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藤の花

作者: 丸山梓

 入社式で私は彼女に出会った。

 彼女は少し男性嫌いで、世の中の風潮を疎み、背が高く細身でそしてとびきりの美人だった。

「相沢友香」

 名前を呼ばれると彼女は、すっと背筋を伸ばして立ち上がり優雅な足取りで歩いていった。そして社長から辞令を受け取ると、軽やかに身を翻して自分の席へ戻っていく。一連の動作に私はすっかり見入ってしまった。無駄のない、けれど別に気負っている風でもない自然な美しい動作、その動作にみとれた人はおそらく私のほかにも何人もいただろう。


「一緒にご飯食べない?」そんな彼女の一言で私たちの付き合いは始まった。

 私たちの入社した会社は、中堅の保険会社で、彼女は主に受付を、私は営業で顧客のデータの入力作業をしていた。部署が違うからお互いの仕事内容はわからないが、だいたいの社内の人の顔はわかるようになってきていたので、いつもうわさ話ばかりしてお昼の時間を過ごした。入社して間もない私は、いつも早く仕事を覚えなければと焦っており、周りを見回す余裕もなかったが、彼女のほうは驚くほど落ち着いて周囲を観察しており、ときには私より私の部署の内情に詳しかったりして私を驚かせた。

「営業二課の小林さん、きっとカツラだよ」

「え、本当?どうしてわかるの?」

「だっていつも同じ髪型してるじゃない。それもちょっと不自然な」

「不自然かなぁ、私には自然に見えるけど」

「ふふ、高岡はまだまだ甘いね、まぁ、でもそれが高岡のいいところかも」

 私は彼女が好きだった。私が仕事でミスして落ちこんでいるとき、彼女はそっと私の部署までふらっと何気なくやってきて、きれいな包み紙に入った小さなお菓子を私の机に置いていったりした。藤の花が包み紙に描かれたふわっと甘い和菓子だった。

 彼女はそつなく仕事をこなし、いつ見ても颯爽として見えた。彼女はとてもきれいだった。ときにはそれがまぶしいと感じるくらいに。


 でもいつからだろうか、入社して三年くらい経ったころかもしれない、私は彼女といることがだんだんとつらくなってきていた。彼女の何が悪いというわけではない、ただ彼女の振る舞いの完璧さが、ときには上からものを言っているように思えて、話していてとても居心地が悪くなるのだった。たとえばこんなことがあった。

 私は一時期、同僚の振る舞いに悩んでいた。黒崎さんは、私よりもあとから入っていた中途社員で私が仕事を教えなければならない。けれども年は彼のほうが上である。私のする仕事に対し、黒崎さんはほぼ全てにクレームをつけた。その態度はまさに俺のほうがお前より経験がある、俺のいうとおりにしろ、といわんばかりだった。

「私、黒崎さんと一緒に働く自信がないや。毎日が不愉快、地獄」

弱音を吐く私に、彼女は余裕の笑みを浮かべて、

「そんなことで悩む高岡の時間がもったいないよ、ね、何かもっと楽しいこと考えよう」

 彼女に期待するほうが間違っていたのかもしれないが、一緒に苦しんで、悩んでほしかった私は、心のなかで激しく苛立った。大きなストレスになっているそれを時間がもったいないの一言で片付けられ、その上笑顔である。その笑顔はいつにも増して美しく、完璧だった。楽しい話でもして気分転換したほうが、私のためになると信じて疑わない顔をしていた。私はなんとも言えず、惨めな悲しい気持ちになった。


 そのころの私は、かなり追い詰められていた。仕事は毎日忙しく、連日の深夜残業でも終わる気配がなく、休日出勤を余儀なくされることもしばしばだった。一人暮らしなので、当然家事もこなさねばならない。自分のための時間はないに等しかった。ただ仕事をするために息をしているだけ。そんな日々が続いていた。

 そんな私に手を差し伸べてくれたのは、同期の恵美ちゃんだった。

この春発売されたばかりの商品のカタログを倉庫にしまおうと廊下に出たときだった。恵美ちゃんが、反対側から歩いてくる。恵美ちゃんは経理課所属でめったに仕事で一緒になることはないが、同期なのですれ違えば話をする程度の仲だ。

