天井の残っている場所があれば、そこを壊して嘘くさい水面の水でも浴びればいいと思ったのだが。見上げてもそこにある雨雲は一粒の雨も落としそうにない、代わりにボロボロ落ちているのは高くそびえた黒い塔から落ちる黒いススのような連中だった。


「汚れを落とすのは後にしませんか?」


 話の先を察してくれたらしいジョーシさんが言う。多分ここでこれ以上話していてもなんら解決策は出て来ないだろう。というかこうやって顔を合わしているには全く汚れは気にならないのだ、ちょっと俺の下半身と姉妹の背中が泥や血しぶきでドロドロなだけで……。まぁ、俺はそれほど気にしてないんだけどね。


「え、でも……。私はいいけど救世主さまが~、ね?」

「いや、俺も後でいいと思う」

「……そうなんだ。ふ~ん、そっか~」


 口を曲げ、不満さを顔全面に押し出したキョウシちゃんが言う。その目は軽く俺を睨んでいるようなので目を合わせない。どうやらいつもの多数決に持ち込もうとして失敗したらしい。


「じゃ、じゃあさっさと掘ろうか。もしかしたら下から水が沸くかもしれないし」

「……どうでしょう」

「……」


 ジョーシさんが合わせてくれない、そのマジレスに少し心が折れる。俺にだって分かっていた、天国・地獄の更に下にある信仰がそんなみずみずしいものではない事が。そして俺が言ったり考えた事は大体外れる、これも今までの経験で分かっていた。

 それでも刺すようなキョウシちゃんの視線から逃れる為、俺は無理に自分のテンションを上げて穴掘りを開始し──あ、そうだった。


「キョウシちゃん……。あの、剣を……」

「え?うん。ふ~ん……」


 剣は依然としてキョウシちゃんが二本とも持っていた。視線を合わせないように手を差し出した俺に含みのある声を発するキョウシちゃん。

 その声はまるで、私の頼みは聞いてくれなかったのに私にお願いするんだ。へぇ、ふ~ん。とでも言っているようだ。

 別にキョウシちゃんを裏切った訳でもなく、俺たちにとってベストな選択をしただけなのだ。きっといくら考えても汚れを落とす方法は見つからない、と思う。それにその剣って俺に預けてくれたんじゃなかったっけ?

 無駄に心の中に弁解の言葉がこだまする、俺は一体何をしているんだろう。差し出した手が冷たく感じる。


「姉さん、そろそろ先に進みませんか?」

「……分かってるわよ。はい、どうぞー。ふ~んだ」


 ようやく俺の手に剣が触れる、だが心の中の薄ら寒さは消え去らなかった。明らかにスネてるよね、この子。何かあってもまた戦ってくれないんじゃないの?

 フと妙な考えが頭をよぎる。もしかしたら救世主って、恐ろしい力を持ったこの姉妹の機嫌を取るだけの存在なのかもしれない。なんてね。

 いやいや、そんなバカな。そんなバカな……。


「どっこいしょー!」


 いくつもの雑念を振り払う為、俺はわざと大げさに剣を足元へと振り下ろした。地獄の底へと。

 ここから先は何が出るか分からない、だがそんな事は今までと大して違いはない。今までだって出たとこ勝負だったのだ、今更恐れるものなど何もない。

 軽快な爆発音が鳴り響くと俺の足元に綺麗な穴が開いた、思わず快感に身を震わせる俺。だがその身震いは直ぐに治まってしまった、なぜなら……。


「浅い……」

「浅いですね」

「浅いわねぇ」


 俺の足元には浅い穴が開いていた、なんとも情けない穴だ。ジョーシさんの剣と間違えたのかと思うほどだが、さすがにそれは違うだろう。じゃあ……、不発?

 良くは分からないが姉妹に対して照れ笑いを浮かべると、俺はその浅い穴へと降りてそこへ剣を突き立てた。軽快な爆発音と共に俺の足元ぬぃ──。


「いてぇ!?」


 腕に衝撃が走った、剣が弾かれたのだ。指先がビリビリしびれる、予想外の刺激に脳が揺れる、剣を手放す。何が起こったのかいまいち分からない俺に姉妹が近づいて来る。


「どうしたの?」

「大丈夫ですか?」

「……ああ、俺は大丈夫だけど。それより穴は」


 俺たちの視線が穴の中へと注がれる。だがそこに何一つ変化は見られなかった、やはりこの地面が剣を弾いたのだ。という事は、もうこれ以上掘れない……?俺たちは地の底へと辿り着いてしまったのだろうか。

 だとしたらどうなのだ、俺たちはこれからどうすればいい?ゴールは一体どこだったのだ……。困惑した俺の頭にキョウシちゃんの間の抜けた声が響いた。


「あ」

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