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剣の理性

「キヘッ……、キヘッ……!」

「救世主さん、これは何が始まってるんですか?」

「……分からん」

「そんな、救世主さんがやったのに……」


 何かが起こるだろうとは思っていた、何かは起こった。だが、それがどうなるかについては俺の知るところではなかった。

 状況を変えたかったのだ、その為にはヨージョさまだろうとなぜか俺は判断した。単に俺がヨージョさまにすがりたかっただけかもしれない。いや、きっとそうだ。自信がある。

 ここは前向きに考えるべきだ。俺はジョーシさんを真っ直ぐに見つめると、爽やかに言い放った。


「よし、次の策を考えよう!」

「救世主さん……、あのですね」


 後先考えずに行動するからこういう事に云々(うんぬん)、ジョーシさんの言葉が右の耳から左の耳へと流れていく。穏やかだ、狂シちゃんの奇声に比べれば蚊の羽音だ。……ちょっとうざい?

 よりによってお姉さまを出すなんて、どうしてそんな刺激の強い事をブーンブーン……。俺は次の対策の為に狂シちゃんを観察する事にした。

 見開かれた鋭い目はいくらか雲って見える、半開きになった口からは舌が覗いている。手足はピクピクと動いていて、僅かに前後しているようだ。何やら迷いがある、葛藤とでもいうのだろうか……?

 獣に葛藤?豚に真珠といった組み合わせだ、似つかわしくない。贅沢だ!というのは置いといて。忘れてはいけないのは、あれはキョウシちゃんだという事(忘れていたが)。だから葛藤があってもおかしくはないのだが……。

 救世主さん、ちゃんと聞いてるんですか?どうして心ここにあらずな顔をしてるんですかブーン……。そういえばキョウシちゃんは言っていた、長女に対する感情は複雑だと。憎いのは間違いないが許してもいる、とか大体そんな事を。

 しかし今の狂シちゃんを見ると、単純に恐れているようにも見て取れる。憎みながらも近寄りがたい何かがあるといった体だ。その辺の機敏は良く分からないが、狂シちゃんは戦っていた、その複雑な何かと。


「キヘッ……!キヘッ……。はぁっ……、はぁ……」


 今の息遣い……、救世主さんじゃないですよね?変質者じみてなかったですから。じゃあ、もしかして姉さんがブーーン。何かが収まりつつあった、獣の本能を理性が制した。というと何か違う気もするが、狂シちゃんのむき出しであったキバが収まりつつあるのは確かだった。

 その証拠に狂シちゃんのギラついた目に憂いの色が混じり、半開きの口から覗いていた舌はもう見えない。立てていた爪は握り拳になり、荒い息と共に漏れる声は人間の言葉のようにも聞こえる。

 というか救世主さん、というかそろそろまともに話を聞いて下さい。いつまで魂の抜けた顔をされているつもりですか、ブーン……パチン!と耳元で音がする。ジョーシさんが俺の耳元で手を叩いたのだ。


「あれ?どうしたの、ジョーシさん」

「あのですね……。もう、いいです!言いたい事は言ったので。それより姉さんの様子ですが、……あ」

「あ」


 突然、糸が切れたように狂シちゃんが草原の中に倒れた。慌ててジョーシさんが駆け寄るが、俺にはそれの意味する事が理解できなかった。

 つい今さっき、巨大な存在感を持ったその人が立っていた場所。今でもその空間には狂シちゃんが荒い息をしながら身構えているようで、倒れた狂シちゃんの上にポッカリとした空洞が空いているようだった。俺の心に空いた空白のように。だが、狂シちゃんは倒れている。その事実が理解できなかった。

 ジョーシさんの悲鳴のような声が響く、ただ俺はそんな空洞を呆然と眺めていた。


「姉さん!姉さん!?」

「つ、疲れた……」

「姉さん!!……が、喋った」



 俺たちはまだ草原に居た、花が咲き乱れるその場所に。キョウシちゃんは死んだように眠り続けている、それまでの騒がしさが無かったかのように。俺とジョーシさんはそんな寝顔を囲むように草花の中に腰を下ろしていた。


「きっともう大丈夫です、心配いりません。だって姉さんは疲れた、って言ったんですから」

「うん、まぁ……。でも、一応策は練った方が良くない?」


 狂シちゃんが元に戻ったと言い張るジョーシさんと、それでもまだ作戦を考えた方がいいと言う俺。そりゃあ、元に戻ってくれたならそれに越した事はないが。それでも俺は最悪の事態に備えておきたいと思っただけなのだ。ジョーシさんはそんな俺の言い分が気に入らないらしい、変なところで頑固だ。


「でも、疲れて眠っただけかもしれないよ?念には念をというかさ」

「それなら救世主さん一人で考えて下さい」


 それきり会話は終わってしまった。俺だって別にジョーシさんを疑ってる訳じゃない、キョウシちゃんの回復を信じたいのは山々だ。だがこれ以上この場所で足止めを食らいたくはなかった。何かするならキョウシちゃんが眠っている今が千載一遇のチャンスなのだ。俺は自分の犯罪者のような思考に一瞬ゾッとする。

