水の声
森の隅々にまで夏が滴っていた。
木漏れ日は眩しいほど白く、必死な蝉の鳴き声の脇をさわやかな沢風が吹き抜けていく。生命力に満ちた夏の森の香りは心が安らぐ。木々の出すフィトンチッドに包まれながら森のなかを軽く歩いていると、森の精気が身体に満ちていく。
昔から森林浴が好きだった。小さなカメラを片手に、散歩しながら珍しい草花や昆虫の写真を撮っていると、目に見えない日々の疲れが徐々に癒えていくのが分かる。コンクリートから立ち上る陽炎の、目のくらむようなあの熱さはここにはない。
私はひときわ大きな木陰に入り、立ち止まってリュックサックから水筒を取り出した。カラカラと氷の音がした。茶をコップに移し、少しだけ口に含む。森の中ではただの茶ですらおいしく感じる。
鳥が頭上を横切っていく。
軽やかな羽音。
華やかな紅色の羽を見て、そこで生まれ育ったにも関わらず、都会の夏の暑さに死にそうな顔をしていた同僚の水並のことを思い出した。きっと彼は少し足を伸ばせばこんなに過ごしやすい森があることを知らないのだろう。山になにをしに行くのかと言われ、森林浴だと答えると、まったく興味のなさそうな返事をしていた。彼とは違い、田舎で育った私には自然は常に傍にあるものだった。
歩き出しながら飲み終えたコップを元に戻そうとしたとき、私はなにかに足をとられて急にバランスを崩した。
手からコップが飛んだ。
あっと思うまもなくコップは宙を舞い視界から消えた。
慌てて体勢を立て直しながら足元を見ると、私が躓いたのは元気良く伸びた木の根っこだった。
こんなに長い木の根、さっきからあっただろうか。
まるで地面から急に生えてきたようなその根っこを不思議に思いながら、私は目でコップを探した。道の端に落ちたように見えた。その先は急な坂になっている。あまり端に近寄ると危険だと分かってはいた。しかし取らないわけにはいかない。幸いコップは下に転がり落ちてはいなかった。道と坂のちょうど境目あたりに見え隠れしていたコップに手を伸ばした瞬間、足元が大きく揺れた。
滑る。
声を出したつもりだったが、出たのははっという強い息だけだった。
落ちる。
それは一瞬だった。
気がつくと私は地面に横倒しになっていた。
左足と、咄嗟についた右肘が痛かった。ひどい痛みではないが、泥の冷たい感触があった。たくさん積もった落ち葉の内部が腐っていたようだ。頭の上にさっきまで立っていた場所がある。
なんだかよくわからないがついていない。今日は厄日だっただろうか。そういえばまだ仕事が忙しくて厄年のお払いに行っていない。森に入らず神社に行くべきだったか。
重なる不運に首をひねりながら身体を起こそうとしたその瞬間。
ふと、微かな音がした。
鈴の音色にも似たその音は、私を一瞬で現実の世界に引き戻す力があった。
電気が走ったように私の身体は固まった。
なんだろう。
私はただ耳を澄ました。
静かだと思っていた森が、俄かに賑やかになった。
どこからか鳥の鳴き声がし、葉ずれの音がした。
辺りは一時も休まることのない自然の音の洪水だった。
少し青臭い、深い緑の匂い。
そしてまた、今度はさっきよりも幾分かはっきりと音がした。
美しい、他に例えようもないほど清涼な音。
音は地面から聞こえていた。
私は泥で服が汚れるのも構わず地面に耳を押し付けた。
ざらりとした土の感触を頬に感じた。
今度はさっきよりも一段高い音。
硬質で澄んだ音の余韻が長く長く響く。
地中深く、闇の向こうから密やかに沁み出てくる音。
私の耳は幽玄の世界の深淵と繋がっていた。
それは蚕の紡ぐ糸のように細く脆い繋がりだった。
意識のすべてが音に集中し、全身が三半規管になったように感じた。耳に届く音は奇跡のように美しく冷たかった。
しゃん。
天上の宴。その中心で美しい天女が楽しげに振る鈴の音。
それからどのくらいそうしていたのかはわからない。
ほんの十分ほどのようにも、二時間のようにも感じられた。時の流れから切り離された場所で、私は響いてくる音に夢中になっていた。
いつまでも寝そべっている私を見物しにきたかのように、すぐ傍の木に鳥が止まる気配がした。ばさばさという羽の音がやけに大きく聞こえ、どんな大きな鳥がやってきたのだろうと思い、視線だけをそちらに向けると、そこにいたのは掌に隠れそうに小さな百舌だった。
