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4.



 こんな手紙を送っていたなんて、とシェイラはオクタビオに謝った。


 庭での騒ぎの後、オクタビオ親子は無事にバジェ家の中に入れてもらえた。当主やシェイラの祖母、そして妹と弟たちにも正式に紹介された。


 紹介の前に、声がシェイラとそっくりな妹セーダと、いたずらのため女装していた双子の弟たちアイレンとアクアスは、シェイラの小言を食らっている。面を被ったお化けは、双子と仲の良い近所の子どもだったという。ロカローマ到着時に道を尋ねた少年がそれで、先回りしてオクタビオたちの到来を教えたそうだ。

 

 そしてすでに夜だ。今夜はバジェ家に宿泊することになったオクタビオは、客間でやっと、シェイラと二人で話す時間を持つ。


 まず彼女は謝った。弟妹の悪戯について。


「ごめんなさい。お仕事で忙しかったでしょうに、こんな遠いところまで来させてしまって。大丈夫だったの?」

「いや……」


 別れを告げた黒衣のシェイラの正体は彼女の妹セーダだ。さらにアランサへ届いた手紙もまた偽物だった。あれはシェイラが書いたのではない。姉を返したくなかった、弟妹の仕業だと発覚した。


 遠くロカローマまで来てそれを確かめた今、オクタビオは心の底からほっとしている。そして仕事中毒人間は性懲りもなく、ほっとした途端、残してきた仕事を思い出した。動向の怪しい隣国やら、東の敵対国の政情不安やら。外交も内政も、オクタビオが仕える王には考えることが多すぎる。早く戻らなければ、あの主は何をしでかすかわからない。


 一度は捨てようと勢いで決めかけたオクタビオだが、誤解が解けてしまうと、とんでもないことをしようとしたと蒼くなる。それは本当だ。


 しかし。


 やっと会えた妻に、オクタビオは言う。昼間、叱られた後でも臆せず、セーダは彼を責めたから。


「妹さんの言った通りだ。――結婚の挨拶にも来ず、こんな遠くまであなたひとりに旅させた。最初からついて来るべきだった、あなたの夫として」


 部屋は暗く、いま彼と向き合うシェイラの表情ははっきり見えない。触れ合ってもいない。


 正面から顔を見合わせる夫婦ふたりだが、間にはベッドがあるから。そこで寝息をたてる五歳児も。

 パブロが眠るベッドの枕元の両側に、二人して座っている。客用ベッドは小さくなく、向こう側にいるシェイラへ、オクタビオはそう簡単に手を伸ばせない。当然、声も低い囁き声になってしまう。


 しかし彼女には充分だった。オクタビオの言葉に答えるシェイラの声は、涙でうるんだものだった。


「あのね、オクタビオ。昼間のこと、あの時とても嬉しかった」

「……」

「わたしは七国で一番幸せな女だって、心の底から思ったの」


 図らずも、オクタビオのプロポーズを聞かされたシェイラは幸せだと語る。『七国で一番』というのは、この七国大陸での決まり文句のようなもので、ようするに『世界で一番』という意味だ。


 ベッドの上に乗り出して、無理やり手を伸ばしていいかどうか迷っていたら、シェイラのほうで身を近づけてきた。互いの顔がはっきり見えないまま、二人はしばし何も言えなくなる。重なっていた唇が離れると、ふと彼女が笑う気配があった。


「パブロったら、『今日もおとうさまといっしょに寝てあげてもいいよ』ですって。いやだわ、ちょっとの間にすっかり取られてしまったのね」

「大変だった。いや、あなたも毎日大変な労力を費やしていたんだな」

「そうよ、オクタビオ。知らなかったの?」


 元の位置に戻ったシェイラは、パブロの寝顔を見下ろした。


「大変よ。迷うことばかりだし、ため息つくこともあるわ。あなただけじゃなく、うちのおばあ様に相談できたらなあって、いつも思うもの。熟練だから」


 そういう思いを話すと、シェイラの祖母は、色々教えてくれた最後にこう言ったそうだ。


「わたしたちがパブロの親になるんじゃなくって、パブロがわたしたちを親にしてくれるだろうって」

「……パブロが?」

「ええ。それとね、『お母様が一番すき』なんて言って甘えてくれるのは、今だけですって。だから今のうちにそれをいっぱい浴びておきなさいって言われたわ」


 だから一緒にいられる時間は大切にするつもりだと、ベッドを揺らさないよう慎重に、身を起こした。


 そんなシェイラにオクタビオはまた考えた。祖母に相談したいと感じるという言葉と、冷たいと姉の夫を非難したセーダや、追い返そうと企んだ弟たちの心情についても。


「シェイラ……ここに残りたいか?」

「……」

「パブロもあなたのそばがいいと言うだろう。もし、あなたが」


 もしも家族のところに残りたいなら。パブロを預かってもらい、自分はひとりでアランサに戻る。オクタビオはそう言おうかと思った。もちろん自分もできる限り通うつもりではあるが。

