第七話 王女と狼の別れ歌
昨日は散々な日だった。世間知らずのお姫さんに振り回されて夜中の鬼ごっこに、依頼人へのお礼参り。だが着手金はいただいていたから損は無いし、それに報酬が美女の唇というのも悪くはない。
帝都ホテルのロビーのテレビの中にサラがいた。俺は足を止める。このホテルの上階で開かれている記者会見のライブ映像らしい。
『サラ王女、昨日ハードスケジュールを嫌って、行方をくらませたとの情報もあるのですが何処にいかれたのですか?』
『はい、お台場とか渋谷とか行きました。お寿司も食べました。日本酒も美味しかったです』
『ずいぶんと、楽しんだようですね。日本はいかがでしたか?』
『そうですね。おばぁ様に聞いた通り素晴らしい国でした。それに、とても素敵な男性と一日を過ごせて…… 最高の思い出を作ることが出来ました』
テレビの中では、サラの爆弾発言に大騒ぎだ。俺は苦笑をうかべた。それじゃ誤解されるだろう。TVに移ったサラはどこか遠くなった気がした。いや、元々この距離が当たり前の距離なのだ。本来なら交りあうことも無い運命なのだから。昨日の出来事は神のいたずらだろう。ただし神というものがいればの話だが。
俺はTVの前を離れて、コンシェルジュデスクへ向かう。
「これをサラ王女に渡して欲しいのだが」
俺はコンシェルジュに翠銅鉱のペンダントと数枚のDVDを渡す。
DVDの中身は、真琴が敵のアジトからサルベージした今回の事件の黒幕に関する情報だ。今回の事件の大まかな顛末と真琴が独自に得た情報も添付してある。これだけの情報があれば、黒幕を特定することも可能だろう。
「あの、そういうことは――」
そのコンシェルジュは断りの言葉を途中で止めた。
「碧井士郎様でいらっしゃいますでしょうか?」
「そうだが?」
「サラ王女様が、碧井様がいらしたら、お会いしたいと申しておりまして」
会いたい気持ちはもちろんあったが、再度ペンダントとDVDを渡すようにお願いしてホテルを出た。
「セバスチャン。碧井さんを探すことはできないのですか?」
私は必死に訴えるが、セバスチャンは首を横に振るばかりだ。
「その碧井様の情報はどれも事実でした。もうサラ様を狙うことも無いでしょうが、たとえ反逆者とはいえ、彼はわが国の諜報員を殺害した容疑者でもあります。日本の警察には話してはいませんが、サラ様が彼の身が心配であるなら何もしないほうが宜しいでしょう」
「そんな…… でも、碧井さんは私を助けるために……」
私はソファーの上に腰を落とした。
私、会いたいです。碧井さんに…… たとえ住む世界が違う人といわれても、私はもう一度、碧井さんに会いたい…… 碧井さん、私たちはもう会えないのですか?
翌日、俺はお台場海浜公園でレインボーブリッジを見上げていた。寒さのためか人影はまばらだ。
今日、サラは帰国する。出発の時間まで後1時間ほどだろうか。
携帯電話の古いジャズの着メロが鳴り響く。相手は仲介屋の真琴だ。
「おう、どうした?」
「士郎、大変」
珍しくあわてている様子の真琴が、俺の気を引き締める。
「何があった?」
「サラ王女に渡したデータを整理していたら、バーゼルのやつ、もう一人殺し屋を雇っていたみたい。ジャッカルって知っている?」
「ああ、狙撃専門の殺し屋だ」
その暗殺成功率は99パーセントとも言われている。7.62ミリNATO弾を使用するレミントンM700を愛用する日本裏社会では屈指のスナイパーだ。
俺は、ジャッカルの名を聞いた瞬間、駐車場に向かい歩き始めていた。
「入金済みになっている。この場合、依頼者が死んでも決行すると思う?」
「俺なら破棄するが。ヤツならやるだろうな」
「どうする?」
「もちろん阻止するさ」
俺はさも当然のように言うが、これはプロとしてのではなく個人的な感情だ。第一、暗殺を阻止するよう依頼があったわけでもない。
「サラ王女に惚れたの? 士郎」
「そうだな。惚れた女ぐらい守るさ」
「それが誰にも知られることが無くても?」
俺は真琴の問いかけに答えず電話を切った。
時間が無い。俺は滑走路にフェンスをぶち破り車ごと突入した。ターミナルビルまでの距離は約2キロ。止めた車のトランクからすばやくバレットM82A1を取り出す。
バレットM82A1は、バレット・ファイヤーアームズ社の大型対物用狙撃銃でその有効射程距離は2000メートルにも達する。
俺は伏射の姿勢を取り高倍率の単眼鏡を覗き込む。
どこだ? ベストショットを狙うとしたら、ジャッカルにもそれほど選択肢は無い。サラの乗り込んだリムジンはもう飛行機の元にたどり着いている。時間的にはワンチャンスのみ。
見つけた! 遮蔽物があるためジャッカル自身は確認できないが、あの銃身はレミントンM700のものだ。
思ったより風が出ている。ジャッカルもサラの姿を捉えているだろう。焦るが、レミントンの銃身に確実に当てないと終わりだ。俺の腕で当てることができるか? 口の中が乾く。
その時、チャンスがやってきた。一瞬の無風状態。俺が引き金を引くと、単眼鏡の中で、レミントンM700が吹き飛ぶのが見えた。
「よし!」
思わずガッツポーズを取るが、派手にフェンスをぶち破ったのだ。グズグズしていられない。バレットM82A1をトランクに収め、逃走する。
俺は一度だけ、サラの乗る飛行機を見た。もう二度と会うことも無いだろう。だがあの日は裏社会に漬かってから初めて楽しいと思える時間だった。
「サラ…… 元気でな」
つぶやいた俺は、タバコをくわえ火をつけた。
私たちが飛行機に乗り込むと同時に、護衛についていた警察があわただしく動き出す。セバスチャンが言うには、フェンスを突き破って滑走路内に進入した不審車があるそうだ。
私は碧井さんが来たのではないかと期待したが、その車はすでに逃走したらしい。
「はぁ」
「サラ様。いい加減にあきらめなさい」
私のため息を聞いたセバスチャンが、昨日から何度も聞いたセリフを繰り返す。昨日まで、いいえ、先ほどまで無視していたが今回はセバスチャンに向き直った。
「いいえ、あきらめません。私はまた日本にやってきます。そして、碧井さんを見つけて見せます」
その言葉を聞いたセバスチャンは、肩をすぼめただけだった。
碧井さん、必ず見つけて見せますから、また東京を案内してくださいね。
END
最終話までお付き合いいただきありがとうございます。
オリジナルとまったく違う結末(ボツにした複数のエンドとも違います)になりましたがいかがでしたでしょうか?
最後の最後にサラを少しだけ強くしてみました。作者としてはサラ王女に碧井君をぜひ見つけて欲しいです(笑
真琴ちゃんは、碧井君ともうちょっと深い関係にするつもりだったのですが、ただの相棒になってしまいました。
彼女も使い捨てにするにはもったいないキャラなので、気が向いたときにでも他の作品で登場させても見ようかと思ってます。
さて、またどこか別の世界の物語でお会いしたいと思います。本日はありがとうございました