剣の地獄
「救世主さん」
振り返るとジョーシさんが立っていた、降り注いだ水滴のせいで髪も服も濡れている。きっとそれは俺も同じなのだろう。それでも妙に晴れやかな気分だった、俺たちはやり遂げたのだ。
「お見事でしたね」
「ああ、見てたのか」
「はい、いい応援でした」
その言葉に少しトゲを感じたが、しかしジョーシさんにそんな意図はないらしい。内心の気まずさを隠す為に、俺は大きくうなずくと視線を外して遠くに目をやった。
雨空はまだ拡張を続けている、一体どこまで行くのだろう。
「出来れば止めて欲しかったですが……」
「……え」
ジョーシさんの言葉に思わず絶句する。この子は気付いていたのだ、この空間がなんなのか。そして姉の行為が無意味である事を。
俺は頭の血がのぼるのと下がるのを同時に感じてた。キョウシちゃんと俺のナイスなやり取りや、今も続いているであろう快進撃が全て茶番である事を告げられていた。
「いや、その……。分かってたんだよ?俺だって分かってたんだけどさ。二人の必死な姿を見てたら毒に当てられたというか、その。毒って言い方があれだな、なんだろう……、熱?」
知ってました!気付いてたんですが、それでも俺の口から出て来たのは言い訳めいた弁解だけだった。我ながら情けない、空気に呑まれやすいとはこの事か。思い返してみればジョーシさんは天井に穴を開けて周囲を冷やす事ぐらいしかしていなかった、ここの人たちを助けようなどせずに自分たちの身を守る事しかしていなかったのだ。
なら俺も冷静で居られればキョウシちゃんの暴走も止められたかもしれない……。恥ずかしさと情けなさで顔から火と水が飛び出しそうだ。
「まぁ……仕方がないです、姉さんがああなってしまったら誰も止められませんから。それより、この場所をどう思われますか?」
寛容さを示したジョーシさんが話を切り替える。俺は軽いめまいを感じながら、それでもなんとか頭を切り替えようと努力する。
「えっと……、ここはきっと地獄か何かでごめんなさい。俺の完璧な応援のせいで火の海が雨雲のような天国で……ええっと」
「あの、救世主さん?無理に話さなくてもいいです、聞いて下さい」
「……はい」
俺のうわごとをさっさと中断させると、ジョーシさんは近くに倒れていた人型の木炭のようなものに近づいた。すっかり火は消えているが、苦悶した表情で低くうなるような声を発している。生きている……?いや、そう考えるのは間違っているのだろう。
俺が見守る中、ジョーシさんは短剣を振り上げるとその人型に向けてためらいなく剣を下ろした。俺は思わず顔を背ける。
「救世主さんの地獄という指摘は間違っていないと思います。ここもきっと上にある天国と同じで、人が無意識に望んでしまった何かなのでしょう」
「あ、ああ……」
盗み見るようにジョーシさんの手元に目をやる。人型の木炭は変わらず低いうなり声を上げたままだ、その腕に出来た真新しい傷からは出血もなにもしていない。つまりはこいつらも今までの化け物となんら代わりない、人の形をした何かなのだ。
それが分かってはいても、そんなひどい状態の相手に剣を突き立てるようなマネは俺には出来そうにない。ジョーシさんの冷静さに少しの肌寒さを感じる。
「うーん……?」
「どうかしましたか?救世主さん」
木炭のような人を見ていると、何かが心をかすめた。似ている、何かに。見覚えがあるのだ、古い友人のような誰かに。それが誰だったか……、あ。
「そうだ、サビ人間!」
「はい……?」
「こいつらってサビ人間と同じなのかな?ほら、黒いし斬られても直ぐ復活するし。……まぁ半分になるけど、何か似た存在なんじゃないかって」
「ああ、どうでしょう……。考えた事がなかったですね」
思えばこの騒動が起こったのも奴らのせいで、その原因らしいこの地下とのつながりは大きいはずだ。奴らがどこから沸いて出たのかは分からないが、地下に居たところを見るとやはり同類なのだろう。どうして今までその可能性に気付かなかったのか、我ながら不思議だ。
「ハァ……、ハァ……。ああ、疲れた」
「あ、おかえり」
「姉さん……!」
俺たちが考え込んでいるといつの間にかキョウシちゃんが戻って来ていた。二本の剣は元の姿に戻ってその手に握られている、辺りを見回すと一面の天井が消えてなくなっていた。
真っ赤に燃え上がっていた風景が一変して、雨雲とその隙間から覗く更に上の天井に成り代わっている。これをこの子が一人でやったのだ……、今更ながら驚くべき力と行動力だ。
「はい……、これ。二本ともね」
「あ、はい」
「姉さん、大丈夫ですか……?」
「うん……、疲れた~」
キョウシちゃんは俺に二本の剣を手渡すと座り込んでしまった、一人衣類が濡れていないのは熱の中を走り回ってきたからだろう。その顔一面に満足感と疲労感が広がっている。
一体どれぐらいの距離を走ったのだろう。旋回する長大な剣を二本支えながら疾走する、男でも直ぐに音を上げるような行為をこの子は最後までやり通したのだ。凄いというより、もはや呆れるレベルだった。