自分が聞いているこの音は、いったい何の音なのだろう。
私はゆっくりと身体を起こし、今まで自分が耳をつけていた部分を見た。腐りかけの葉、灰色がかった下草、泥と土、そして私の身体の重みで潰されたのだろう小さなキノコがそこにはあった。私はもう一度耳を地面につけた。冷たい土の感触があったが、音は聞こえなかった。少し腐ったような土の匂いがする。
しばらく待つとまた、しゃん、と高い音が地中からした。
少し迷ったが、私は手で少しだけ泥を掘った。
やがて小さな石に当たり、そっとそれを取り除くと、そこに今にも土に埋もれそうな小指ほどの穴があった。穴は深く地中に続いているようで、携帯電話のライトを当てて中を覗こうとしても、その先に浮かび上がるのは闇だった。穴に耳を押し付けると、さっきよりもクリアな音が聞こえた。
音の正体は見当もつかなかった。けれどもいつまでも聞いていたい音だった。
私は結局それ以上草花の撮影はせず、たまに起き上がって持って来たおにぎりを食べたりしながら、一日そこで音を聞いて過ごした。帰るときは穴をもう一度石でふさぎ、枯葉をかけた。近くの木の枝に印をつけようと思ったが、通りかかる人が気がついてしまうかもしれないと考えて止めておいた。音のことは私だけが知っていればいい。
しばらくは仕事が忙しく、穴のことはたまに思い出すだけだった。しかしあの音が夢ではなかった証拠があった。転んだときにできた右肘の青い痣だ。ぬるい泥に頬を押し付ける感覚はたびたび夢に出てきた。夢の中で、私は音の在り処を探してもがいていた。目覚めた時はなにも覚えていない。しかしまた夜になり眠りにつくと、私は音を探してさ迷っていた。忘れていた、私は音を探さなければならないのだ。
そんなことを何回か繰り返し、ようやく山に入れる休みが取れたのは夏も終わりかけの日曜日のことだった。私は用意した雨合羽を着込み、ビニールシートを敷いて地面の上に死体のように長く転がった。
夢の中と違い、音はちゃんとそこにあった。しゃん、という高く美しい音が何度も何度も深く胸の奥に入っていき、私はそのたびに目を閉じて溜息をついた。
山からの帰り、好きでよく通っていた会社近くにあるジムへ、休会の申し出をするため電話をした。プールやサウナ通いも止めた。
少しでも長く音を聞いていたい。
貴重な休日はそのためだけに使いたかった。
音との逢瀬の時間は私にとって無心になれる時間だった。忙しいだけの日常から遠く離れ、幸福感に満たされながら日が傾くまで私はそこに留まった。音に別れを告げ、明るく暮れていく街を見下ろすとき、私の心の中は澄み切っていた。そこにはただ安らぎと至福があった。
音に沈みながら、ふと懐かしい人たちのことを思い出した。幼い頃出会った人々。小学校の同級生や、昔飼っていた犬や、亡くなった祖母。優しかった人たちの面影が脳裏を掠め、また記憶の奥深くへと消えていった。
音を聞きながら寝てしまうこともあった。高く低く響く美しい音に耳を傾けて目を閉じると、木漏れ日がちらちらと瞼の裏に透けて見え、風が頬を撫でていく。そうして眠ったあとの目覚めはとても快適で、クリアになった視界には世界が素晴らしく美しいものに見えた。
時々、登山をする人が穴の傍を通りかかる事もあった。
もし誰かに見つかったら音は私のものではなくなってしまうかもしれない。
私は釣り用のベストと釣り道具一式をインターネットの通信販売で購入した。誰かが道を上がってくる気配がしたら、私はすぐに近くの沢に向かって走った。まったく釣りには興味がなかったが、沢釣りをする人なら山にいてもおかしくはない。寝っ転がって穴に耳をつけるひとよりはよほど自然だろう。メモ帳を片手に、鳥に向かって双眼鏡を構えることもあった。熱心にバードウォッチングする人に見せかけるためだ。自分でもなにをやっているのだろうとおかしく思うときもあったが、幸い、登山客に穴の存在を気付かれることはなかった。
季節は秋にさしかかった。
いつしか私は音の虜となり、音の奴隷になっていた。
なにをしていてもふと音のことを思い出す。
