剣のエレガンス
「キヘヘヘヘヘヘ!」
「あんなになっても、姉さんは姉さんでした」
「うん……、そうだね」
飯を食わせて安心させればキョウシちゃんが元に戻ると、そう考えたからジョーシさんは行動に出たのだと思っていたが。それはただの勘違いだったかもしれない。
それともジョーシさんが途中で目的を忘れてしまったのか……?その表情から真意を読み取ろうとするが、なぜか満足そうな顔のジョーシさんからはうかがい知れない。
唯一、変化があったといえば、狂シちゃんが素手で肉片を破壊している事ぐらいだろう。手刀であったり爪であったり、さすがに噛みつきはしなかったが、人間をやめた凶暴さがそこにはあって、俺にはもう恐怖以外の何物も感じはしなかった……。あ、噛みついた。
狂シちゃんが飯を食っている間、その手に剣はなかったと思う。まぁ、剣を手にして食う方が難しいから当然といえば当然だが。では、剣はどこへ行ったのか?その答えは案外直ぐに見つかった。
「そういえばこれ、姉さんが忘れて行きました」
「あ、やっぱり?」
ジョーシさんが手にしていたのは俺の剣だ。持ち主に忘れられてすねているのか、ダラリと刀身が垂れている。間近に見たのは久々に感じるが、相も変わらず剣らしくない剣だ。あ、一応この剣の持ち主は俺だったはず。
期せずして手元に三本の剣が集まった、が、そんな事に何の意味があるのか。目的としたのは剣ではなく、三人が再び元気な姿で行動を共にする事だ。
「キヘヘヘヘヘヘ!」
もちろん人間らしい姿で……。
ジョーシさんが姉を見る目が変わってしまったようだ、あんな姉を受け入れてしまったように見える。姉妹関係は崩れていなかったようで、良かったですね。としか言いようがない。
じゃあ、まともにこの問題について考えようという人間は俺しか居なくなった、という事か。それって凄くやばくない?あ、でも──。
そして俺は不意に気付く、本当に俺しか居ないのか。もう一人居たんじゃないか、狂シちゃんを恐れ危険視する人物が。俺は振り返ると貴重なその存在を目で追った。
「……」
オヤジだ。いつの間にか俺の背後に居たオヤジは、俺の思考を読んだかのように動いている。なぜかその時、こんなオヤジがとてもたくましく思えた。
オヤジは俺の横を通り過ぎると、目の前にある残骸のような食べ残しと食器を手早く革袋に詰め込む。手馴れた手つきだ、その横顔は職人を思わせた。何の職人なのかは分からない。
流れるようにそれらの作業を終わらせると、オヤジは俺たちに一礼すると背中を向け、元来た道を帰っていった。って帰るのかよ!
まぁ、元から大して期待してなかったから予想通りとも言える。だってあのオヤジ喋らないから……。
「キヘヘヘヘヘヘ!」
「姉さん、楽しそうですね」
「うん……、そだねー」
困った、この状況を俺が一人でなんとかしなければいけないのか。時間的にそろそろヨージョさまのおしかりがあってもいい頃なのだが……。残念ながらそんな兆候は見られなかった。
俺が下りの通路を眺めていると(そこからヨージョさまが現われないかと期待して)、フラフラと神の剣が飛んで行くのが見えた。フワフワと。
剣の先が異様にだらしないところを見ると、俺の剣のようだ。そいつは壁にぶつかるとその先でガリガリと土を削り出す、何をしているのだろう?と考える間もなく、あっと言う間にキョウシちゃんの像を作り上げてしまった。そしてその足に絡み付く。
本当に何をやっているのだろう……。すねているのか?すねているのだろう。もしくはこいつも持ち主の変化に気付いているのかもしれない、あんな奇声を上げているキョウシちゃんはキョウシちゃんではないと。
それを証明するかのように、作り上げられた像は満面の笑みを浮かべダブルピースをしたキョウシちゃんの像だった。
「キヘヘヘヘヘヘ!」
「ワガママでもいい、人間らしいキョウシちゃんに会いたい……」
「何を言っているんですか?救世主さん。あれはちゃんとした姉さんです」
言葉は通じるのに心が通じないって悲しい、認識がずれている。これなら俺の剣の方がまだ分かり合えるかもしれない。
ちゃんとしたキョウシちゃん、か。俺が理想としたキョウシちゃんとは随分かけ離れた姿になってしまった、優雅にお茶を飲むキョウシちゃんはどこへ行ってしまったのか。ワガママ娘なキョウシちゃん、鬼神のようなキョウシちゃん。ついには化け物や獣のようになってしまったが、これでも一人の人間だというから恐ろしい。
カオスだ……、女というのは分からない。いや、俺も人の事は言えないのかもしれないが。
「キヘヘヘヘヘヘ!」
気疲れがして像の方に目をやる、少なくとも獣の狂シちゃんを見ているより心が和む。すると通路の方から光が見えた。やっと来てくれたのだろうか、我らがヨージョさまが!
思わず両手を合わせて待ちわびる。状況が硬直すると現われてくださる我らが下僕の主人、そしてこの姉妹にとっては深い因縁の絡んだ巨肉の悪魔。そのヨージョさまが今、俺の目の前に降臨される……!
