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その後のはなし ~もうすぐ新婚四か月、妻が実家に帰りました。①

1.



 七色に輝く竜が空を泳ぐのを見たと、パブロは語った。あいにく夢の中の話だが。



 国王の秘書官オクタビオ・シメオンは仕事中である。


「――なるほど実際に、ターリフ西部で部族間の緊張が高まっている可能性がある、と。そして陛下のお考えでは、それにはオルニムが一枚噛んでいるわけですか」

「我が国がターリフと結び、港の使用権と航行権を手に入れるのを邪魔したいらしい。内部分裂を誘ってそれどころではないようにしてしまう……オルニムのいつもやり口だな」

「何がなんでも七国と南海諸島との交易を自分たちで独占し続けたいわけですね。それにしても相変わらずやることが汚い」


 王の執務室でもなければ秘書官の部屋でもない、ふだん使用していない倉庫での会話だ。この国ラバ・ビスクの至高の位にある人とその秘書官は、狭くて薄暗くてほこりっぽい部屋にて、あまり大きな声では語れない、きな臭い相談をしていた。


「あからさまに妨害すれば、またユーニ戦役のように直接ぶつかることになるからな。それだけは避けたいという本音は共通している、今のところ」

「……まあ。分捕る、いえ、新たな領土拡張を図るならば伝統的敵対国を相手にするのが気持ちの上でも易しゅうございますからね。そういえばその東方に関して、いくつか情勢報告が――」




 やがて密談を終えたソルシードとオクタビオは、籠っていた倉庫から出る。


「ではまた後ほど。失礼いたします」


 オクタビオは王に一礼して自分の部屋へと戻ろうと歩き出したが、そこへ秘書官室付の下官が駆け寄ってきた。まだ新人の下官の手には一通の封書があった。


「シメオン秘書官どの、お手紙が届いております! 今さっき届いたばかりです!」

「手紙? 私あてにか」

「はい! 奥方様からです!」


 秘書官室の雑用係として配属されたばかりの新人は、声が大きすぎた。オクタビオは嫌な予感がした。下官の手からすばやく手紙を受け取るというよりむしり取ると、そそくさとその場を後にする。振り返りもせずに。


 しかし。


「どうしてこちらについて来られるのですか、陛下!」

「たまたまだ、私もそっちに用がある!」

「でしたらどうぞごゆっくりお越しになればよろしいでしょう、ゆっくり慎重に細心の注意を払いながらお歩き下さい! 陛下は偉大なるラバ・ビスク国王でいらっしゃいます、そのように走られては威厳に関わりましょう!」

「走りたい気分なんだ、そなたもだろう!」


 落ち着いて手紙を読める状況を求めて駆けるオクタビオに、なぜかソルシードもついて来た。しつこい。オクタビオは撒くのに失敗した。結局、秘書官室でオクタビオが手紙を開く横では、ソルシードはにやにや笑っていた。息が切れているが、それは二人ともだ。


 先ほどまで国際情勢について冷静に論じていた二人が、秘書官の妻からの手紙一通でこれほど騒ぎ立てている。妙な姿ではあるが仕方ない。


「何と書いてある? そろそろ帰るのか? それとも」


 無言で文字を追うオクタビオを、ソルシードが催促した。完全に他人事と思っているのか、国王の顔は下衆な興味に満ちている。


「……帰れないそうです」

「……オクタビオ?」

「これからずっと、実家で暮らすので……アランサには戻れないと、書いて、きています」

「シェイラが!? おい、いくら何でも冗談だろう。貸せ」

 

 誰もが驚くだろう。いつもは立て板に水で滔々と語る皮肉屋秘書官が、妻からきた手紙を読んで、蚊の泣くような声で途切れ途切れにしゃべったとは。しかし事実、オクタビオは呆然としている。


 シメオン秘書官の妻シェイラは現在、彼女の実家がある北方の辺境へと里帰りしていた。実家にいる彼女の祖母が倒れたという知らせが届いたのは約半月前、そのすぐ後のことだった。


