剣の飛翔
「地面に剣を突き立てて、柄に足を乗せる。そのまま刀身を伸ばせば一気に上がれると思うけど、どう?」
「うん、悪くないと思うけど──」
「姉さん、それだとバランス崩をしたら危険ではないですか?」
俺たち三人は天井を見上げていた、そこにある針の穴のような場所に戻る方法を考えていたのだ。やはりこれが一番の難題に思えた。
「降りる時と同じように、剣に乗ってフワフワと飛んでいければ楽なんですが」
「それはそれで怖くない……?」
「問題はそれだけの力があるかよね~」
案はそれなりに浮かぶのだが、いまいちやってみようという気にはなれずに、俺たちはただ遠い天井を見上げているだけだった。上がるというのが始めてだったのと、目的地が余りに遠くて現実味が無かったというのが正直なところかもしれない。
「どうだろう、一旦そこの木の上に上がってみるというのは」
「……そうね、ちょっとでも天井に近い場所の方がいいわよね」
「そう、ですね……」
試しにとでもいうように神の剣を三本並べた俺たち。てっきりキョウシちゃん辺りが一番乗り!とでも言って剣の上に移動するかと思ったのだが、それきり何も言わずに俺の顔を見ている。ジョーシさんも俺の顔を見ている、俺はそんな二人の顔を交互に見ている。
「……え、俺?」
二人の視線が意味しているのはそういう事らしい、どうやら俺がご使命のようだ。このまま無言の抵抗を続けようかと思ったが、俺は声を上げる事で自ら死地へ飛び込んでみた。そんな俺の自己犠牲的な行為にキョウシちゃんは悪魔的な笑みで返答する、ジョーシさんの方はスッと視線をそらせてしまった。罪悪感でもあったのだろうか。
まぁいい、いきなり天井の穴まで飛ぶ訳ではないのだ。巨木を見上げるとそこは俺の体二個分ほどの高さで、危険性はないと思われたが予行演習にしてはちょっと頼りなくも思えた。
俺は渋々三本の剣の上へと移動する、だが俺は内心ちょっとワクワクしていた。空を飛ぶのだ、ここに居る偽者の有翼人ではないが、空を飛ぶのに憧れのような感情があったのだ。それが今、こんな形で叶うとは……。
俺は静かに呼吸を整えると、そんな気持ちを悟られないように剣の上に両足を乗せる。そして立ったままで風に乗るようにソッと両手を水平に広げた──。
「神の剣!」
俺の声が響き渡ると足元に力を感じる、俺を押し上げようと神の剣の力だ。俺は全身の力を抜くと自分の声と共に上昇するように空へと上がっていく。空気が軽く感じ、風が頬にこそばゆい。俺は何者にも縛られる事ない空へ、空の世界へと飛び出したのだった。
果てしも無い自由と冒険の場所、過去も未来も後悔もなく、ただ現在のみによって作られた、そんな空の世界へと俺は飛び出したのだった──。
「……プッ」
「救世主さん、楽しそうですね」
空中旅行を楽しんでいるはずの俺は、いつの間にか閉じていたその両目を見開く。すると目の前には姉妹が居た、風景も何一つ変わってはいない。どうやら俺は空どころか少しも浮かぶ事なく、その場でカカシのように両手を広げているだけだった。風は、空は……?どうやら気のせいだったらしい。人の想像力って、凄い。
足元を見ると神の剣が反り返っていた。一応は持ち上げようとしてくれてはいるようだが、どうやらそれほど力は無かったらしい。別に俺が特別重いって訳でもないだろうし、原因は別にあると考えるべきか。
「救世主さん、両手をパタパタと振られてましたが、あれにはどういう意味があったんですか?」
「ププッ……。ちょっと!もう、やめてあげなさいよぉ」
「……」
姉妹が楽しそうで良かった。そうだ、俺は少し夢を見ていたんだ。いい夢だった……、それでいいじゃないか。
神の剣から足をのけると、重りから解放されたように剣だけが浮かび上がっていく。光を浴びて剣だけがどんどん上空へと駆け上がっていく──、俺はそんな剣の姿を見上げていた。ああ、俺も飛びたかったなぁ。
「仮に浮かび上がっていたとしても、両目を閉じるのは危険だからやめた方がいいと思います。……救世主さん、聞いてますか?もしかして、泣いてます?」
「ウプププ……」
俺はただ空を見上げていた。天井しか見えないが、そこにあるのは間違いなく俺が飛ぼうとした空だ。遠く広がる土色の天井は奇妙な光景ではあったが、その中間に間違いなく空はあった。
──耳の穴を塞ぎたいと思いながら見上げていると、静かに剣が降りて来た。そういえば俺たちがここへ降りた時、必死に支えてくれたのはこいつらだった。支えるぐらいの力しか無いと考えるべきなのか、それとも自分の重さ以上の物を持ち上げるのは厳しいと考えるべきなのか。こいつらの生態はいまいち良く分からない。
俺の足元にはキョウシちゃんがうずくまっていた。さっきからプスプスと妙な呼吸音を発していたが、そんなに面白かったのだろうか。俺の中に何やらドス黒い感情が沸き起こる。
そういえば姉妹はこういう結果になるのが分かっていたのかもしれない、だから俺にやらせたと考えるべきなのだろう。それは前に山の中へ落ちる俺を見たからか、それともここへ落ちて来た時に察したのか。
ここの空気に呑まれても案外記憶は残っているようだし、正解は恐らく後者だろう。
「はい、救世主さん。ここに乗って」
キョウシちゃんが俺の足元からサッと立ち退く、そこには地面に突き刺さった剣があった。てっきり笑い過ぎて気分が悪くなっているのかと思っていたが、どうやらこれを設置していたらしい。俺の中にふくらんでいたキョウシちゃんへの暗い感情が一気に吹き飛ぶ。
勝手な思い込みは良くない、キョウシちゃんも俺の事を考えて行動してくれているじゃないか。心が晴れると共に軽い罪悪感を感じ、言われるままに俺はキョウシちゃん示した場所に足を掛ける。剣の鍔に乗るとは珍しい、これで何をするというのだろう。
「はい、それと柄も握ってね。うんうん、じゃあ神の剣、よろしくー」
「キョウシちゃん、これって何の意味が──」
うわわわわ!?俺は剣に持ち上げられて怖い怖い!叫び声すら上げられないギャー!飛ぶというより発射台だ、神の剣の刀身は伸び上がり俺をグイグイ上へと押し上げていくっていうか速いよ!もっとゆっくりお願いしまうわわわわ!!