呼吸を落ち着けてキョウシちゃんが口を開く。
「何か、話してたの?」
「ああ、えっと──」
「いえ、大した事は……」
ジョーシさんに言葉をさえぎられる。俺が不服そうな目を向けると何やら気まずそうに体の位置をずらしているのが目に付く、まるで背後の木炭人間を隠すようだ。何をしているのだろう。
それに今なんて言った?大した事は……、その続きはなんだろう。大した事は話していないとでも言うのだろうか。その言い分は少々癪に障る。今のは重要な話ではなかったのだろうか、少なくとも俺にとっては世紀の発明のような何かだ。
事の発端であるサビ人間と、ここに居る人のようで人ではない存在。奴らが同一か、もしくは似通った何かではないか?という俺の天才的なヒラメキだ。その良く分からない存在感と不気味さは非常に良く似た何かを感じるし、何より黒い。少なくとも人ではないという共通点は確かだった。
サビ人間に木炭人間……、この奇妙な符号は一体何を俺たちに教えようとして──。
「ちょ、ちょっと、救世主さん!」
「え……?」
「……」
ジョーシさんが急に声を上げる。俺が何かしたというのだろうか?珍しくキョウシちゃんの顔が沈んで見える、うつむいているからそう見えるだけかもしれない。
ハッとして思わず俺は自分の口を押さえた。
「もしかして……、口に出てた?」
「はい……、良く聞こえました」
「……ハァ」
ため息をつくとキョウシちゃんは体を倒して手足を伸ばす、濡れた地面なのにお構いなしだ。大の字になって宙を見上げている。どうやら考え事をしているつもりが口からポロポロと漏れ出ていたようだ、ついでに言ってはいけないような事も漏らしていたらしい。
今までの行為が無駄だとか無意味だとか、焼け石に水だとか焼けぼっくいに火がついたとか。とてもじゃないがひと仕事終えた人間に言う言葉ではない。じゃあキョウシちゃんはさっきの俺と同じく、顔から火と水が出る思いをしているのだろうか。なぜか急に背筋が寒くなる。
よし、謝ろう!と足元の大きな水たまりに額を擦り付ける覚悟をした瞬間、キョウシちゃんが吐き捨てるように言った。
「私だって気付いてたわよ、あれが人じゃないなんて事」
「……そうなんですか?姉さん」
「え、じゃあ、あれだけの行為が無駄で無意味で焼け石に水がついたって事が──」
「分かってました!何よ、そこまで言わなくてもいいじゃない……」
どうやらまた余計な事を言ってしまったらしい、俺は再度足元の水たまりをロックオンする。綺麗な水たまりだ、鏡のように頭上の雲を映している。この水もあの薄っぺらい海の一部なのだろうか……、俺はいつでも行けるぜ?
だが俺には水たまりにダイブする前に聞かねばならない事があった。
「じゃあ……なんで?」
「どうしてですか?」
俺とジョーシさんの言葉が被る。当然のように湧いた疑問と、それぞれの真顔を確認するように一瞬目を合わせると、俺たちの視線は再びキョウシちゃんへと向かった。
キョウシちゃんはスネるように俺たちから顔を背けると、つぶやくように言う。
「だって……、可哀相じゃない」
何を言っているのだろう、俺には意味が分からなかった。泳いだ視線が再びジョーシさんと出会う、その眉間に僅かにシワが寄っている。どうやらジョーシさんにも理解不能なようだ。
相手が人ではないと分かっていても可哀相と感じるものなのか。そもそもその相手は自分が山ほど切り刻んできたいくつもの女体と同じ物体なのだ、それでも可哀相と思えるものなのか。そういえば猫袋相手にも同じような事を言っていた気がするが、それと似た感情なのだろうか。何にしろ、理解に苦しむ。
「救世主さん、すいません。姉はこういう人なので……」
「う、うん……」
なぜかジョーシさんに謝られてしまった。その眉間に出来たシワは理解できないのではなくて、そんな姉を持て余していたせいかもしれない。姉はこういう人、こういう人ってどういう人……?水たまりの上に平気で横になれちゃう人?可愛ければ大体許せちゃう人?女体ならいくらでもミンチにして笑っていられる人?それとも──捨て猫を放っておけない人?……うーん。
視線が落ちる、いつの間にか腕組みをしていたようだ。足元に青み掛かった水たまりがある、空もないのに青い。どうやらもうダイブしなくて済みそうだ。その水たまりが揺れた気がする、誰も足をつけていないのになぜだろう。
再び揺れる、波が起きる。さっきよりも大きく感じる、そしてその間隔が短くなっていく。何かを察知したのか木炭人間たちが身を寄せ合う、こいつら動けるんだ……。
「……」
何やら不穏な流れに俺とジョーシさんが三度顔を見合わせる、キョウシちゃんはそっぽを向いたままだ。
振動が大きくなる、それは水たまりを見なくてもハッキリ分かるぐらいの地響きだった。その音に低い雄叫びが混じる。何かが起ころうとしていた、しかも良からぬ何かだ……。
そして俺は思い出す、ここが地獄という場所だという事を──。




