剣の地獄絵図
目の前を巨大な板が通過する、それに続いて大小さまざまな大きさの物が降って来る。良く見るとそれが雨でない事は直ぐに分かった。
遅れて飛び散る飛沫は雨のようにも思えたが、ビチャビチャと降り注ぐその音だけでも異質な何かだと分かる。ついでに言うと生臭い。
何かが起こっているようだった、お祭でも行われているかのような震動と怒号が響いている。だがそれはどこか現実味がなく、遠くの出来事のように感じられる。すると俺の顔の横にツノの生えた化け物の顔面が突き刺さる。
「ぎゃー!助けてー!!へぶちっ!?」
「救世主さん、大人しくしてて下さい!」
何度こんな事を繰り返しているのだろう。俺が恐怖で頭を上げると、見た目と中身のひん曲がった神の剣に顔面を殴打される。その度に俺の意識はこちらとあちらの間をウロウロするのだが、どこからか落ちて来る悪魔のような連中の体の一部によって強制的に呼び戻され──。
「うわー!殺されるー!!はぶあっ!?」
「救世主さん、ちょっとは学習して下さい!」
顔がパンパンに腫れているのが分かる、何度神の剣に叩かれたのか自分でも分からない。学習しろとか言われたようだが、恐怖に学習など無い。怖いものは何度だって怖いのだ、無茶言うな!
それでも流石に腹のすわって来た(というか顔の痛みが度を越した)俺には、周囲を確認する程度の余裕が生まれていた。おっと、また何か降って──。
「うぎゃー!悪魔だー!!あびゃぁ!?」
「救世主さん、ハウス!ハウスです!」
ジョーシさんの声はどうやら頭の上の方から来ているらしい、つまり姉妹が仲良く横になっているのは倒れた俺の頭上の方向なのだろう。そしてさっきから目の前を何度も移動しているこの目障りな板だが……、良く見ると真っ赤に染まっている。どうやら危ない物体らしい。
何度も旋回しているらしいその板を目で追うと、やはりというか付け根は姉妹の方角にあるようだ。だからこれはきっと、さっき俺の事を殺しかけたあの風車の羽根なのだろう。それはあらかた予想していた通りだ。おや、今度は巨大な口が俺の頬に──。
「ノーゥ!そんなキスはお断りよぐへっ!?」
「救世主さん……」
大体の構図が分かってきた気がする。横になった姉妹を中心にこの地獄の風車が回っていて、それが次々と押し寄せるこの地獄の番人たちを凶暴な羽根で切り刻んでいるのだろう。チラと足元の方へ視線をやると、地獄に相応しい惨劇が繰り広げられているようだ。恐ろしいので直視はしない。
恐らくあの巨大な化け物たちは自分の足元の確認も出来ないまま、次から次へとこの風車の輪の中へと飛び込んで来て次の手順を取る訳だ。
まず、足を切られ→胴体をなぎ倒され→首を刈られ→そして俺の周囲へと転がり落ちている。恐らくそれで間違いないのだろう。ほらまた、こんな感じで──。
「いやー!優しくして!!もっと紳士的にしげぼっ!?」
「あの……、そっちの神の剣。良かったら救世主さんの頭を押さえ付けといて貰えますか?」
その声に反応した神の剣は、仕方なしとでも言うように俺の首にダラリとその刃先を乗せた。喉辺りが少しチクチクするのは地味に刃が当たっているせいだろう。俺が首に手を伸ばすと更にその痛みが増す、触れるなという事だろうか。手を下げると痛みが引いた。
俺が顔を上げる度にこの剣に張り倒されていたのは、きっと旋回する羽根から俺の首を守る為だったのだろうが。今の嫌々な態度を見ると、単純に殴りたかっただけのようにも思える。何かが色々と納得行かない。
それとこの匂いと血だ。今までの化け物は血なんて流さなかったというのに、どうしてこいつらはドバドバとその血を撒き散らしているのか。今までの連中と一体何が違うというのか。
何かが落ちて来る気配を感じて、俺はスッと目を閉じた。見なければただの肉、どうという事はない。はずだ……。
「えっと、ジョーシさん……?」
「あ、救世主さん。少しは落ち着かれましたか?」
「……まぁ」
一応、落ち着いてはいたのだ、たまに恐怖に駆り立てられるだけで。だがそれを説明するのも面倒だと感じた俺は、さっさと疑問を口にする。
「それより、この化け物どもなんだけど……」
「そんな事よりどうですか?この巨大な風車。さっきの姉さんの活躍を見て思い付いたんです」
そしてあっさりさえぎられた。それよりってなんですか……?どうもジョーシさんのテンションが少し上がっている気がする、何を興奮しているのだろう。やっぱりこのデカイ物が原因だろうか。
この巨大な風車は恐らく、というかほぼ間違いなくジョーシさんの剣が変形した物なのだろう。まさかここまで大きく成れるとは思ってもみなかった。まぁ、今までも散々大きくなったり小さくなったりしてはいたのだが、それもあくまで手持ちサイズで剣の変形した物と言えなくはなかったのだが……。今度はさすがにスケール感が少しおかしい。
これはもう剣ではない、剣というレベルの代物ではない。兵器だ。これ一つで城を丸ごと潰せるような兵器、街一つを殲滅できるほどの兵器。
どうやらこの姉妹はそれぞれ、少なくとも街一つは簡単に根絶やしに出来る力を手にしてしまったらしい。……恐ろしい話だ。
仮にこの騒動が治まったとして、この姉妹を野放しにしていれば危険が去ったとは言えないのではないだろうか……?
