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番外編 『みとめない王様』


 ロサマリアは、くっきりした色の似合う女だ。黄金色を呈した肌を持ち、長い髪も純金のごとく輝く。唇に明るい赤の口紅を引くと、それだけでハッと男の目を惹き付ける大輪の薔薇だ。


 明るい赤のドレスを好むため、“赤の貴婦人”の異名をとる王の寵姫ロサマリア。だが、現在の彼女は一糸まとわぬ姿だ。光沢のある絹の上掛け一枚が、その肢体を覆っている。


 脱がしたソルシードのほうはというと、こちらはすでに服を着ていた。一夜の営みはすでに終わった。終わった途端に一気に冷めたソルシードは、当然のように寝台を出て、衣服を身につけた。


「陛下……?」

「ロサマリア。起きなくていい、そのまま休め」


 いかにも気だるそうに呼んだ女に、ソルシードは休めと言った。まるで優しく気遣ったようだが、彼は親切で告げたわけではない。それはロサマリアもすぐに理解した。


「――陛下。ご理解くださいませ、わたくしのすべてはあなた様ゆえですわ。あなた様を心からお慕いするからこそ」

「わかっている」


 わかっているが、受け入れてはいない。

 途中で遮られたことで、ロサマリアは彼の本音を悟った。そして余計に逆上した。激しく言い募ろうとする。上掛けで裸体を隠した姿のまま、起き上がって彼へと迫った。


「どのみちあの娘には務まりませんわよ! 王妃だなんて、そのような器ではありません。あなた様を苦しめるだけだと思ったから、わたくしが手を汚して」

「黙れ、そなたに言われずとも承知だ!」


 今度こそ本気で怒りを覚えたソルシードは、ロサマリアに向き直る。強く睨む彼に対し、しかし彼女は平然と見返した。ロサマリアも本気なのだ。


 本気で、心からソルシードのためを思って、“赤の貴婦人”は“谷間の菫”を追放した。


「……そなたがしたことを忘れない」

「ええ。忘れないで下さいませ、何があっても。どれだけわたくしがあなた様に尽くしているかを」


 大きく息を吐いたロサマリアは、寝台に座り直した。激しい口調でなじった跡など、その美しい顔から綺麗にかき消えた。嫣然と、王の愛を独占する寵姫に相応しい表情で微笑む。


 力強い表情である。なるほど、ロサマリアなら相応しい。心にどれだけ激情を持ち合わせようとも、それを捻じ伏せるほど強い目的意識も有している。常に他者の視線を集める者に――“王族”に、相応しい態度だ。


(いや)


 どちらかというと、それでは“王者”だ。唯一無二の意思を持つ者。


 しかし同じ場所に王は二人もいらない。だからどうしてもぶつかってしまうのだろうと、ソルシードは自分たちの関係を捉えている。強烈に惹かれ合いはするが、並び立てない。


 すべて承知で、それでもロサマリアは言う。


「愛していますわ、陛下」

「……」


 ひどく苦い、負けたような心地で王は愛妾の部屋を出た。とうの昔に夜半は過ぎ、世の中のほとんどが眠りに沈んだ時刻である。だがソルシードが部屋を出ると、すぐに闇の中から警護の者が後ろについた。宿直に告げる。


「青金石の間に戻る」

 

 そこは王の寝室だ。この水の苑とは別棟にあり、夜中に移動するには面倒な距離がある。しかし今、ソルシードは水の苑から離れたかった。ここは思い出させるものが多すぎた。


「……」


 ある角に差し掛かった時、ソルシードの胸には刺すような痛みが走る。避けようとしていたのに、立ち止まってしまった。角の先には空っぽの部屋が一間あった。かつて“彼女”に与えた部屋だ。


 最初は、ただ容姿が優れているだけの大人しい娘だと思った。控えめで無欲なシェイラは宮廷では珍しいタイプだ。谷間にひっそり咲いている、可憐なすみれのような娘。その、どこか陰りのある雰囲気がソルシードの心を惹きつけた。寂しげな雰囲気が、まるで『あの女神』のようだと、少しだけ重ねていた。


 だがそれも他の女にないものを求めただけで、案の定、一度自分のものにした後は、ソルシードはシェイラに飽きた。優しいのは本当なのだろうが、凡庸な娘にしか見えなくなった。


 もともとひとりの女に自分を留めておけない男である。すでに彼の心の一定部分を占める特別な“ひとり”が、ずっと前、それこそ少年期からいるせいだ。そしてそれは、谷間の菫でも赤の貴婦人でもなければ、後宮のどの花でもない。残念なことに、生身の人間でもなかったのだが。


