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剣の上下

 俺は漠然と宙を見上げていた、そんな俺の心の中にはかすかな期待感がただよっていた。

 それは時間が経つごとに少しずつ少しずつ後悔や悲しみに変わっていくのだが。俺はそんな変質を理解しながらも、湧き上がる期待を抑える事は出来なかった。

 期待感 ああ期待感 期待感。


「でも、ちょっとバランス悪いかな」

「広さが足りませんかね」


 姉妹の声がする、それと一緒に足音も。それらは徐々に近づいて来ているようだ、俺が視線を落とすとそこにはキョウシちゃんの頭があった。木の葉の上に生えて来たようだ。

 頭が生える……?この巨木にはそんな力があるのか、その頭はジッと自分の首を探すように下を見ている。すると直ぐにその頭に首が生えた。どうやら少しずつ上がって来ているらしい、更に肩が追加される。

 どうやら本物のようだが、おかしいな。もっと能動的でアクロバティックな登場を期待していたのだが、一体どうなっているのだろう。そんな疑問に耐え切れなくなった俺は、足元を探りつつキョウシちゃんの方へと歩いて行く。

 すると今度はジョーシさんの頭があった、二人とも下ばかり見ていて俺の存在に気付いていないようだ。俺が更に歩を進めると、二人の輪郭が完全に姿を現す。それと同時にその足元には──。


「階段……?」

「あ、救世主さま。無事みたいね」

「頭は冷えましたか?」


 ようやく俺の存在に気付いた姉妹が顔を上げる、が直ぐに足元を見る。そこにあるのは随分細い階段だ、足を乗せる幅しかない階段が、良く見ると二つ。これはもう二本と言って良いのだろうか……。

 頭の冷える光景だ、冷めたと言ってもいい。俺の頭上には神の剣が浮かんでいて、それが俺を日差しから守ってくれているのだが、原因はそれではない。

 俺は一体なんの為にわざわざあんな死ぬような思いをしてこの木の上に上がったのか──。


「ああ、これね。この子が思い付いたの、凄いでしょ?」

「救世主さんの吹き飛ぶ姿を見て、余りにも危険だと判断したので、その……」


 キョウシちゃんが自慢の妹を見せびらかすように言う。ジョーシさんは珍しく語尾をにごらせて言う。ここは男らしく、二人にケガが無くて良かったとでも言うべきだろうか。だが、そんな気には全くなれなかった。

 これでは俺が実験台のようではないか、あの発射台で味わった恐怖やその後の高揚感がまるで茶番のように思えて悲しくなった。


「でも、この階段であの穴まで行くのは難しそうね」

「さすがに危険ですね。天井に剣を突き刺したとしてもいつまで固定できるか分かりません」


 姉妹は巨木の上へと上がるとそれぞれの剣を呼び寄せた、そして冷めた顔の俺の横に並ぶと周りを見渡した。ここが恐らくこの空間で一番高い場所だ、それでも天井を見上げると俺たちの目指す穴は遥か先にあった。あそこへはまともな方法では辿り着けそうにない。どうやったら戻れるんだか……。

 視線を落とした俺は、そこにあった風景と共にため息のような声を落とした。


「案外狭かったんだな……、ここ」

「……そうね」

「だから何度も往復させられていたんですね」


 俺に釣られて姉妹も視線を落とす、そこにはこの遺跡のような街の全容があった。俺が散々往復した二本の通りと、それを両脇から包むように建物や木が並んでいる。その両端の先は何もない、白い雲があるだけだ。建物が続くように見せかけて何もない、本当に見掛け倒しの天国だ。まぁ広ければいいという訳でもないが。

 俺は街から視線をそらすとフと姉妹の顔を見た、そして思わずキョウシちゃんの顔を二度見する。随分鋭い視線で街を見下ろしていらっしゃる、そこには敵対心や嫌悪感が見て取れた。その原因は……?直ぐに俺の頭に浮かんだのは彼だ、顔も知らない彼。

 恐らくは俺の伸ばした剣によって衣服をはぎ取られた彼であり、そのまま全裸でキョウシちゃんの周りをブラブラと踊った挙句にキョウシちゃんにビンタを食らった、その彼だ。

 俺はそんな顔も知らない彼に、心の中でありがとうとつぶやいた。


「さて、どうしましょうか」

「色々試してみるしかないんじゃないの?救世主さまで」

「俺で!?」


 俺がご指名らしい、俺で決定らしい。まぁ下手に回りくどく使われるよりハッキリ言って貰った方が精神的にはスッキリするが、やはり俺の役割はそういう部分なのだと改めて実感する。

 救世主とは、雑用係であり子猫の世話役であり実験台である。おっと、穴掘り要因を忘れてはいけない。


「飛ぶのは無理みたいだし、投げるか飛ばすか突き刺すか。他に何かある?」

「キョウシちゃん、俺を一体どうするつもり……?」

「あの……、いいですか?」


 ジョーシさんが改まった口調で俺たちを制止する。姉の余りの言い分にさすがに俺が可哀相だと感じたのだろうか、さもありなん(=そんなところだろう)。


「上に戻るのもいいんですが、それより一度下へ降りてみませんか?」

「……はい?」

「えーっと……、本気で言ってるの?あなた」

「だって、気になりませんか?ここより下がどうなっているのか」


 ここより下……、正直あまり気にならなかった。だが見下ろすと、白い雲のような陸地の割れ目にチラチラと青い海のようなものが見える。そしてもっと遠くに目をやると雲の向こうに海が見渡せた。白と青の水平線。