「凄いと思いませんか?まさかここまでの大きさに成るとは思ってもみませんでした」
少し声の上ずったジョーシさんが話している、珍しく上機嫌のようだ。だがその内容は俺が先に感じていた事だった、被った。タイミングが悪いよジョーシさん。
「まるで兵器です。城も落とせるかもしれないです!」
嬉しそうにジョーシさんが話を続けている。うんうん、そうだね。ってまた被った。やはり人の思う事など似たようなものなのだ、ジョーシさんは悪くない。
「なのでこの剣に名前をつけてみました。聞いて貰えますか?」
「へ?……うん」
「その名もズバリ、風車剣!いかがでしょう?」
どこかで聞いたネーミングだった。確か俺がキョウシちゃんの活躍を見て思い付いた奴だ。……それも完全に被っている。なんなのだ、俺の思考を読んだのか、しかも周回遅れで。間が悪いしばつも悪い。
「どうですか?ピッタリだと思いませんか」
「う、うん……。そうだね」
この感情はなんだろう、なぜ俺が恥ずかしいのだろう。そして何やら一人でテンションの上がっているジョーシさんが妙にうざい。キョウシちゃんの回る剣を見て一人でほくそ笑んでる俺もこんな感じだったのだろうか……?
あの時の俺を殴りたい、ついでに今のジョーシさんも殴りたい。神の剣にお願いしようかと思ったが、逆に俺が殴られそうだからやめておく。
「あの時の姉さんも凄かったですよね、一人で風車を抱えてるみたいで素敵でした」
今度は姉を褒め出した。周囲は地獄絵図で、さっきから俺の顔にもいくつかのおぞましい感触が降り注いでいるのだが、そんな事はお構いなしだ。テンションの上がったジョーシさんは少々口が軽くなったようで、しきりに姉を褒め称える言葉を続けている。
ジョーシさんの口を閉じたい、それぐらいなら神の剣もやってくれるだろうか。お願いしようかと思ったら、僅かに鼻歌が聞こえて来る。この聞き覚えのある声は……、キョウシちゃんだ。おだてられてすっかり気持ち良くなっているらしい。
何をやってるんだろう、この姉妹は……。ジョーシさんの口を閉じたい、キョウシちゃんの耳を塞ぎたい。神の剣に頼めるだろうか……?いや、きっと無理だ。──あ、そうか。俺の目と耳を閉じればいいんだ。
「か、神のんぐ……」
「この風車剣もあの時の姉さんにはさすがに敵いませんが、それでもかなりの物ですよね!これなら姉さんと救世主さんの手を煩わせなくても自分の身ぐらいは──」
俺の気持ちを汲んでくれたのか、神の剣は俺の喉から口へと移動して、そこから更に目と耳を塞いでくれた。その動きは物凄く億劫に見えたが、俺を思ってやってくれたのだろう。
もうこれで何も見えない・聞こえない……。剣がどうやって俺の耳の穴にここまでジャストフィットしているのかは不明だが、深くは考えない事にする。風車ほどに驚く事でもあるまい。
穏やかだ──。たまに落ちて来る謎の断片と液体を除けば、俺の心を揺るがすものは何もない。地響きも少しマシになった気がするし、このまま少し休めばいずれこの地獄のお祭り騒ぎも終わりを迎えるだろう。
何か疲れた……。毎度毎度、よくこれだけ死ぬような思いや恥ずかしい思いをするものだ。ああ、剣の冷たさが俺の体温によって少し温まってきたように感じる。体もなぜか温かくなってきた。とにかくあれこれ疲れたな……。
ねぇ、神の剣。なんだかとっても眠いんだ──。