「高岡さん、元気ないね。どうしたの?」

「うん、ここんとこ毎日忙しくて」

「そっかぁ、大変だね、営業って。ね、登山に行かない?今ね、とてもつつじがきれいなとこがあるの」

 そういえば、恵美ちゃんは登山が好きでいつも会社の仲間と登っていた。就職してから、さっぱり登っていないが、実は私も山は結構好きだ。前にも誘ってもらったことはあったが、そのときは都合が悪く行けなかった。

「いつ行くの?」

「来週の日曜日だよ、その頃きっと満開になると思う」

 仕事の山場は、今週末だった。来週なら空いている。

「大丈夫かも。一緒に連れてって!」


 当日行ってみると、一緒に登るのは会社の先輩数名と恵美ちゃんとその友達のパーティだった。

 急坂の坂道をただひたすら登った。

 目の前の道を会社の先輩の足元を見ながらただひたすら登っていく。

 多少、息が切れるのも気にならなかった。

 ただ遅れないようにあとについて、登頂することしか考えていなかった。

「高岡さん、ほら後ろを見てごらんよ」

 急に振り返った先輩の声にしたがって、後ろを向いてみた。

 そこには、息を呑む風景が広がっていた。

 ひたすら続く針葉樹の林の向こうに連なる山々、そして合間に見える点のような小さな家々が広がる市街地。自分がいる場所から市街地までの間にあるのは、大きな青空、そして緑、緑、緑。

 そこには、圧倒的な自然の力強さがあった。私対自然の構図では明らかに自然の方が勝っていて、当たり前だけれど、私の完敗だった。けれどもとてもそれが心地よかった。ただ大きな自然に身をゆだねていればいい、そう思えた。


 振り返ったらそこに、どんな風景が広がっているかなんて考えてみたこともなかった。

 いつだって前に進むことしか頭になかった。

 それはすっかり日常と化した仕事でも同じだった。

 朝から深夜まで仕事をして、帰って寝て、朝が来て、無理やり体を起こして会社へ行く。

 そんな日々がずっと、気が遠くなるほど続いていた。

 それでも仕事は終わらず、毎日が漠然と不安だった。

 こんな生活いつまで続くんだろうと。いつか体を壊して働けなくなるんじゃないか、と。


 けれど、ふっと振り返れば、確かに成し遂げた資料の山はあり、大評判ではないものの一定の評価はされており、だからこそ、また次の仕事が来るのであり、お金の心配なく暮らせるのであり、それは、とても幸せなことなのだった。

 また、そこには経験によって積み上げられたスキルもある。PCの基本操作や来客対応、電話対応。大したスキルではないけれど、一応一通りは学んだので、もしこの会社で働くことが難しくなってもきっとどこかしらでは働けるだろう。

 それは、いままではっきりとは意識したことがないことだった。

 こうして山に登らなければ、こんな風に感じることもなかっただろう。

誘ってくれた恵美ちゃんに感謝しなくては、と思った。

 下山途中の休憩で、恵美ちゃんがお菓子をくれた。腰をおろすと、真っ白なつつじが斜面にぽつぽつと咲いている。

「これ食べて」

 それは、入社して間もない頃、友香ちゃんがくれた藤の花の柄のお菓子だった。

「え、これって」

 恵美ちゃんは笑って言った。

「昔、友香にもらって美味しかったから、お店を教えてもらって買ってきたの」

 一口かじってみる。懐かしい味がした。仕事でミスしたときの味だ。友香ちゃんの元気出してっていう思いまで伝わってくるようなふわっとした味。

私は思い出していた、私が彼女、友香ちゃんを嫌いになる前、どんなに彼女を好きだったかを。そして私ははっとした。

 黒崎さんのことで私が悩むようになる前、実は友香ちゃんも上司との関係で悩んでいた。そんな彼女に私はなんて言ったんだっけ。たしか「そんなの悩むようなこと?」って言ったような気がする。彼女だって悩んでいたのに、私ちっとも彼女に共感してあげてなかった。

「ちょっとちょっと高岡さん、どうして泣いてるの?もー、どうしちゃったの、困るよぅ」

 恵美ちゃんが私の涙を見て慌てていたけれど、出てくる涙はどうしようもない。

 明日、友香ちゃんに私のとっておきのお菓子をあげよう。そう、思った。



数年前に書いたものです。改めて読み返してみると、下手だな~って思います。

感想、ご意見いただけたらうれしいです。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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