 この空洞は想像以上に広い、つまりはどこへ掘ってもここへ辿り着いてしまうのだろう。仮に戻っても迂回するのは難しいかもしれない。

 結論を言うと、下へ行くしかない──。その事実を俺とキョウシちゃんに説明するのに、ジョーシさんはそれなりの時間を費やす事になった訳だが……。



「じゃあ、降りよっかー」

「はい……、お願いします」

「どうしたの?疲れてる?」

「いえ……、大した事は」


 二言目には、どうして?と言うキョウシちゃんの説得にはそれなりの体力と根気を要しただろう。珍しくジョーシさんの顔にかげりが見えた。だが疲れの原因であるキョウシちゃんにそんな自覚は全くないようで、次の目的が決まった事であっけらかんとしている。

 しかしキョウシちゃんの言い分にも納得できる部分は多かった。今でさえ戻るのが大変なのに、更に降りてその労力を二倍にしようとしている事が理解できないとか。さすがにこんな場所へはオヤジも来ないだろうから、食事やその他はどうするのかとか。心配すればキリが無いように思えた。

 その心配の中に敵や化け物の存在がないのはさすがとも思えたが。……やっぱり戻ろうか?


「じゃあ、救世主さま。降りよっかー」

「ああ、はい……。ご指名ですか」

「すいません、救世主さん。お願いします……」


 姉妹が俺の顔をジッと見ている、こういう時は都合がいい。俺が一番に行くんですね、分かってますって。俺が何を思ったところで結局は二人の決定に従うのみだ。俺はただのしがない救世主ですので、はい。

 そして俺たちは例の階段を使って巨木を降り、ズイズイ進んで街の建物を乗り越えると、息をつく事なく雲に剣を突き立てて穴を作った。もしかしたら穴が開くのでは、という俺の思い付きがこうも簡単に行った事になぜか居心地が悪いものを感じはしたが。


「……」

「うわ……」

「えーっと……、これは」


 俺たちは無言で穴を覗き込む。そこは想像以上の高さだったが、一面青いだけの海に遠近感はなく、見ている程に吸い込まれるような吸い込まれたくないような不思議な感動で心が満たさた──。吸い込まれたくないです。

 そんなためらいしかない俺を、姉妹の視線が徐々に包囲していくのが分かる。徐々に崖に追い詰められていくのが……。

 人殺しっ!と叫んで飛び降りてやろうかと思ったが、足元に並んだ神の剣を見るとそんな気も収まった。なぁに、これが初めてではない。神の山から暗闇に落ちたのと、ここの天上から落ちて来たのと、これでもう三度目か。

 フと全身の力が抜ける、さっさと覚悟を決めて俺は剣の上に横たわった。棺おけの中に入るようだが、それももう三度目か……ははは。


「じゃあ、神の剣よろしくー」

「気をつけて下さい」


 俺は両目を閉じると、河に流される遺体のような気分で頭の中を空にする。剣は俺を引きずるように穴まで行くと、スッとその中へ降りて行く。後は野となれ山となれ──。

 少し目を開くと雲の裏側が見えた、色々と乗せているせいか雨雲にしか見えない巨大なシルエットは不穏にしか見えなかったが。それでも下から見上げるにはそれが正しい配置で、少なくとも明るい地面を見上げているよりはマシに思えた。

 気をつけて下さい──、ジョーシさんの言葉が頭に響く。一体何を気をつけるというのだろう、雨や嵐だろうか?そもそもどうやって気をつけるというのだ、俺の状態は完全に無防備でしかない。

 海の上に降りたら何をしようか……?そんな疑問が頭に浮かぶと、俺はようやく自分たちの無計画さに気がついた。俺、泳げないんですけど。

 体を起こすと剣の隙間から下を覗き込む。そこには雲の合間から見たのと同じで真っ青な平面が広がっている、陸地のカケラも見当たらない。きっとその澄み切った青色は今の俺の顔色と同じだろう。

 戻って!思わず神の剣に懇願するが、この剣たちにそれだけの力がない事は既に証明されている。俺は溺れ死ぬのだろうか……?最悪、神の剣をつかんでおけば何とかなるかもしれない。剣に投げ出される不安はあったので、見分けのつかない三本から適当に一本の柄を握り締める。

 海の深さは?化け物は潜んでいないか?塩水なら神の剣は逃げ出すだろうけど大丈夫か?そもそもあんな所に降りて、更にそこから下を目指すってどういう意味だ?皆泳げないんじゃないの!?

 俺はやっと事の面倒さに気付く、本当に実験台だ。俺はひどい目に合わされている、こんなひどい目に会わされるなんて何度目だ!?


「……いつもの事か」


 俺は一人でそうつぶやくと、近づいて来る水面を眺めた。綺麗な水面だ、波一つ立っていないように見える。不思議と恐怖は消え去っていた。後は野を煮るなり山を焼くなり、どうとでもしやがれ──。

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