好きだった音楽はまったく心に届かなくなった。本を読んでも内容が頭に入ってこない。映画を見てもなんの感想も沸かなくなった。ただあの音だけを聞いていたかった。
いつの間にか安らぎではない感情が私の中に生まれていた。
仕事をしている間に、通りかかった誰かが偶然あの音を発見してしまうのではないだろうかと不安になった。偶然ではなく、あの音を見つける手がかりとなるなにか重要なものを、あの場所に置き忘れてきてしまったかもしれない。防犯装置的なものを置いた方がいいのではないだろうか。あの音になにかが起こりそうになったらすぐに駆けつけることができるなにか。
独占欲が真夏の積乱雲のように沸きあがり、そんなときは仕事を放り出して音の傍に行きたくてたまらなくなった。
音のことを考えれば考えるほど焦燥感は募り、仕事にも細かいところにミスが増えた。上司に注意されると、そのときはもう音のことを忘れようと思うのだが、ふと気がつくと頭の中は音のことでいっぱいになっている。とりつかれるというのはこのことなのだと思った。
逸る心を抑えきれず、休日だけではなく週の真ん中に車を山に走らせるようになった。有給を使い切ると次は仮病を使った。自己嫌悪に陥ることもあったが、そんなとき穴は想像よりもずっと澄んだ、美しくたおやかな音色で私を迎えた。音の魔力は私を捕らえて離さなかった。離れるたびに音への思いは募った。
私をじっと観察する人がいれば、多分、私は病気に見えただろう。しかし、私の周りには幸い私の内面までを気にかける人はおらず、私はただひたすら音に思いを馳せた。水並はもしかしたら私の様子がおかしいことに薄々気がついていたかもしれない。恋わずらいかと聞かれ、笑って首を振ると、それ以上は追求してはこなかった。
これまでの日常は音のおまけとして存在するものになった。音がなかった頃、私がどう日々を生きていたのかわからなくなった。音だけが、私をつき動かしていた。
音がどうしても聞こえないときもあった。それは大雨のあとだった。大きな雨音で私の音がかき消されるイメージを思い描いた。もう二度と聞けないのではないかと不安になったが、それでも諦めることはできなかった。
音が再び鳴り始めたとき、私は喜びの絶頂をかみ締めた。
音に抱かれながら涙を流した。無理な姿勢を取って聞き続けてしまったせいか、いつのまにか腕の感覚がなくなるほどしびれていた。じんじん上がってくる痛みに似たしびれも、音が再び甦った喜びがもたらすものだと考えたら心地よい痛みに感じられた。
いったいこの穴の向こうにはなにがあるのだろう。
穴を石でふさぎながら、私は桃源郷の物語を思い出していた。
桃の花に導かれ、小さな穴を通って理想郷に辿り着いたあの猟師のように、私もこの穴の向こう側へ行きたい。
幽邃の森を抜けた先にある楽園へどうか私を導いて欲しい。
もし私の手を引く案内人がいないのであれば、私は自力でその楽園への道を切り開きたい。
この穴の向こうになにがあるのか。
それをこの目で見ることができたなら。私はそのままそこから帰れなくても構わない、どうにかして音の出るところをこの目で見たい。
初めて音を聞いたときから胸の奥でくすぶっていた疑問が、その日、穴を壊したいという願望に変わったのだった。
私は仕事の帰りにホームセンターに立ち寄り、スコップを一本買った。
決行の前日、一晩中、音のことを考え続けた。
眠れないまま短夜が明けた。
ふらつく頭を抱えながら、私はいつものように山へ行く準備を整えた。少し逡巡してから、車にスコップを積んだ。失うかもしれないという恐怖よりも、どうしても音源を見たい、手に入れたいという気持ちが、今にも破裂しそうな風船のように膨らんでいた。穴に辿り着くと音はいつも通り、美しい響きで私を迎えた。
なぜ、こんなにも音は懐かしく美しいのだろう。
なぜ、この世にこんな奇跡的な音が存在するのだろう。
神さま。
私は穴に向かってスコップを振りかざした。
振り下ろす瞬間、この世からすべての音がなくなった。
そこに私が見たものは――――空洞だった。
私は目をこすった。自分の見ているものがなんなのかわからなかったからだ。
桃源郷への入り口も異世界への扉もそこにはなかった。音の出る楽器すらなかった。
なにもなかった。
