41 キミの矛盾を(5)
「じゃぁ、献立を渡しておくわね。基本的に私と一緒に調理をするから、火の取り扱いとかは大丈夫だと思うんだけど、分からない事があったら、いつでも聞いてちょうだい?」
「分かりました。ありがとうございます」
部員達の練習が始まる頃、私は宏美さん(丹羽先生のお母さんで寮母さん)と合宿所の厨房にいた。
家から持参したエプロンの紐を結ぶと、献立とレシピをひと通り頭に入れて早速作業に取りかかった。
窓の外からは、練習場でトレーニングしている掛け声や笛の音が鳴っているのが聴こえる。
その音を聴いているだけで、なぜか自分も負けないように頑張らなくちゃと励まされる気がした。
「梓桜ちゃんが楽しそうに作業してくれるから、今年のご飯は美味しくなるわね!」
あの子たちも喜ぶわね、と宏美さんが鍋をかき混ぜながら笑みを含んだ声で言った。
「何もしなかったら、私、ただの足手まといじゃないですか」
苦笑を交えて返すと、彼女は心外だとばかりに声を上げた。
「そんな事無いわよ! 足手まといって言う子が居たら、私の鉄槌が飛ぶと期待してて良いわよ!」
宏美さんの言葉に、それはあのフィールドの外で黄色い声を上げる蝶々達にもでしょうか、とは口から出なくて良かったと密かに胸を撫で下ろした。
話している内に、強豪チームと呼ばれるためには環境も人材にも恵まれなくちゃ、と宏美さん今度は声を硬くして言ってのけた。自身の経験からか、または宏美さんのサッカー愛か、丹羽先生のプロ時代の活躍と言う名の息子自慢が飛び交った。
――その頃のグラウンドでは――……
「ヤベー、耕大」
「何」
走り込みの笛の音が続く中で、この世の終わりような眼をしながら声を発した。
「オレ、この合宿中で何回かコーチに殺される」
「は?」
意味不明なノリの言葉に、耕大が冷たく返事すると「だって」と言葉を続けながらキリッとした顔に、耕大は一瞬だけ嫌な予感がしたのか眉間に小さく皺を寄せた。
「練習きつくて死ぬ」
「知るか」
案の定と言わんばかりか、寸分の暇を与えずにツッコミが入れ、耕大は休憩を終えて歩いていく。
一方でノリは、耕大との付き合いが長いからこそ判る事で、短いやり取りの中に『いつもの耕大』が帰ってきたことを噛み締めていた。
この一ヵ月ほど待ち望んでいたやり取りだ。
耕大がインターハイに向けて調子を上げていく。
それは今この場にはいない“耕大のファン一号”のお陰なのは明らかだった。
……細かいことを言えば、中学の頃から耕大の技に惚れ、時を一緒に過ごしてきたノリこそ「翠田耕大のファン一号」だと豪語したい。
しかし“耕大のファン一号”は、本人が当初から「是」と認めたのは梓桜だけなのだ。耕大自身の自覚か無自覚か判断に苦しむ、と言う前置きがもれなく付くほど。
他人の惚れた腫れたには首を突っ込むどころか、興味すら覚えないノリだが、こと耕大に関しては、耕大ほどのプレーヤーを翻弄する“ファン一号”へ少しやきもちを焼いてしまいそうになる。
それをノリ自身の彼女へ話すと「まだまだ青いわね」と、笑われるのが目に見えているから話題にすることは無いが……。
無論、その“ファン一号”のここ数か月の反応を観察するに、耕大への気持ちを明らかにしたのは、直接当人から聞いたから知っている。
しかしあの耕大は自覚が足りないせいか、心意とは裏腹に「否」と言ったか、または“ファン一号”が早とちりをする程の何かがあったのか、避けられたことに悩み、それを引き金に調子を落とすし、ここ数週間の耕大はまるで恋患った少年であり、自分と同じなんだと思わせられた時間だった。
「耕大も早く自覚しちゃえば楽なのに……。早く気づけよな」
自分の気持ちに。
ノリのささやかな願いは、今耕大には聞こえないけれど、この合宿で多少の進展として叶うことになる。
「なあ、耕大」
「今度は何」
パス練の再開のホイッスルと共に軽く弾んだような声で問いかける。
「耕大は梓桜ちゃんのどこに惚れたの?」
「え、」
珍しくトラップを失敗し目を見張る耕大に、ついつい彼女にしか見せないノリの悪戯心がくすぐられる。
目の前の親友の進化をノリは楽しみたいだけなのだ。
言葉を詰まらせる耕大の返事を待ちながら、パスの往来が続く。
「それ以前に、それ何」
「ん?何が?」
わずかに不機嫌そうに、無愛想に無愛想な声を重ねて問いかけた。
ノリの返事に、その呼び方だよ、と指摘を入れたい顔をしたが野性的勘からか、その一言を告げると彼の何か面倒な部分に足を突っ込む様な予感がした。
一週間ほど前まで梓桜は耕大を避けていた。その間に梓桜とノリの二人が仲良くなるきっかけでもあったのか。
耕大のファン一号だと言うの自信に胡座をかいて、梓桜は耕大以外特別な存在は作らないのだと勝手に思い込んでいた。
確かにあの時、梓桜から好きだと告げられた。
でもあの時の耕大は、キャシーと父親の二人が一緒に居る場面を見たくない思いが頭を占めていて、梓桜から飛び出た言葉は、咄嗟に出たどこか不本意な印象を受けた。
体育大会の時、身体が勝手に動いて唇を触れ合わせたこともある。
その後も少しだけ避けられたが、梓桜は変わらずに接してくれているし、やはり彼女との距離は自分が一番近いのだと思っていた。
このモヤモヤを耕大がひとりで解消するのは難しい事だ。
今耕大の意識下で分かっている事とは、ノリが梓桜と親しそうにすることが嫌だと分かっているだけだ。
「ちゃん付けやめろ」
「え?呼び捨て良いの?」
「……」
「ほら、怒るじゃん」
今日の晩飯なんだろうなぁ〜、と呑気に喋り出すノリは、いじる事に興味が失せてきたのか、パスの速さに集中し出した。
いや、耕大が出すパスの回転や速度、足に届くまでの距離にだんだんと集中せざるを得無くなってきた。
「ホント、素直じゃねぇなー」
ノリの苦笑まじりの呟きは、ムカつきの原因を探す耕大へは聞こえることは無かった。