 日に日に機嫌が悪くなるオクタビオを面白がっていたソルシードも、さすがに今日の手紙には驚いた。戻れないとはどういう意味かと、力の抜けた秘書官から手紙を奪って読む。


「……本当にそう書いてあるな。オクタビオ、これは彼女の筆跡か?」

「はい」

「……そうか。結婚三か月で終わりか。前の時よりは保ったじゃないか、進歩している」

「お言葉ですが陛下、今日で三か月と二十二日です」

「あまり変わらん」

「ぜんぜん違います! おそれながら陛下は大雑把すぎるのではないですか!」


 そろそろ新婚四か月を迎えるという頃に、出し抜けに届いた別れの手紙。ぐわんぐわんと、オクタビオの頭の中で声がする。口で言われたわけではないのに、手紙の文句がシェイラの声で再生されてしまう。


――もうあなたたちとは一緒に暮らません。ごめんなさい、さようなら。


 そんな、とオクタビオは思う。

 旅立つ前のシェイラは平常だった、身内への心配以外は。オクタビオも冷たく接した覚えはないし、快く送り出す態度をとるのに成功したはずだ。それなのに何故、と絶望に襲われる。


 そう、絶望だ。


「……陛下」

「気の毒にな、オクタビオ。私にできることなら何でもやってやるぞ、そなたらを引き合わせたのはいちおう私だからな」

「ありがとう存じます。では」


 気前の良い申し出に、オクタビオは飛び乗った。一国の王が味方について、これほど心強いこともない。王命とか圧力とか何やらで実家からシェイラを取り返してしまうか、ソルシードも半ば本気で検討した。


 しかし。


「国王陛下。明日から、いえ私シメオン秘書官はこれから休暇をいただくことにしました、考えてみれば過去三年はまともに休暇をとっておりませんので。――コルデーロ、代理はきみだ」

「は? こら、オクタビオ!」

「秘書官どの?」


 仕事中毒人間は、あっさり休暇を願い出る。廊下に出て、そこに控えていた下官へと命じた。


「届いた手紙でもなんでも、ぜんぶ陛下に伝えるだけだ。頼んだぞ、コルデーロ」

「え。いやそんな、ちょっと」

「なんだその説明は、そなたこそ大雑把ではないか!?」


 これは前の妻が出て行った時にはなかったことなので、ソルシードはあっけに取られ、突っ込むべきところを間違えた。とつぜん王の秘書官の代理を申し付けられた新人の雑用係と共に、国王は取り残された。


***


 常に手を繋いでいないと大変なことになると知ったのは、自宅を出てから一分後だ。


「パブロ! どこへ行くんだ、そっちじゃないぞ」

「おとうさま、あれですあれですー、ともだちのポールですー」


 もともと両手は荷物でふさがっていた。だが、手を離してはならない幼児を連れて出かけようとするオクタビオは、荷物のひとつを背中に背負うことにした。空いた手で、道を逸れようとするパブロを捕まえる。


 馬車が行き交う車道へ出る前に捕まえることに成功したオクタビオだが、パブロの指さす方向を見て首をかしげた。友達らしき子どもの姿がなかったからだ。


「そっちには誰もいないだろう」

「ポールがいます、いつもそこにいるんです。ポール、こんにちは!」


 パブロが挨拶したのは、緑の葉をつけた街路樹だった。


 家を出てすぐに木に挨拶した息子にじんわりと不安を覚えたオクタビオだが、パブロが挨拶したのは木だけではなかった。塀の上の猫、民家の前に繋がれた犬、道行く大人や子どもや公園の遊具までもがパブロの友達だったらしく、無邪気に話しかける。


 予想外なほど社交的に成長しつつある息子に少し安堵したオクタビオだがやがて思い知る。


「パブロ、時間がないんだ。寄り道はこれで終わりにしよう、な?」

「だめです、あっちのおうちにミーナおばちゃんがいます、いつも“おさんぽ”のごあいさつするんですー」


 挨拶する相手が多すぎて進まない。


 首都アランサから北方へ向かうには便利が悪く、街から街へと乗り継いでいく駅馬車しかない。地方行きの駅馬車が発着するターミナル駅までは首都の地下を通る乗り物――オルニムならばオートゥと呼ばれる内燃機関型運搬車――で向かうのだが、その地下駅へもなかなか行きつかなかった。簡単には。


