04 ファン一号の勤め 後
ミーティングが終わると自分たちの部屋で持ってきたお菓子を開けて歓談したり、写真を撮り合ったりした。
就寝時間を過ぎるとさすがにみんな疲れていたのか、私を除く愛子と他のメンバーは早々に眠りに就いて、部屋はあっと言う間に暗い闇に落ちた。
普段と違う空間で寝る事に慣れていなかった私は、悶々とした気分でベッドに横なってやっぱりごろごろと寝返りを打つばかりで目が冴えていた。
どうにかして寝ようと思って気分転換に外の空気を吸うため、『カラカラ』と窓を開けて一人静かにバルコニーへ出た。
今更ながら合宿地としてはまぁ、最高……と言うべきか、相当な山奥に合宿施設があるから当然辺りにライトなんて一本も無くて、ただ満月の月明かりに照らされているだけだった。
夜闇の空気は思ったよりも冷え込んでいて、さっと冷たい風が私の頬をなでた。
するとその風に乗って、何かが弾む音が一緒に聞こえた。
きょろきょろと見回すと下の駐車場らしき場所で、白い何かが弾む影が浮かんでいた。
(幽霊……?)
一瞬だけ恐怖に腰が竦んでしまいそうになったけれど、よくよく眼を凝らして見ればと一人黙々と自主練に励んでいたアンブロ君だった。
「あ、いた」
ポツリつぶやくと颯爽と自分の部屋に戻り、冷えない様に上着を着込んで抜き足差し足で誰も起こさないように注意して部屋を出た。
廊下に出るとスリッパを脱いでペタペタと音が鳴らないように裸足になって、そのまま彼のいる場所へと慎重に向かった。
玄関に付くと自分の靴を履いて外に出た。
そして駐車場に着くと丁度テンテンテンと、ゴムが一定のリズムを刻む音が聞こえた。
近づけば近づくほどその音は鮮明になって来て、付け加えて彼が吐いているであろう短い小さな呼吸音も一緒になって鼓膜を揺さぶった。
「はっ…はっ…はっ…しっ!」
そこに着いてから真剣な眼差しでボールを目で追う彼の横顔をずっと見ていた。
ひんやりとした空気の中でもアンブロ君の額には汗が滲んでいて、そのまま五分ほど経過してもリフティングと呼ばれる動きは止まることはなかった。
回数は私がそこに到着して数え始めてから、軽く五〇〇回は越えているからきっと一〇〇〇回近く続けているんじゃないかと思う。
長い時間練習をしていても地面に落ちない、足に吸い付くようにボールを扱うその姿を脳裏に焼き付けていた。
「よっ」
短く軽くボールを甲で打ち上げてピタッと頭上で止めた時、アンブロ君がその時初めて私の方を見て目を見開いて驚いた反応をした。
「えっ」
「あ……」
テーンテーンテーンテンテンテテ……
彼の頭上から落ちたボールは地面の傾斜に沿ってそのまま転がっていこうとして、慌てて彼が足裏でトラップしてボールを止めた。
「ビックリした……」
「ご、ごめんなさい」
慌てて謝罪を告げると、彼は急いでTシャツの袖で額から噴き出す汗を拭っていた。
「あー……えっと、」
「驚かせてごめんなさい」
「……何やってんの?」
「へ?」
急に話を振られて、私はキョトンと彼を見つめると、彼は少し息を切らせたまま私を見ていた。
「もう、就寝時間、過ぎてるはずだけど」
「あ、うん」
「何やってんの?」
アンブロ君に再度同じことを聞かれて、今度はハッと我に返った。
「あ、えっと。ちょうど部屋から見えたから、衝動的に……かな?」
「衝動的?」
「うん。だって、秘密の特訓中なんでしょ?」
「は?」
「だったら、ファン一号としての務めは果たさないとな……て思って」
部屋からここまで何も考えずにやってきた私は、今考えられるすべての要因をつないで、言い訳がましいことを伝えていた。
ただアンブロ君が納得してくれるとは、非常に思わないけれど。
そう諦めるように私が視線を下に落とすと、高い位置から送られる彼の視線はそのまま何も言わなかった。
「じゃあ……、見てけば?」
でも、見つかった時は連帯責任な。
アンブロ君はただ私の言葉に微かに笑うだけで、その後は何も言わずにボールを蹴るのを再開し始めた。
夜の秘密特訓はその後三十分くらい続いた。
「ねぇ」
「ん~?」
私に話をかけられた彼はボールを蹴りあげると、軟らかいスポンジのようにボールをバウンドさせること無く頭に載せバランスを取った。
「フリーキック、だっけ?」
「……は?」
言われた単語を疑問形で返され、アンブロ君はボールを腕の中に納めて私と向き合った。
「入学式の日に、グラウンドにいたでしょ?」
「……ああ」
「その時に初めてボールが描く軌跡を見た」
「……キセキ?」
「うんうん。ボールがどうやってゴールに入っていくのか、スローモーションのように、こう、スーって」
ジェスチャーをしながら自分の拳が描く弧を目で追いながら、私は彼に告げた。
「……すごく、綺麗だった。めちゃくちゃ感動したの」
「そう」
得意気にかつ、少し照れたように、彼は左手でうなじを擦った。
そしてそのままボールを蹴ることなく私が座っている場所までやってきて、人一人分くらい離れて私の右隣に腰を下ろし空を見上げた。
それを目で追いながら一緒に夜空を眺めると、月の光で邪魔はされていたが綺麗な天の川が広がっていた。
「あのゴールを見て、君サッカー絶対巧いって確信した」
「へぇ……」
「だからみんなが噂してる、誰クンだっけかな? 名前忘れちゃったけど、絶対私はアンブロ君の方がサッカー巧いと思うなぁ」
「……アンブロ?」
「そう! だからアンブロ君には、噂の何チャラ君に負けないようにレギュラーとって、頑張って試合に出て欲しいなって」
「え? ……アンブロって俺?」
「……私、目をつけた人には絶対幸せになってもらいたいの。だから、頑張ってね」
私が一人言い切るとどこか置いていかれたような顔をしている彼が私の顔をじっと見ていた。だから、何も返事を返されないように「寒いからアンブロ君も早く寝てね? そろそろ先生たちの見周りの時間だと思うし」と早口で言い切り、一瞬だけ伸びをするとそのままあくびを小さく噛み殺して、スタスタともと来た道へ戻っていた。
その後ろ姿を頭の整理しきっていない彼が茫然と見送っているだけだった。
【2013.04.10~結合済】