剣の真下
「次期教祖さま、この辺りでいいんですかね」
「そうねぇ……。ちょっと日当たりに難ありだけど、仕方ないかなー」
「姉さん、ボクは悪くないと思いますよ」
早くも着工が始まっていた。
姉妹はあれから、一人納得のいかない俺を残して和やかに食事を終えると、その権力を遺憾なく発揮して街中でも評判の大工をかき集めた。恐らくは別の仕事の途中であったろう彼らは、それでも嫌な顔一つせずにキョウシちゃんからの無茶な注文を引き受けている。
場所は街の外れ、地下への入り口である穴の直ぐ側だ。こんないかにも怪しいところに教団の主要人物が住んでいいものなのだろうか……?楽しそうに間取りを相談している姉妹を見ると、そんな疑問を抱いているのが俺一人ではないかという不安を感じる。孤独も感じる。
そもそも教団の上層部は街の建築に口出ししないのだろうか。この街を牛耳っている割に大らかで、どこか詰めが甘い。お陰で街中がカオスと化しているのだが、一体この状況をどう見ているのだろう。
うーん……とうなり声を上げてはみたが、俺に何か分かる訳もなく。黄昏る俺に背後からキョウシちゃんの元気な声が聞こえて来た。
「じゃ、私たちも自分の仕事に取り掛かりましょっか」
「そうですね、ボクたちがここに居ても邪魔になるだけですから」
「……え」
そう言うと姉妹はスタスタと穴の方へ歩いて行く。俺たちが地下へ通っているのは一応秘密にしているつもりなのだが、どうやら隠し立てするつもりは全く無いらしい。それはそれでいさぎよさは感じたが、そんな俺たちを追って街の住人が地下へ紛れ込んだらどうなるのか……?
俺の不安をよそにキョウシちゃんが肩慣らしとばかりに剣を振り回している。まぁ、こんな危ない連中が居る場所にわざわざ乗り込んで来る物好きも居ないか……。
「どうしたんですか?救世主さん。早く行きましょう」
救世主という部分をこれでもかと声を小さくしてジョーシさんが言う。教団のローブを着ていようが、やはり俺の存在は秘匿されているらしい。
秘密の救世主、そして俺たちの秘密の行動。黙認された邪教徒たちと名前だけの支配者、そして一応の外敵(サビ人間)。この街にはおかしな物が多すぎる、虚実が入り混じっていて何が虚で何が実なのかすら分からない。
先を行く姉妹が立ち止まり、俺の方を振り返る。少なくとも彼女たちは本物だ、そして着実に何かを変えようとしていた。
俺は俺に出来る事をしよう。仮にこの街が狂っていたとしても、それを守るのが俺たちの使命なのだ。俺は一歩足を踏み出すと、姉妹の元へと駆け出した。
「まったく、移動だけで随分時間が掛かるようになっちゃったわね」
「それだけ前進して来たという事です、仕方が無いでしょう」
「そりゃ分かってはいるけどさぁ、……いつまでこんなモグラみたいなマネ続けなきゃいけないのかしら」
穴を降りて行くと、早くも暗闇が嫌になったのかキョウシちゃんが愚痴り出す。いつものワガママのようにも思えたが、その気持ちは俺も同じだった。
何しろゴールが分からないのだ。ガムシャラに穴を掘り進め、更には横穴のような物も縦横無尽に走らせて、それでも何の進展も見られない……。これでは愚痴るなという方が難しいのではないだろうか。
グルグルと螺旋階段を作るように掘り進めた穴も、真っ直ぐ下へ向かっているのか方向がかなり怪しくなっている。まったく……、誰がこんな事をしろと言い出したのか。その相手が分かっているだけに大手を振って文句も言えない。
俺たちは口々にため息を漏らすと、再び黙々と地下へと降りていった。
「あの子ってお風呂嫌がるのよね、どうしてだろ」
「猫は基本的に入浴を嫌うようですよ」
「え、そうなの?……なんで?」
「それは……、猫にでも聞いて貰わないと分かりません」
気付けば姉妹は再びお喋りを始めていたが、俺たちは既に埋められた人魚の間を過ぎて巨大な暗闇の間、恐怖の間とでも呼べばいいのだろうか。その直ぐ手前まで来ていた。
さすがにあんな場所をもう一度通ろうとは言い出さないだろう。敵の正体が分かったとはいえ、あんな思いをするのはもう沢山だ。
「そっか……。じゃあ今度聞いてみる」
「……はい」
「あーぁ、やっぱり連れて来れば良かったかなー。何か心配でさ」
「あの子猫ですか?肉球ボロ雑巾猫の──」
「フルネームはやめて。いや、そもそもそんな名前じゃないし」
しかし緊張感のない姉妹は一向に足を止めようとしない、焦っているのは俺一人ではないかと不安を感じる、孤独も感じる。一体この姉妹は何を考えているのだろう。……子猫の事を考えているんだろう、そりゃそうだ。
前回の事を思うと連れて来ない方が圧倒的にいいと思うのだが、どうやら自覚はないらしい。自分の手で子猫を輪切りにしていた可能性もあるというのに、どうもそうは考えていないようだ。