 お母様に早く会いたくないのか、という魔法の言葉で息子をなだめすかし、オクタビオはようやくターミナル駅までこぎつけた。だが次の試練はある。


「今日の最終は出た……!?」

「はい、お客様。明日の始発はこの時間となっております、朝が早いのでお気をつけ下さい」


 駅の窓口では哀しい事実が明らかになった。


 オクタビオが宮殿を出た時刻にはすでに北へ向かう最終便は終わっており、次は明日の始発だと係員は言う。出発時刻は早朝だそうだ。

 落胆する彼は考えた。子連れでまた出てくるにはせわしい。今日のペースを考えると、夜中のうちに出ないと間に合わないかもしれない。


「おとうさまー、おかあさまはどこにいるんですかー? かくれんぼしてるの?」

「……よし、パブロ。今夜は……ここで泊まるぞ。これは、そう、冒険だ。冒険ごっこだ」


 駅の待合で待つことにした。気候は暖かく、首都のターミナル駅は広いので寝る場所はある。屋根がある以外はほぼ野宿だが、息子には冒険と言い換えた。しかしパブロは意外と喜んだ。


「ぼうけん!? じゃあたき火してください、たき火! そこでおさかなを焼くんです、ビッケみたいに」

「パブロ。残念だが街中で焚火は危険だ。つまり、危ないということだ。火事になるぞ」

「ぼうけんなのに? ビッケはたき火のそばで眠るんですよ、たき火をしないとこわいお化けが出てくるんです」

「お化け? そんなものはいな……いや、ここは街だからお化けは出ないだろうとお父様は思う。だから焚火もやめておこう。また今度やればいいだろう」

「えー、出ないの。やーだー、おーばーけー」


 お化けが出ない、という点にむしろパブロは落胆したようだ。泣き出しこそしないが、可愛い顔が台無しなほどむすくれる。その後はいちいち反抗してオクタビオの言うことを聞かなくなった。


 駅の隅に並べられたベンチでは、同じように明日の始発を待つ人が夜を過ごす支度を始めた。それでも幼児連れはオクタビオのみ、大荷物を抱えた彼はいたたまれなくなった。


 地方へ行くのは仕事でもよくあることで、オクタビオ自身は旅慣れている。だから自分の荷造りは一瞬で終わったが、パブロの旅支度しようとしてはたと困った。必要な物がわからなかったのだ。とりあえず着替えがあればいいかと戸棚の衣類を片っ端から詰めてきたが、こんなにもいらなかった。


 親子はこれから北――シェイラの故郷ロカローマへと向かう。ひとり実家へ帰った彼女を、オクタビオはパブロと共に迎えに行く。


 王宮に届いた手紙にはショックを受けたが、その前から心配していた。この国ラバ・ビスクではわりあい郵便が発達している。遠隔地とはいえ、なかなか手紙が来ないことが気になっていた。無事についたらすぐに連絡すると言ってくれていたのに。


 無事に実家に到着したのか、していないなら連絡くらいくるか。メイドをひとりつけたといえ、やはり自分がついて送ってくるべきだったとか、オクタビオは色々悩んだ。ずっと心配していた。


 そこへ届いたのがあれだ。突然の別れの手紙。何の前触れもなかったが故に、はいそうですかと受け入れるはずがない。ただちに休暇をとって迎えに行くと彼は決意した。


 策もある。パブロだ。万が一オクタビオを嫌って出て行ったのだとしても、パブロがシェイラの宝物なのはよく知っている。実家へも連れて行きたがったほどだ。そのパブロの頼みならば、帰らないはずがない。姑息だと自分でも思う。


 だから、どれだけ足手まといでもオクタビオはパブロを連れて行くしかない。子どもに頼るとは情けないが、万全の態勢で臨む。帰って来てほしいから。


「しかし。何かしたのだろうか」


 いきなりどうしてこんなことになったのか。今はふてくされた顔で構内の床を這うありの列を追うパブロを眺めて、オクタビオは溜息をついた。


 本当に心当たりがなかった。むしろお互いの気持ちが通じるようになり、やっと新婚夫婦らしくなったところだったのだから。




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