恋の停留所。~バスとリボンと私と鳩と。
ああ、なんだか気持ち悪い。
私――種田千波はこの春に高校生となり、バス通学を始めたのだが、早速バスの揺れに酔ったらしかった。
「大丈夫ですか?
良かったら座ってください」
目の前に座っていた男子高校生は、イヤホンを外して立ち上がった。
隣にある男子校の生徒だと、制服を見て思いました。
「すみません……」
「いえ、そんな真っ青な顔、黙って見ていられないので、」
遠のきそうな意識の中、私は座らせてもらい、バス以外の手段を考えなければならないかもしれない。なんて思った。
「次ですけど、立てます?」
「……」
私は声も出せず、ただ頷きました。
バスが停車すると、その人は黙って私の抱えている鞄を肩にかけ、私の腕を掴み、支えてくれます。
「……すみませんでした、助かりました。私、乗り物に弱くて……」
「いえ、そしたら大変ですね、バス通学」
「……はい、」
その人はパッと道の先に見えた自販機にかけ寄りました。
水を買い、手渡してくれます。
「本当にすみません……
お時間、大丈夫ですか?」
「時間は大丈夫。学校、どうせ裏だし」
そう言ってその人は結局私を学校まで送ってくれました。
「千波、今のって誰?」
私は学校の前でちょうど出会った同級生――伊賀マリに引き渡され、そんな風に聞かれる。
「裏の学校の人……」
「名前も聞かなかったの?ここまで連れてきてもらったのに!信じられない!」
マリはそう言うけれど、私は気持ちが悪く、意識が朦朧としていて立っているだけで必死なのだ。そんなところまで聞く余裕があるわけがない。
その後私はそれに懲り、かなり遠回りではあるが電車通学。もしくは早く家を出て歩いて通うことに決めました。
だから同時に、その後その彼に会うことはないだろうと思いました。
その数日後、私は時計を見て青ざめました。
「……もうこんな時間!」
その日は提出物の締め切りの日で、締め切り時間はなぜか早朝。
そんな日に限って寝坊だなんてついていない。
電車で行く時間もなければ、学校まで走るには遠すぎる。
けれども間に合う手段がひとつ残されています――バスでした。
私はバス停に走ることに決めました。
あわてて支度をして、家を飛び出します。
するとバス停の手前で信号待ちをしているバスがいて、そのバスに乗れば確実に間に合うと思いました。
なので私は必死で走り、
「乗ります……!」
と声をあげます。
電車でいえば駆け込み乗車でしたが、運転手さんは嫌そうな顔をしながらも乗せてくれました。
「待って……!」
私の後ろから、男性のそんな声が聞こえましたが、バスの扉は閉められてしまい、バス停を少し離れたところで、また信号待ちで止まります。
その人がバス前方の扉をバンバン叩いている音がしました。
あの声の人もバスに乗りたかったんだろうな。なんて思い、目線を落とすと、襟元にあるはずの制服のリボンがありません。
「……!」
そうです、その男の人はリボンを拾ってくれたのです。
聞こえた“待って”は、私にかけられた声……。
気付いたときにはすでに遅く、落としたリボンの事で頭はいっぱい。その日私がバスに酔う事はありませんでした。
提出物は無事締め切り時間に間に合いましたが、マリはすぐに気がつきました。
「あれ、リボンどうしたの?」
「落としてきた……」
「え?」
「寝坊して、間に合う手段がバスしかなかったのよ。全速力で走って……気がついた時にはなかったの」
「確かにこれ、ホックゆるいもんね。簡単にはずれるもん、走ればとれるか……」
マリは自分のリボンをいじりながらそう言いました。
「でも、拾って追いかけてくれた人がいたんだね、」
「そうなの。でもバスの運転手さんが意地悪だったのよ、」
「んー、その人その後どうしたかなあ。売る、とか?」
マリは面白いことを考えると私は思いました。
「売れないでしょう、」
「そうかなあ?でも、どうするの?買うの?」
「んー……正装のリボンで我慢する」
私の学校は二種類のリボンがあり、正式行事以外の日はどちらをしても良いことになっていました。
「落としたのが正装リボンじゃなくて良かったよ、」
私は最後にそう言いました。
それからしばらく何事もなく、私は徒歩通学を続けていました。
「わ!」
私が立ち止まると、誰かがぶつかって来て、短く声をあげました。
「すみません……ぶつかってしまって、」
「いえ、私こそ急に立ち止まったので……」
顔をあげると、見たことのある男子高校生がいました。
「もしかして……以前学校まで送ってくださった……」
「そうです、あの時名乗るべきだったと思って、しばらく後悔していました。
翌日からも同じ時間のバスに乗っていたんですが、あなたは乗ってこない。
徒歩通学にしたのかと思って、時々自分も歩いたりしてたんですが……なかなか会えなくて」
「その節はお世話になりました。
私のほうこそ、名前も伺わずにお礼もできず……」
「あ、そうそう。もしかして、千波さんでは?」
その人は急にそう言いました。
「ええ……」
なぜ知っているのだろう。
そう思ったとき、彼の鞄から出てきたのは落としたはずのリボンでした。
「私の……です!」
「バス停のあたりでたまたまこのリボンを持って困ってるサラリーマンがいて。君の学校のリボンだし、こっちから通ってる子って君しか会ったことなかったから、もしかしたらって思って。
知り合いのだって言って受け取ったんだ」
「まさかこんな形で戻ってくるなんて……!」
受け取ったリボンのタグを見ると、確かに私の字で“千波”と書き込んでありました。
私たちはそれから他愛ない会話をしながら一緒に歩き出します。
「それより、さっきなんで立ち止まったの?」
「あ……鳩さんが道の真ん中にいたじゃないですか。
私、鳩苦手で……」
私がそう言うと、彼は吹き出すように笑いました。
「鳩がいて、通れなかったって言うのか……」
「そんなに、面白いですか?」
「いや……俺の名字さ、鳩間っていうの」
「鳩間さん……」
思わず私も笑いました。
「どうだろう。明日からも、こうやって隣歩いても良いかな?」
鳩間さんはそう言ったので、私はこう言いました。
「ええ。道の真ん中に鳩がいたとき、立ち止まっても良ければ、」
と。