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短編小説

掌編『贋作 遠野物語 二百十四(現代訳)』

 三十年ほど前、土淵村の野崎に佐之助という狩猟を生業とする男がいた。彼は鉄砲の名人だった。年齢は二十五六で口のきけない妻と二人で暮らしていた。

 ある日、佐之助は山に入り、小屋で自分らの使うだけの炭を焼いていた。すると小屋の戸口が開き、何者かがこちらを覗いている。猿の経立(フッタチ)だった。長く生きて知恵をつけた動物を経立という。その振舞いは妖しく、人に似る。経立は握っていた小石を佐之助目掛け、投げ付けてきた。

 佐之助はその小石を避け、傍らに置いてある鉄砲を素早く手に取ると構えて撃った。弾は経立の肩に当たったが堅い毛皮を撃ち抜くことは出来なかった。それでも経立は呻き声を上げて逃げ出した。佐之助が鉄砲を構えたまま戸口から外を窺うと猿の経立が一匹、岩を伝って斜面を昇り、山奥へ走って行くのが見えた。戸口の地面には経立の血が点々と落ちていた。幾らかの傷を負わせたようだった。


 数日後のこと。いつものように狩りを終えて家へ帰ると妻である千代がいない。佐之助は集落の者達と共に辺りを探したが千代は何処にもいなかった。佐之助は他所の村まで出向き千代を探した。だが、見付かることはなかった。


 千代がいなくなってから半月の後、集落の者が六角牛(ロッコウシ)山に入った際、千代を見たという。大きな猿の経立が千代を脇に抱え大岩の上に佇んでいたのを見て、恐ろしくなり慌てて逃げて来たのだという。


 佐之助は猿の経立から千代を取り返すために鉄砲を持ち、六角牛山へ入った。竹太郎も佐之助と共に入って行った。竹太郎は千代の弟である。

 一日中、千代を探して山を歩き回り、日が暮れ掛かってはいたが、佐之助は帰ろうとはしない。竹太郎が、今日はもう諦めようと言っても聞こうともしなかった。

 ついには誰も入らないほど山の奥深くへと入り込んだ。そのとき、谷沿いに女の喘ぐ声が聞こえた。声のする方へ進んで行くと谷を挟んだ向こうの大岩の上に十数匹の猿の経立がいる。薄暗くなってはいたが、明るい月が昇り岩の上を照らした。猿どもは人間の女を囲んでおり、その女を順番に犯していた。女が艶かしい嬌声を絶え間なく上げ、それが谷に響いている。

 竹太郎が目を凝らしてみると、女は千代であった。竹太郎が、あっと叫んだ途端、佐之助は鉄砲で千代を撃った。千代は、大岩の上にばったりと倒れ伏し、動かなくなった。経立の群れが岩を下ってこちらへと向かって来る。あれだけの数で襲い掛かられれば自分達はひとたまりもない。恐ろしくなった竹太郎は、呆然としている佐之助を引き摺るようにして逃げ帰った。

 なんとか無事に集落へ辿り着くと、竹太郎は佐之助に問うた。なぜ猿の経立ではなく千代を撃ったのかと。すると佐之助は「あれは経立だ」と答えた。


 佐之助は家に籠ることが多くなり、周囲との接触を断つようになった。竹太郎が、様子を見に家へ訪れれば、佐之助は飯も食っていないようで、頬は痩け、落ち窪んだ目ばかりがギラギラと鈍い光を湛えていた。

 その後、佐之助は鉄砲を抱え、来る日も来る日も六角牛の山深くに入り、千代を探していた。

 千代が土淵村に戻ることはなかったが、村の幾人かは、猿の経立が、醜い赤子を抱えた千代を連れ回しているのを見たという。そして、いつしか、佐之助の姿も村から消えた。


 土淵村の野崎では月夜の晩になると六角牛山の方から女の喘ぐ声と鉄砲を撃つ音が微かに聞こえてくるのだという。今でも聞こえてくるという話だ。



       『了』


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