35 絡まる赤い糸 (8)
「……お異母兄様」
長い時間待ちわびていたと言わんばかりに、その人は皮肉を込めて私に言い放った。
「馴れ馴れしく人に付け入っていく媚びはお前の母親の十八番だったからな。お前がその血を受け継いでいても可笑しくは無い。……まぁ、それは母親だけではなかったな」
この時私はこの人がココにいる理由ばかりを考えていて、最後の言葉まできちんと聞いていなかった。
もし聴こえていたら別の私になっただろうか。
彼はあくまでも自分の立ち位置を変えない。
将来人の上に立つ所以がここにある。
佐倉一族は土地を治める為政者であり支配者である、と。
高飛車な考え方に私は付いていけそうにない。その点に関しては納得出来なくて、家を追い出されて清々した部分でもある。
今では水と油の如く、互いの妥協点も相容れる事も難しい関係になった。
存命の祖父に関しては、まだ話のわかる人と私の中では柔軟であるけれども。
上に立つ者のオーラを見せられると『佐倉一族』として自分の力の無さに惨めに思うことは少なくない。
でも母の事を見下げた彼の言い方に反撃をしたかった。
私の母はそのような人間では無い、と。でも現実幼くして亡くした母の事を私自身は何を知っている?
優しく笑う事、温かい手、時に厳しく叱られた事。その他は? 佐倉の女としての母は?
私は何も知らない。知ろうとしなかった。
「……ッ!」
私はただ黙って、両手の拳を強く握り返す。そして冷静な自分を取り戻そうと細く深呼吸を繰り返した。
「成聖にいらっしゃるとは珍しいですね」
気を取り直して声を出すと、彼はそれまで嘲笑っていた顔を明らかに歪め、眉間に皺を寄せてこちらを睨み付けた。
「フンッ。身から出た錆を尻拭いしに行くだけだ」
明らかに機嫌が悪い事を前面に押し出して、彼は私の横を通り過ぎながら言った。
見えなくなる背中を目で追いながら、質問に対しての答えをかわされ、結局何しに成聖に来たのかを理解するには情報不足だった。
丹羽家に用意された自分の部屋に辿り着くと、堅苦しいブレザーとネクタイを取り払いそのままベッドに倒れ込んだ。
正直、佐倉と接するだけでも精神的に疲れてくる。よりにもよって二日続けて、小さい頃から苦手意識を持っている異母兄の友利との対面だ。
彼は本家に居た時も顔を突き合わせるたびに心を刺すような言葉を私に浴びせて来た。
佐倉の跡継ぎとしての資質を持ってはいるが、人間としては一生分かり合えないだろうと思う。
ある意味諦めを込めて大きく溜息を枕に吹き込んでから、汗と共に気持ちをスッキリさせようとバスセットを持って脱衣所へ向かった。
「香奈さん、お風呂いただきまーす」
「はーい、どうぞー」
階段を下りて鼻唄を歌いながら何事も無く脱衣所のドアを開けようとノブに手を置いた時だった。
ガチャッ
手を置いただけで開かれる扉。
いくら丹羽先生が現役時代にプロとして稼いで建てたマンション基い、寮だったとしても脱衣所の扉が自動的に開く最新式であるはずは無い。
ましてや自宅で。
「「……」」
贅肉なんて知らない身体。
無駄なくしなやかに筋肉が身体を覆ってはいるものの、骨格はまだまだ成長段階。
すらりとした長い手足。
電灯に照らされつつもよく分かるきれいな栗色の髪。
もうそれだけで逆光になって顔が見えなくても解る。
「………し、お?」
いくら表情が乏しくても驚いていると解るくらい、恋焦がれているあなたが私の名前を呼んだ。
「こ、こ、」
非常事態なのか、否か。
この時の私は思考回路が混乱で完全にシャットダウンして、口を魚のようにパクパクさせる非常に滑稽な姿を晒していた。