どうしてこうも乱暴なのだ、もっと空想的で夢見心地な空中旅行は出来ないものか。それに角度も悪い、最初からそのつもりなのか剣はかなり斜めに突き立てられていた。よって俺も斜めに持ち上げられていく。平衡感覚が狂うせいか、単に下から突き上げられるという慣れない体験のせいか、すこぶる気分が悪い。
「はい、止まってー」
キョウシちゃんの呑気な声と共に、神の剣は急に伸びるのを止めた。そうは言っても止まれない、俺は急に止まれない。柄を握っていた手はスポンとあっけなく抜けると、俺はそのままの勢いで中空へと吹き飛ばされる。まさに発射台だ、だが飛ばされた方はたまったものではない。
そのまま俺の体は僅かに加速を加え舞い上がったが、少しの浮遊感を味合わせてくれた後、直ぐに自由落下へと移行する。ここから先は慣れたものだ、しょっちゅう吹き飛ばされている経験が生きた。この段階ではそんな苦笑を漏らす程度の余裕はあった。
だが上空にある天井が奇妙な錯覚を引き起こす、俺が落ちて行くのはどっちだろう?徐々に離れて行く土色の天井が俺の不安感をいや増しする、顔を横に向けると白い雲が目に入った。これはどうなっている、俺は空に向かって落ちて行くのだろうか──。
落下が加速度を増していく、頭上の地面が遠ざかる。飛びそうになる意識を恐怖心がギリギリで押さえつけていた、気を失ったほうが楽だった。俺の体は上下の狂った世界で奈落の底へと吸い寄せられていく人形のようだ、手足の感覚が遠く、淡い。
押し寄せる恐怖といつか来る終わりへの期待で意識が二分されていく、思考がまるで形を成さない。怖い、やばい、早く終わって。こわやばい、早く終わっ。こやばい、早く。こやばやく。こばやく。こばっ!
頭の中が無数の叫びとつぶやきで支配された時、俺の視界を緑の草木が覆いこみ、背中にいくつもの痛みが走った──。
地面だ……、いや、地面は俺の頭上にあった。木の枝だ……、いや、頭上にあったのは天井だ。巨木の上だ……、そうだ俺は巨木の上に落下したのだ。何はともあれ助かった、助かったのだ……。
「救世主さま、生きてるー?」
「何だか凄い飛び方をしましたが……、大丈夫でしょうか」
その声はあの世からのお迎え、ではなく姉妹のものだった。俺はうずもれた密度の高い枝葉を這い上がり、なんとかその上に顔を出す。のどかな日差しに我を忘れてしまいそうになるが、これは偽物だと自分に言い聞かす。
それでも込み上げて来るこの感情はなんだろう──。
「生きてるって素晴らしぃー!」
「……わあ、凄く元気みたい」
「大丈夫じゃないみたいですね」
俺が満ち溢れる生命を味わっていると、スルスルと神の剣が飛んで来て俺の上で日差しをさえぎる。姉妹に何を吹き込まれたのか分からないが、そのまま小さな日陰の中で二人を待つ事にした。
やはり飛んで来るのだろうか、俺と同じように。なら、きちんと受け止めてやろう。そう思い腕を鳴らす、そして心の中に様々な妄想が湧き上がる。いや、俺は親切心でやるだけで別に変な意図がある訳でない。そりゃあ多少めくり上がったり触れ合ったり絡み合ったり、更にはもつれ合ったりぶつけ合ったり乳繰り合ったりはするだろうが、それらは全て不可抗力という名の良心だ。
あの子たちが飛んで来る、俺がそれを受け止める。清い触れあい、不可抗力のまさぐり合い。なんだか心がワクワクする。
いいぞ、生命感。溢れるほどの生命感。来いよ、ドンと来い。そして俺をもっと満ち溢れさせてくれ。
「どうかな、これ」
「行けそうですね」
中空を見上げる俺の足元に振動が走る、来るか!?そしてどっちが先だ?俺が完全な親切心でもって完全に受け止めてくんずほぐれつ。くんずほぐれつ!
俺は待った。そして姉妹は姿を──、現さなかった。
読み返して自分の日本語が分からない時に唖然とします。
まぁ良くある事です。