 俺たちの背後にある肉片が再び元の形に戻ろうと、うごめいている。そんな姿にもまたゾッとした。あれが再び全裸の女体になったとして、俺はあんな物に欲情する事があるのだろうか……?先にハッキリ言っておくと、欲情する。

 俺との会話をやめたジョーシさんは、眠る姉の髪を撫でていた。随分ボサボサになった髪、どうやったらこうなるのか。暗闇の中をぶつかりながら歩いて来たとはいえ、服はともかく髪がこんなになるものなのか。もしかしたらキャラ作りの為に自分でやったのだろうか?そんな想像に少し笑ってしまう。


「ふぁ~ぁ……、眠い」


 少し笑うと気がゆるんだ、食後というのもあってか眠気がお迎えに来ていた。キョウシちゃんの穏やかな寝顔がそれに拍車を掛けたようだ。ジョーシさんは真顔のままで頭を揺らし出す、眠いのだろうか……?

 戦いの後の静寂、緩やかに時間が流れる。風がキョウシちゃんの寝息を運び、ジョーシさんが白目を向いて頭を前後に舟を漕ぎ出す。昼寝の(とき)が迫っていた……。

 眠い、だがこのまま寝れば最悪狂シちゃんに寝首をかかれるかもしれない。せめて何か対策を取ってからでないと。眠い、せめて身を守る方法ぐらいは用意しておかねば。眠い、何か考えろ何か。眠い、しかし眠い……。



 破壊音と共に目を覚ます、それと口の中が苦い。どうやら眠っている間に草をしゃぶっていたらしい、ペッと吐き出すと音のした方に目をやる。

 そこには像があった、ダブルピースをしたキョウシちゃんの像だ。改めて見るといい表情をしている、笑顔炸裂!といった感がある。寝ぼけた目には眩しいぐらいだ、俺にはなぜかその笑顔が懐かしく思えた。それと、なんだろうこの違和感は。この像には何かが足りない……?

 背後から風の音がしていた。俺は、うーんとうなり声を上げる。何が足りないのだろう……?その像の横にも壁を削った後があって、こっちも同じで何かが足りない。

 妙に静かに感じる、鳴り響いていた音がやんだように。耳に栓でもされたような物足りなさを感じる。風の音だけがしている。

 不思議と頭の中がスッキリしていた、何かから解放されたかのような晴れやかな気分だ。俺は一体何をしていたのだろう。背後の風の音に目をやると、そこには風にように鋭い動きをする女が居た。その手に剣を持ち、女の物らしき肉体のパーツを切り刻んでいる。


「ふぅ……、夢か」


 俺はそうつぶやくと、再び体を草原の中に横たえて夢の続きへと戻っていった──。

 そうだ、俺はまだ夢を見ているのだ。あれが狂シちゃんだという事は知っている、運悪く思い出してしまった。だが彼女は理性を取り戻したはずなのだ、少なくとも人語を解する獣の辺りまでは進化したはず。

 だからこれは夢なのだ、眠って起きれば終わる夢。何も考えずにさっさと眠りについてしまおう。

 ──眠れない。

 俺は仕方なく体を起こすと周囲に目を這わせる。居た、思った通りジョーシさんが眠っている。うつ伏せにした顔をこちらに向け、だらしなくヨダレを垂らしている。

 この子には緊張感が足りない、緊張感と恥じらいが足りない。下手したら狂シちゃんに寝首をかかれていたかもしれないのに……。そんな想像は俺の背筋をヒヤリとさせた。

 俺は静かにジョーシさんに近づくと、その肩を揺すり押し殺した声で話し掛けた。


「ジョーシさん……、ジョーシさん」

「ズルッ、……何ですか救世主さん。あれ?ボク寝てました?」


 パッと目を見開くと、ジョーシさんはそのまま体を起こした。ヨダレを吸い取る音が妙にハッキリと耳に響いた。

 眠った事にも気付いていなかったようだ、やはり全員疲れていたのだ。そう、全員疲れていただけなのだ……。その事実を伝える為にも、ジョーシさんには悪いが知らせねばならない事実があった。


「ジョーシさん、あれ見て」

「はい?」


 俺たちは互いに顔を横に向ける。その場所には風を切る音を響かせて、もはや形の無くなった肉片に向かって剣を振り回す獣のような存在が居た。

 キョウシちゃんは元には戻っていなかったのだ、ジョーシさんはこの事実をどう受け止めるだろう。そして次にどういう行動に出るのか。今、俺にはジョーシさんの理性的な判断が必要だった。

 俺の目の前でジョーシさんが視線を落とす、そして瞑想でもするかのように目を閉じた。


「夢ですね。眠って起きたら姉さんも元に戻ってますよ」

「え、ジョーシさん?」


 そのまま体を横たえるジョーシさん。ジョーシさん!?

 そんな俺たちの方へ足音が近づいて来る。それは人の物とは思えない、四本足の獣の足音だ。ついに狂シちゃんが俺たちを始末しに迫って来たのか。そう覚悟を決めたが、恐る恐る覗き見た狂シちゃんはまだ肉片にご執心のようだった。では何が……?

 通路の暗い穴を抜けて、光の中に這い出して来たのはもう一匹の獣。忘れてたけどマンちゃんだった。

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