空洞の底には私が掘ったことで落ちた土と、少量の水があった。水面に向かって、スコップの先についていた砂が落ちていった。ぱしゃっと軽い音がした。その瞬間、昔テレビで見たものを思い出した。
水琴窟。
水が水面に落ちて、その音が周りの陶器に反響して音が出る。
私は――――空洞に恋をしていたのだ。
私はその空洞を見ながら恋焦がれたあの音を思い出そうとしたが、
まったく思い出すことができないことに気がついた。
音は蘇らなかった。
自然の創りだした芸術品は永遠に失われた。
私が壊した。
奇跡のバランスで存在していた天然の水琴窟はもうこの世のどこにもない。私を癒し、虜にしたあの音色は永遠に失われたのだ。
多分人は、私のことを大馬鹿者だと笑うだろう。
もしかしたら怒るかもしれない。
あきれ果て、後ろ指を差されるかもしれない。
すべてその通りだった。
穴を壊した私は大馬鹿者で、のろまで、考えなしで、どうしようもない人間だった。
私は仕事を続けることができなかった。
音を失うと同時に生きていく気力のようなものもすべてなくなってしまったようだった。食事を忘れ、たった二日でベッドから起き上がることもできなくなった。見舞いに来た上司は急激に人相の変わった私を見て言葉をなくした。説明を求められたが、本当に一言も言葉を発することができなかった。水並もやってきた。水並は私の様子を見てなにか察したのだろう、無言で休職届を作ってくれた。次の日にもやってきたので、そのときにサインをした届を渡した。その封筒すら石のように重く感じられた。圧し掛かった絶望に息も絶え絶えだった。悪夢は毎晩毎晩私を苦しめた。
悪夢からようやく逃げ出したとき、音は私のすべてだったということに気がついた。
それからしばらくして私は会社を辞めた。住んでいたアパートを引き払い、田舎の小さな小さな一軒家を借りた。退職金とこれまでの蓄えを足すと、しばらくは生きていけそうな額になった。それを使い切ったら死ぬつもりだった。音がない世界では生きていけそうになかった。
周りは年金暮らしの老人ばかりで、私のように若い人間は珍しいのか、時々誰かが様子を見に来た。最初は監視されているようで落ち着かなかったが、私が無害なことを知るとそれもなくなった。隣人は一人暮らしの老人で、時々裏の畑で収穫したばかりの野菜を分けてくれた。私はありがたくそれをいただいた。返せるようなものはなかったので、時々庭の掃除や草むしりを手伝った。そうしてゆっくりと暮らしていると、時の流れの力は偉大で、もしかしたら生きていけるかもしれないと思えるくらいまで回復した。ある日、近くに陶芸家が住んでいることを知った。あの音が取り戻せるとは思わなかったが、私は見学に行った。あとから話を聞くと私はよほどおかしな客だったのだろう、茶碗や皿に目もくれず、瓶のことばかりを聞いてきてなんなんだろうと思った、と言われた。
作業の手を止め、背後を振り返る。
そこには大小さまざまな大きさの水琴窟。
かつて永遠に失われた私の宝物。
私はこの先もずっとこの不思議な楽器を作り続けるのだろう。
多分、あの音には二度と巡り会えないことを知りながら。
私は再びあの音を聞きたい一心で、水琴窟作りを始めた。
どれもそれなりにいい音がした。しかし、あの音ではなかった。
作り続けるうちに何人かの人が私の元を訪れ、水琴窟を譲ってほしいと言った。私はそれに応え、生活費を少し足した額を提示した。喜んで持ち帰る人の姿を羨ましく思いながら、私はまた新しいものを作った。
今もなぜか元同僚の水並がたまに家を訪れる。都会生まれ都会育ちの彼には田舎が珍しいようだ。囲炉裏に歓声を上げ、一人で釣りを楽しみ、焼いた岩魚を美味そうに食べて帰っていく。別に邪魔ではないし、うるさくもない。会社では水並の無駄なポジティブさが時折鬱陶しいこともあったが、もう二度と聞けない音のことを思って落ち込んでいるときに水並が遊びにくると少しほっとした。
水並だけが家の裏手にある大量の水琴窟を見てもなにも言わなかった。訳知り顔をするわけでもなく、かといって理由を聞いてくることもない。たまに音を鳴らして子どものような顔をしている。
「あ、これすごく良い音がする。琴っぽい」
できたばかりの水琴窟の音色に耳を傾け、元同僚は微笑んだ。