完結編
つまんない。つまんなかった。ずっとずっとつまんなかったのだ。
自分はこれまでずっとつまんなかったのだと、五歳のパブロはこの前やっとわかったばかりだ。
朝、起きる。メイドに世話されるがまま、顔を洗って服を着替えて、運ばれてきた朝ごはんを食べる。そのあとは何もしない。いや、机のアマデオと話したり、椅子のキリアンや本棚のエンリクとかくれんぼをしたりと、やることはいっぱいある。しゃべるのはパブロだけで、みんな答えてはくれなかったけれど。そうやってずっと、また眠るまで過ごしていた。
答えてくれない家具に話しかけたり、たまには自分で答えたり。前は面白かったが、やっぱりつまらなかったな、とパブロは最近になって思った。
「おはよう、パブロ。もう朝よ」
きれいなきれいな、まるでお姫様のような女の人が起こしに来る。その人はメイドと違って、洗顔も着替えもやってくれない。だけどパブロがたくさんあるボタンを一生懸命とめるのを、ずっと横で見守ってくれる。ぜったい急かしたりしない。
「さ、今日もお母様にどんな夢を見たのか、教えてくれる?」
そういうとシェイラは――パブロの新しい“おかあさま”は、パブロの手を取る。子ども部屋から出して、家の食堂に連れて行く。このお母様は、パブロにひとりでご飯を食べさせない。自分は先に食べているみたいで、パブロが話す昨夜の夢のお話を聞きながら、朝ごはんを食べるのを見ている。
「今日はいいお天気だから、外でお日様にごあいさつしましょうか」
それだけでも楽しいのに、お母様はその後、パブロと一緒に遊んでくれる。外――家の中でしか遊んだことのないパブロが、ずっと前から憧れていた裏庭へも出してくれる。思っていた通り、裏庭にはおもしろいものがいっぱいあった。植木鉢のカルロスやニワトコの木のペペ、じょうろのサンチョなど、パブロには新しい友達が増えた。
今のところパブロの世界は家の中と裏庭だけだが、もう少し時間が経ったら、外に“おさんぽ”に行きましょうね、とお母様は言ってくれた。パブロはまだ小さいので“おさんぽ”がどんなところなのか知らない。でもお母様と一緒なら楽しいだろうと思う。
「じゃあパブロ。今日の“おはなし”の時間よ」
そしてパブロにとって何より楽しいのは、お母様の“おはなし”だ。絵本という、パブロの部屋の棚にずっとあったけれど、今まで誰も触らなかったものがお母様のお気に入りだ。
パブロが初めて知った“おはなし”は、毎晩のパブロの夢よりも、ずっとおもしろいものだった。お母様が語ってくれる、森の動物や海の生き物の話。パブロが“うみ”が何かわからないと言うと、絵も見せてくれた。お陰で今のパブロはすっかり物知りだ。“いぬ”や“ねこ”、ハリネズミだって知っている。
お母様が来てから、パブロは“つまんない”をすっかり忘れてしまった。ずっと“たのしい”ばかりだから。
そんなある日のことだ。
「おはよう」
その日の朝、起こしに来てくれたお母様は、いつもよりずっときれいだった。どうしてかわからないけれど、今まで見たことないほどきれいな笑顔だと、パブロまで嬉しくなった。
そんなお母様に連れられて食堂に行くと、男の人が先に座っていた。パブロも知っている人だった。
「“おとうさま”だ!」
前に会ったのはずっと昔だが、パブロはちゃんと覚えている。この“めがね”というヘンテコな物を顔につけているのは、パブロの“おとうさま”だ。同じ家にいるけれど、“おしごと”があるからパブロはあんまり会えない。
「久しぶりだな、パブロ。いい子にしていたか」
いい子にしていたかと聞かれ、パブロは答えにつまる。お父様の言う“いいこ”がどんな感じなのか、まだ知らなかった。困って横のお母様を見上げたら、にっこり笑ってうなずいてくれた。
「はい。ぼく、いい子です」
「そうか……」
パブロはしっかりうなずいて答えたけれど、お父様は「そうか」と言ったきり黙ってしまう。お腹が空いていたので、まだ朝ごはんにしないのかな、と心配していたら、お母様が口を開いた。
「旦那さま。今朝のパブロの夢がどんなだったか、聞きたいんでしょう。朝ごはんを食べながら、聞いてみません?」
「そ、そうだった。――パブロもシェイラも座ってくれ。食事にしよう、一緒に」
その日から、パブロの“つまんない”は完全に終わった。二度と戻ってこなかった。