あ、あれ?何か違う。違うけど、あれは──。
「キヘヘヘヘ、ヘ?」
その変化に狂シちゃんが反応する。それは”彼女”の発する光を感じとったのか、それとも自分と似た何かが近づいて来るのに気付いたからだろうか。
そう、通路を歩いて来たのは、光を発しながらにこやかな顔で微笑むキョウシちゃんの姿だった。それはかつて俺が妄想し作り上げたもの、俺の願いや願望が作り上げたもう一人のキョウシちゃん。理想形のキョウシちゃんだから……理想郷シちゃんとでも呼べばいいのか、どうやらそれが来てしまったらしい。
「ありがたやありがたや……」
「キヘ……、キヘヘ……!」
「……あの、救世主さん。それは何ですか」
どこからどう見てもキョウシちゃんにしか見えないのだが、ジョーシさんには何やら不満らしい。狂シちゃんもあからさまに敵愾心を燃やしている。
やはり身近な人間が美化されているのを見るのは余りいい気分がしないのだろうか。いや、そんなはずはない。だって俺は嬉しいもの!
その証拠にキョウシちゃんの像に絡み付いていた俺の剣が、その光に吸い寄せられるようにして理想郷シちゃんの手に収まる。さすがは俺の剣、バカだけど分かってる。バカだけど。
「姉さん、これを使って下さい」
「キヘヘヘ……!」
「え、なんで?」
それを見たジョーシさんが、どこからともなく神の剣を取り出して狂シちゃんに手渡す。それは短剣ではなく、間違いなくキョウシちゃんの剣。その剣は久し振りに本来の持ち主の元に戻った。
どうでもいいけど俺が丸腰じゃないか。ジョーシさんはいつの間に俺からその剣を奪ったのか……。
そんな心細い俺をよそに、嵐は近づきつつあった……。復活した姉妹の友情vs男の願望、じゃなかった。狂シちゃんvs理想郷シちゃん。二人のキョウシちゃんがそれぞれの剣を手に、今ぶつかり合おうとしていたのだ……!
「姉さん、そんな偽者ぶっ潰してやって下さい!」
「キヘー!」
「俺のキョウシちゃんがそう簡単に敗れると思うなよ、溢れんばかりのエレガントさを食らえ!」
いつの間にか敵と味方が入れ違っている。どうしてこうなったのか、それは俺にも良く分からない。しかし俺にはこの戦いを見守る義務があるような気がした、だって俺が作り出したようなもんだし。
両雄並び立たずとは言うが、それが当たり前の事であるかのように二人は視線を合わせながら近づいて行く。パッと見こそ違うが二人のキョウシちゃん。片やボロボロのローブにボサボサの髪、獣じみた表情。片や綺麗なローブにツヤツヤの髪、理知的な微笑。
そんな二人が、いや一人が今ぶつかり合おうとしていた……!
「キヘッ!?」
最初に仕掛けたのは理想郷シちゃんだった。優雅な身振りで胸元に手を突っ込むと、美しいカップを取り出しお茶を飲み始めた。
これには一体どんな意味が、そしてどんな駆け引きが!とか、どうでも良くなるほどにとても素晴らしく果てしなく……そう、エレガンス!その動きの一つ一つがたまらなく男の劣情を刺激する。知的でエロス、これこそが俺の求めたものであり願望の結晶だった。
そんな理想郷シちゃんを前に、狂シちゃんは小首を一つ傾げると真正面からかじり付くように襲い掛かった。その手の剣を振り下ろすが、それはまるで爪で引っ掻くような振りで、以前のキョウシちゃんとは明らかに何かが違っていた。
その剣を片手で悠々と受ける理想郷シちゃん、その手には俺の剣がある。意外な事に俺の剣はキョウシちゃんの剣にも引けを取らず、互いに多少の刃こぼれを作っただけで跳ね返した。
やるじゃないかバカの剣、バカだけどやるじゃないか!腐っても神の剣とはこういう事か。
「姉さん、そんな偽者さっさと片付けちゃって下さい!」
「キヘー!!」
次々と繰り出される狂シちゃんの斬撃、それを微笑したままで受け流す理想郷シちゃん。乱暴な動きの狂シちゃんに比べて、理想郷シちゃんの方は最低限の動きしかしていない。その姿はまるで小鳥と戯れているかのようだ、あふれ出るエレガントさに俺の心はしびれるばかりだった。
これこそがヒューマン!野獣よ、知性の輝きを食らえ!
だが狂シちゃんはそんな防戦一方の理想郷シちゃんに痺れを切らしているようだった。荒い乱暴な動きは徐々に力任せになっていき、今にも剣を捨てて飛び掛ろうとしているように見えた。あ、飛び掛った。
「キヘヘヘヘ!」
剣を振り回すのをやめた狂シちゃんは圧し掛かるように理想郷シちゃんの頭上で剣を重ねると、つばぜり合いもそこそこに爪で喉元につかみ掛かっていた。
その爪を阻止しようと俺の剣が狂シちゃんの腕に迫る、がその軌道に入り込むキョウシちゃんの剣。激しく打ち付けあうかと思われた二本の剣は、そのまま睨み合うようにして動きを止めた。
その瞬間に全ては決した。狂シちゃんの勝ち、つまりは俺の理想郷シちゃんの敗北だった──。