いや、子猫が居ればあんな状況からでも一発で元に戻れた可能性も──。
「最近逃げるのよね、一度無理やりお風呂に入れようとしたら警戒しちゃって」
「そういえば余り懐いていませんでしたね」
「だから連れて歩けないのよね。前も連れて来てなかったじゃない?」
「ああ、まぁ……」
ジョーシさんの語尾がにごる、恐らく姉に対して呆れているのだろう。思うところはきっと俺と同じはずだ。ならジョーシさんはそろそろ気付くだろうか、俺たちが再びあの危険な場所へ足を踏み入れようとしている事に。
そろそろこの無用のお喋りを切り上げなければならない、姉妹の部屋と化したこの空間に口を挟むのは憚られたが、それが今の俺の重要な使命のように思われた。
「キョウシちゃ──」
「じゃあ、やっちゃって!」
勇気を振り絞った俺の声がかき消される、それはキョウシちゃんの声だった。その手首に巻き付いた剣が長く伸びると天井に吸い込まれる。言葉の途中をさえぎられ、口を開けたままの俺が次の言葉を探していると、目の前に落ちて来た壁が俺たちの行く手をさえぎった。
「これでよしっと。で、何か言った?救世主さま」
「キョウシちゃん……、凄いね!」
「そうでしょ~?壁を壊さずに切る方法を思い付いたのよ、これなら今までより穴を塞ぐのが楽になるわね。じゃ、後はよろしく!」
そう言うと姉妹は腰を下ろしてしまった。
うん、俺は二人を信じてたよ。もうあんな悲劇を二度と繰り返そうとはしないはずだと、当然じゃないか。はは、ははは……。
安心と気落ちした俺は、それでも背中から剣を取り出すと斜め下へと突き刺した。すると爆発音と共に大きな穴が出来上がる、落ち込んでいた俺のテンションが一気に上がる。気持ちいい、このままずっと無用な穴を掘り続けていたい。
「へぇ、その剣にそんな力があったなんてね。話には聞いてたけど……、凄い」
思わずキョウシちゃんが感嘆の声を上げる、なぜか俺は自分が褒められたかのように気分がいい。フフフ、そうだろうそうだろう。
きっとキョウシちゃんではこの使い方に気付かなかったと思われる。その方法は単純に掘れ!とか穴が開け!と念じて剣を突き刺すだけなのだが、出来ないと思っていると人は試してもみないものだ。
「その剣ならボクでもかなり掘り進められました。それほど力も要らないですし、便利ですよ」
うんうん、いいぞ。もっと褒めたまえ崇めたまえ。気分良く穴を掘り進める俺の背後から、座ったばかりの姉妹がもう後を追って来ていた。もっと俺とこの剣に光を当てたまえ。
上がったテンションを隠す事なく小走りに歩を進めると、俺は更に下へ下へと穴を掘り進めた。
「ちょ、ちょっと救世主さま!早いって」
「それに角度が急になってますね……」
一つ難点があるとすれば精度だろうか。一度に大きな穴が真っ直ぐに掘れるのだが、その分僅かなズレが大きな誤差を生んでしまう。直線に掘れれば楽なんだけどなぁ……、残念ながら目的地は真下のようなのだ。
今度は慎重に角度を選んで剣を突き刺す。急過ぎず、ゆる過ぎず、円を描くように横方向にも角度をつけて……掘るべし!穴は見事な角度を付けて広がった、見たかこの職人芸!
背後でキョウシちゃんの感嘆の吐息がこぼれる。
「ほんとに凄いね。これなら救世主さまが居なくても私たちだけでも何とかなるかも」
「あ、姉さん。それを言っては……」
「え、どうしたの?」
「……」
俺の体が重く感じる、鉛のようになった気分だ。褒められていたのはこの剣であって俺ではない、そんな当たり前の事実がよみがえる。で、でもこの剣が穴掘りに使えるのを発見したのは俺だもん!だからやっぱり俺が凄いんだもん!と、意地になってみたものの──。
ああ、もう分からない。俺には俺が分からない。救世主という概念も言葉の意味も分からない。
「だってそうしたら救世主さまにあの子の相手を任せられるじゃない」
「あの子って、子猫ですか?」
「他に居ないでしょ?あ、そうだ。新しい家にあの子の部屋も作りましょうよ、いつもは私の側に置くつもりだけど、留守にする時はそこで救世主さまに見てて貰えばいいのよ」
「もう間取りも決めてしまいましたけど……」
「ああ、じゃあ馬小屋をあの子の部屋にしましょ。それでいいよね」
俺に発言権がないまま話が進んでいく、俺の部屋の話のはずなのに。っていうか本当に馬小屋作るつもりなんだ、馬も居ないのに。色々と理解に苦しむ話だ。
少なくとも俺の住家が馬小屋から猫の部屋へと昇格したのだ、その事に眩暈のような感動を覚える。うわーい……。ふらついた手元が真下に剣を突き刺すと、足元に大きな穴を開けた。
「……うん?」
なぜか足元から光が差している、覗き込んでみるとどうやら空洞があるらしい。その光を受けているとなぜか心が和やかになる、この光は一体……?