 すると。

 

「妹に、セーダに言ったの。『わたしはずっとこの家にはいられない』って。ねえオクタビオ、わたしも後悔するわ、あなたと離れて暮らしたら。会えなくて淋しかった」

「……」

「家族が大事だったわ、とても。でもわたし、もうその頃の自分には戻れない」


 激しい口調ではなかったが、彼はふいに悟る。シェイラは泣いている。別離を、生家の家族との二度目の別れを悲しんで。しかしそれでもオクタビオについて来ると、彼女は決めたのだ。


「……返事は」

「え?」

「だから、ひ、昼間の。私と……け、結婚、して……くれますか?」


 一度はすんなり言えたのに、オクタビオはまたも上手く言葉を紡げなくなった。しゃべるとはこんなにも難しい行為だったかと、毒舌秘書官らしからぬことを考えた。


 間があったが、笑い含みの声が答える。


「ええ。喜んで」


***


 ロカローマへ到着した翌々日、夫婦と息子の一家三人と付き添いのメイドは、王都アランサへの帰途につく。朝早くバジェ家を発つシメオン一家を、シェイラの家族が玄関の前で見送った。


「――孫をよろしくお願いしますわね、シメオンさん」


 杖をついた老婦人がそう言って微笑む。ラウラ婦人はシェイラの祖母で、今は脚に怪我を負っている。ほぼ治りかけているとかで、快く孫娘を送り出してくれた。


「はい」


 対してオクタビオの返答は、長広舌秘書官とは思えない簡潔さである。


 「大切にします」とか、「幸せにします」とか。


 妻の家族に対し、言葉にして伝えたいことは沢山あるはずだ。しかしやはり上手く口から出ない。だが黙ってじっと見返すオクタビオの目から、何やら読みとってくれたのか。ラウラ婦人は深くうなずくと、後ろに下がった。

 代わってオクタビオと対峙したのは、壮年の男性だ。シェイラの父ダシオンである。


 前に出たダシオンは、そのままオクタビオの眼前に迫る。そして娘婿の手を握ると、他の者に聞こえないくらいの小さな声で言った。


「頼みましたぞ」

「……わかりました」


 娘を託したかのような言葉だが、二晩ダシオンとしゃべったオクタビオは知っている。義父が望んでいるのは宮廷での新たな役職だ。王の秘書官オクタビオが実は有効な伝手であると、最近気づいたらしい。やはり娘を己の道具としか思っていないようだ。


 こういう手合いには慣れたオクタビオは、薄ら笑いで答える。


「お任せ下さい」

「! そ、そうか。わはは、なんと素晴らしい婿殿だろう! シェイラ、お前は幸せ者だな」

「……」


 シェイラが心配そうに見上げて来るが、オクタビオは目配せして小さくうなずいてみせた。


「では。行くか」

「ええ。――セーダ」


 家族の下から去る時、シェイラが最後に声をかけるのは妹だ。


 声はそっくりだが、今年二十歳になるというセーダとシェイラの容姿はよく見るとそんなに似ていない。赤に近い茶髪に、目鼻立ちが大ぶりで上下のまつ毛が濃い。セーダは唇を噛み、思い詰めたような目で家を去る姉をじっと見つめている。


 そんな妹を見て、シェイラが動いた。声をかけるだけではなく、セーダの前へ進み出た。両の手で己の体を抱くセーダを、シェイラがさらにぎゅっと抱きしめる。


「……」


 何か囁きかけている。しかしシェイラが妹に何を言ったのか、オクタビオには聞こえなかった。


 妹をしばらく抱擁して、名残惜しそうに身を離す。そしてシェイラは振り返って、オクタビオとその隣に立つパブロへ微笑みかけた。


「じゃあ――帰りましょうか、家に」


 王の懐刀オクタビオ・シメオンは、常に物事を斜に構えて見る、皮肉屋秘書官だ。だから滅多なことでは感動しない。


 そんな彼だが、今朝のこれは一生目に焼き付いて離れないだろうと、観念した。




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