剣のあの場所
それは夢の中のような光景だった。
三本の剣に体を支えられた俺は、うつ伏せの体勢で白く綿のような風景の中へと降りて行く。それはとても穏やかで、ジンジンと脈打つ頬の痛みも忘れるほどだ。白い綿は発光しているように見えるがそれほど眩しくは感じない、不思議な光に満ちている。
少し顔を横に向けると、その光の元とでもいうような円形が目に入る。これはきっと太陽なのだろう。見ていても目を刺すような痛みはなく、ただ優しくそこに浮かび上がっている。そして四方に光を放っている──。
その下に強い陰影のある建物が広がっていた、あれははなんだろう。重厚な石や岩で作られた柱がいくつも並んでいて、巨大な塔と門も見える。そしてその奥にそびえる巨木。
白い綿の上に浮かぶ石造りの建造物、それはなぜか懐かしく、スッと心の中に収まる景色だった。記憶の奥にある家──、フとそんな言葉が頭をよぎる。
「はー、やー、くー。きー、たー、きー、たー。はー、やー、きー、たー、きー」
暖かい上昇気流のような歌声に顔を向けると、俺の下方に姉妹の姿が見える。二人は楽しげに声を発しながら綿の上をゴロゴロと転げまわっている。その姿は子供返りした天女のようだ。
きー、たー、よー。きー、たー。と俺もその歌声に合わせて声を発しながら、視線が下がっていくにつれて大きく感じる石造りの風景を眺めていた。動く小さな物が目に入ったが、それは人影だろうか?良く見るとそれは一つではなく、いくつも動き回っているように見え──。
不意に俺を支えていたものが消える。夢から悪夢へと急降下したような俺の体は、そのまま姉妹の間の白い地面の上へと叩き付けられた。
「うわっ!?ぶわ~~ん」
はずなのだが、不思議と痛みは無かった。妙な弾力によって跳ね返された俺の体はそのまま再び浮遊する、そして再度落ちて行くのだが、もう恐怖は感じなかった。そんな俺に姉妹が笑い掛ける。
この白い物体はなんなのだろう。柔らかく、それでいて弾力がある。温かくて冷たいような、触れた瞬間に溶けるような感触がする。良く分からない。
気付くとバウンドの終わっていた俺の体は、白い大地の上に全身をすり付ける。なんだろうなんだろう、分からないけれど気持ちがいい。なんだろう?
姉妹と同じように体をゴロゴロと横に回すと、俺もまた転がりながら歌っていた。なんだろう、でも気持ちいい。だから転がり、気持ちいい。なぜか顔が笑みを作っている、その理由は分からないけれど、俺は姉妹の動きに合わせて、たまにぶつかりながらも一緒にゴロゴロと転がり続けた。
「きー、たー、きー、たー。つー、いー、たー、たー。つー、いー、っー、たー、あー」
どれぐらいそうしていただろう、俺たちは空に浮かぶ壁とそこに出来た小さな影のような穴を見上げて寝転んでいた。ポカポカと射す光は気持ちが良かったが、目の回るような不快感がそれに勝り、引きつったような笑みが顔全体に広がっていた。
俺は太陽に手をかざし、光をさえぎる。そして体を起こすと左右の姉妹を眺めた。やはりと言うか、そこにあった顔も俺と同様に引きつった笑みを浮かべていた。悪酔いしたような心地の悪さがあったのは、全てあの太陽のせいなのだろうか。憎々しげに指の間から見つめるが、気持ちいい。それでも気持ちいいなぁ……、おっと。
俺は先導するように体を起こすと、左右の引きつった顔に声を掛けた。
「行こう、俺たちにはやる事がある」
我ながらどの口が言うのかとは思ったが、それでも他に言葉は浮かばなかった。少なくとも左右の二人に今の俺をどうこう言えまい。そんな姉妹は億劫そうに体を起こすと、それぞれに口を開いた。
「すいません、まさかこんな事になるとは……」
「なるとはねー」
ジョーシさんにはこうなる事が予想できなかったのだろうか。その事が意外にも感じたが、それほど真っ直ぐで迷いが無かったのだ。俺とは違う、良くも悪くも。
キョウシちゃんの反応には多少の引っ掛かりを覚えたが、それでも俺は足を一歩踏み出した。その方向は当然、あの石造りの建築物がある方だ。すなわちそれは太陽のある方でもあり、俺は日差しを手でおおいながら歩を進めた。
「雲の上って、乗れたんだな」
「山を登った時は乗れなかったと思います。でも、これってやっぱり雲っぽいですよね」
「くもいよねー」
何気なく思っていた事が口から出る、やはりまだ頭が呆然としているようだ。やはり雲っぽい、雲いよな。二人もそれに気付いていたらしい。でも神の山に登った時は確かに乗れなかった、霧の中を歩いた記憶しかない。あれ?雲なんてあったっけ、それよりくもいってなんだ。
やはりキョウシちゃんの反応がおかしい、チラとその見るとその顔は既に満面の笑みを浮かべている。どうやらもう日光浴に戻っているらしい、というかずっと続いているのだろう。