 特に執着する気持ちがないからか、それほど怒りもわかなかった。


『もしかして、あの眼鏡のかたでしょうか? シメオン秘書官というのは』


 何かの折に、秘書官の愚痴をシェイラに話した。すると彼女の反応はソルシードの予想と少しばかり違った。誰かの悪口など、いつもなら困ったように笑って受け流すシェイラが、自分から興味を持ったように尋ね返してきた。


 立場をわきまえた娘なので、必要以上に質問してくるわけではない。だがそれからも、ソルシードがオクタビオを話題にするたびに、シェイラはどことなく嬉しそうな反応を見せた。


 一方でオクタビオだ。皮肉屋で毒舌家で、隙あらばやりこめようとする王の秘書官。臣下としては不遜で小憎らしいが、ソルシードのやりたいことを理解している。


 その、常には冷静沈着で他人にシニカルな目しか向けないオクタビオが、何故かシェイラの処遇だけは気にかけた。決して自分から話題には出さないが、ソルシードがわざと『つまらん娘だ』と笑えば、錐のような視線と冷たい皮肉で攻撃してくる。


 ふたりとも同じだ。シェイラもオクタビオも、よりによって国王を、ソルシードを介して惹かれ合っていた。鈍くはないソルシードにはわかってしまった。


 どちらも嫌いな人間ではない。むしろオクタビオは補佐役としては手放せない男だ。ならば何か機会を作って、穏便に譲ってやればいい。そうしてもいいはずだった。


 しかし――ひとの心は、時に奇妙な方向へかたむく。

 シェイラが他の誰かのものになると思った途端、ソルシードに執着が生まれた。


 以前は凡庸に映った優しさが、得難い癒しに思えてくる。

 以前は歯がゆく思った無欲さが、誰より美しい心根のように見えてくる。


 安らぎを与えてくれる“谷間の菫”こそが、自分が真に求めるものではないか。ソルシードは一時期、そうまで思い始めた。失った偶像を追うのはやめて、シェイラの手を取りたくなった。


 だが。


 現在のソルシード。深夜、水の苑を出た彼は後ろを振り返った。事実上、ここを取り仕切るのはたしかにあのロサマリア、赤の貴婦人だ。最も権勢を誇る寵姫であり、最もソルシードの心の動きに敏感な人間である。シェイラはもちろん、ソルシード自身よりも。

 

 ロサマリアは誰より早く動いた。自分を差し置いてソルシードの心を得ようとする娘を、素早く排除しにかかった。結果はロサマリアの勝利となった。


 あのとき罠に嵌ったのはソルシードだ。彼にできたのは、あの断罪の場へオクタビオを呼ぶことだけ。面倒事を押し付ける振りをして、シェイラとオクタビオを結び付けた。幸せになってほしいというのも、本心だ。身勝手ではあるが、情がないわけでもない。


 ロサマリアの言葉は正しい。シェイラに王妃は務まらない。身分的にも反発が大きい。


 だから、ただただ自分のためだった。王としてではなく、ひとりの男として求めただけ。常に国事を己の第一とする人間だが、それを選べない瞬間もあるのだ。


「……この代償はそなたが考えるより大きいぞ」


 きびすを返して進むソルシードは、ロサマリアへとつぶやいた。


 ロサマリアの権勢欲も、時には下衆な罠を使う手際もそれなりに気に入っている。何より、他のどんな女よりソルシードと理解し合えるだろう。本人も、露ほども疑っていない。それが国のためにも正しい選択であると。


 しかしそれでも、ロサマリアを王妃にはしない。人の心は理性だけでは測れない。周囲がどれだけ勧めようとも、状況がどれだけ彼女に有利に働こうとも。どれだけ彼女が望もうともソルシードはロサマリアを妻にはしない。


 国のためなら己など無きものとするソルシードだが、これだけは死守するつもりだ。

 この夜、心に決めた。ロサマリアでもシェイラでもない女を娶る。彼女たち以上の相手がいるとは思えないが、構わなかった。


 空を眺めた。曇っているのか、星ひとつ見えなかった。王者の孤独を噛みしめるソルシードは、オクタビオが羨ましかった。ただの男になりたかった。


「いっそのこと、本当に……」


 少年の頃からソルシードの心に宿る、『あの女神』。どうしても忘れられない彼女が戻ってくるならば、他には何も望まない。そう思って苦笑した。


「やめておこう。発狂したと思われる」


 ひとり笑って、深夜の宮殿を歩いていった。



 晩年のソルシードは、周囲の者によく語った。「自分には女運がなかった」と、笑い話のように。


 恐らく死ぬまで認めなかったのだろう。

 “決して手に入らないもの”ばかりを追い求めて、その時の自分の周囲にあるものには目もくれず、結局すべてを失ってしまった。そんな己の愚かさを。






ソルシード編はこれでおわり

2018.4 改稿



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