第四話 王女と狼の協奏曲(コンチェルト)
私はたぶん幸運なのだろうと思う。ホテルを抜け出してすぐに、こんな親切の人に出会えたのだから。
碧井士郎さんという人はきりっとしたハンサムではない。なんというか時代劇に出てくる浪人のような印象だ。気だるげな雰囲気がそう感じさせるかもしれない。そしてまだ一時間ほどの付き合いだけど、とても優しい人だと言うこともわかる。だから、もう少し甘えてしまうことにした。
「あ、あの碧井さん」
「どうしました?」
「あの、お願いがあるのですがいいですか?」
「ええ、どんなことですか?」
不思議そうな顔をする碧井さん。
「腕を貸していただけませんか?」
「腕ですか?」
私は碧井さんと腕を組む。
「前から一度こうやって男の人と歩いてみたかったんです」
碧井さんは空いている左手で頬をぽりぽりと掻いた。どうもそれが碧井さんの照れたときの癖らしい。
「さあ、行きましょう」
私は組んだ碧井さんの腕を引っ張って歩き出した。本当に碧井さんのような人が恋人だったらいいのに…… 実際にはいろいろあって無理だけど、想うだけなら自由だから、今だけは……
「あっ、この映画、見てみたいです」
腕を組んでから、やたら上機嫌なサラが言った。タイミング的には後10分ほどで次の上映だ。
確かハリウッドの映画で、殺し屋が雇い主を裏切ってターゲットの女性を守り抜くといったストーリーだ。背中を嫌な汗が流れる。
「映画でいいの?」
動揺を隠しサラに聞いた。
「はい。シーリアってアメリカの映画はあまり入ってこないので」
にぱっと明るい笑顔で答えるサラ。この様子だと俺の正体がばれているわけではないようだ。
「では参りましょうか姫様」
少しだけおどけて言うとサラは笑顔で「はい」と答えたのだった。
夕暮れ時、俺とサラはお台場海浜公園まで足を伸ばしていた。
目の前には、急速に明るさを失っていく空をバックに、ライトアップされたレインボーブリッジが見える。
「きれい……」
「そうだな」
サラは俺と腕を組んだままレインボーブリッジを眺めている。周りには同じようにレインボーブリッジを眺めているカップルが何組か見える。
「もう時間が無いですね。でも帰りたくないです」
「……」
俺は何も答えなかった。サラをこのまま返すわけにはいかない。俺は殺し屋でサラの暗殺を受けている。数時間が彼女を葬るチャンスだろう。明日以降だと警備の厳しい中で実行しなければならない。
でも俺はサラを殺したくないと思い始めていた。彼女の進める民主化政策は、本当に国のためを思ってのことだろう。それを一握りの為政者のために彼女を殺してまで止めるようなことだろうか? こんな当たり前のデートコースでさえ、無邪気に喜んでくれる彼女の笑顔を壊してでも止めることだろうか?
俺は内心舌打ちした。考えるな。俺はプロの殺し屋、それだけだ。自分に言い聞かせる。いつのように銃を抜き、引き金を引けば――
「碧井さん?」
サラに呼ばれて現実に戻る。
「あっ、ごめん。考え事していた」
「ひどいです。私をほうっておいて何を考えていたのです?」
「うん。サラを返したくないなと思っていた」
そう言った俺を見て、サラの顔がオレンジ色に染まったのは夕日のせいだけではないはずだ。
今回もお付き合いありがとうございます。
デートもそろそろ終わりに近づきました。その果てに待つ結末は? と言っても短編をよんでくれた人にはバレバレですけどね。
次回は、第五話 王女と狼の遁走曲 でお会いしましょう。
たぶん明日の真夜中(23日未明)の更新になると思います)