その運動神経の高さからか、あの無駄にゴロゴロ転がったせいで起こる不快感が少なかったのだ。俺とジョーシさんは何とか自我を取り戻したが、この子の頭は光合成を続けたままらしい。能力の高さがアダになるとはなんとも不思議な事態だった。
しかしそれも時間の問題か、このポカポカ感を味わっていると少しずつ俺の頭もキョウシちゃんに近づいて行く気がする……。
危機感を感じた俺はローブの襟をたくし上げると、それで頭をスッポリと覆った。足元が少し涼しくなったが、それでもこれで少しは時間が稼げるだろう。
ケタケタと笑い声が聞こえたが、それはきっとキョウシちゃんのものだ。気にしない、気にしないっと……。
「神の剣!」
唐突にジョーシさんの声が響いた。俺は顔を横に向けるが服の内側しか見えず、覗き穴のようになったローブの穴を移動してジョーシさんに照準を合わせる。するとそこには鎧をまとった騎士が居た──。
いや、違う。俺の狭い視界からは全体が見えなかったが、どうやら頭部だけ冑で覆われているらしい。良く見ると首元に垂れているのは剣の柄のだようだ……。
という事は、これは剣。神の剣の変形した姿なのだろうが、果たしてこれでいいのだろうか?剣を冑代わりに使ってもいいものなのか、信者としてそれはどうなのか。様々な疑問が頭をよぎる。
「緊急事態です、この際仕方がありません」
「ありませーん」
仕方がないらしい、次期教祖さまのお墨付きだ。俺の視線だけで察したところを見ると、やはり気にはしていたらしい。それならまぁ、俺に文句を言う筋合いはないので良しとする。とりあえずの日差し対策をした俺たちは石柱の建ち並ぶ建造物の方へと急いだ。
「さー、んー、ぽー。さー、んー、ぽー。わたっしはー、てーんきー」
キョウシちゃんの妙な歌が響いている。とても楽しげで、つい口を合わせて歌いたくなる。危険だ、この空間には能天気な喜びと得体の知れない恐怖が満ちている。俺もキョウシちゃんのように満面の笑みで手足を大きく振って歩きたい。だがそれではいけないのだ、まだこの場所がなんなのかすら俺たちには分かっていない。
歩くにつれ足元が石畳に変わっていく、石の間から雑草や名の知らぬ花が芽吹いている。それらも発光しているように見え、俺は思わず吐息を漏らす。なぜ全ての物がこんなに美しいのだここは……!巨大な石柱は俺たちを優しく見下ろすようにそびえ立ち、巨大な門は威圧感もなくなぜか俺たちを招き入れるようにたたずんでいた。
ここはまるであれではないか、良い行いをした人間が死後に行くというあの──。
「てーん、ごー、くー。てんてーん、ごーくー、ごー」
「まるで天国ですね」
そうだ、それなのだ。だが天国は空の上にあるのではないのか、ここは地底だぞ。雲の上と言えば間違いはないのかもしれないが……。
俺がそんな考えに戸惑っていると、建ち並ぶ石柱の影から何かが姿を現す。──人だ、白い布を体にまとって穏やかな顔で歩いている。それは俺が警戒するのも忘れるほどに、素っ気ない姿だった。
彼は俺たちの存在に気がついていないように柱の前に腰を下ろすと、そのまま石柱に背中を預けて空を見上げた。その姿は不思議な幸福感に満ちていて、必死にこんな場所までやって来た俺たちの行為がせせこましく感じるほどだった。
それを感じたのは俺だけではないようで、隣に居た冑騎士のその鉄板の隙間からため息の音が漏れて来た。単に首が重いだけかもしれない。
「てーんてーん、ごーくごっくー。てーん、ごー、くー」
そういえば無駄に幸福感を撒き散らしている人物はここにも居た。そんなキョウシちゃんの姿は羨ましくも思えたが、それがつまらない事であれ俺たちにはまだやるべき事があるのだ……!
不意に口笛の音が鳴り響く、何かを呼ぶような鋭い音だ。その方向に顔と穴を向けると、そこに居たのは女だった。白い布をまとった髪の長い女が、片手を空に向かって掲げうっとりとした顔で横たわっている。なんという無防備さだろう、まるで襲ってくれと言っているかのような大らかさだ。いや、言ってないけど。
その女の前に影が降りた、翼のような物の影。しかしそれは鳥というには余りに大きかった。──人だ。翼を持った男が女の前でその長く大きな翼を畳むと、それがあらかじめ決まっていたかのように女の頬に口付けをした。
「あらあら……!」
良く分からない感嘆が隣の冑の隙間から漏れて来る。それが余りに自然な口付けに対してのものなのか、それとも翼を持った人に対してのものなのか、その判別は俺には付かない。だが、翼だ……、それだけは確かだ。前に会った腐肉を食い散らす人面鳥とは違って、俺が想像していた通りの神々しい存在がそこに居る。俺は自分の目を疑った……。
ここは一体なんなのだろう。やはりここは──。
「ごー、くー、んー、てー」
なのだろうか……?




