29 絡まる赤い糸 (2)
正直、平常心では居られなかった。
思い出したく無い過去がフラッシュバックして堪えられなかった。
中二の時――。
中学の体育祭で同じ応援団になった先輩と仲良くなった。連絡先を交換して、毎日のようにやり取りしたり、休みの日に一緒に遊びに行ったりする仲だった。
周りからカッコいいと言われていた人だった。
そして、先輩のセンパイと付き合っていることも知っていた。
けど、距離が近づけば近づくほど、何故か惹き付けられるのを感じていた。
仲良くなった理由で、廊下で声をかけてもらったり、すれ違うときは手を振ったり、放課後に課題を手伝ってもらったり。
周りから「付き合ってるでしょ?」と囃し立てられて、笑って否定しつつも内心では優越感に浸っていた。
好きと言う感情を必死に隠しても溢れ出る事は仕方ない。周りには私の気持ちなんて結局バレていたのだから。
態度に現れたのか、ある日突然続いていたメールが途切れて、鋭い刃物を突き付けられたような『迷惑』の文字が送られてきた。
心臓が音をたてた。
頭のてっぺんから血の気が引いていく感覚。
優しさ溢れる笑顔の裏に隠れた、先輩の本音の態度に恐怖した。好きで居させてもくれない『完璧なる拒絶』を。
人は人から真正面に存在を否定されると、どうしようもない悲しみに襲われる。怒りが込み上げる。そして嘆き、また悲しむ。ぐるぐると繰り返して、「どうして自分が!」と昇華する。
客観的に考えて、なんて自分は周りが見えていなかったんだとアホらしく思えて、それ以降廊下で会っても、頭も下げる事も視線を合わせる事も無くなった。
自分で持て余す感情を消し去っていった。
しばらくして先輩が卒業し、気持ちも薄くなり始めた頃。
親友から一緒に課題をしないかと誘われて、二つ返事で了承した。家に居たくなくてちょうど良い気分転換だと、滅多に無い誘いに気持ちが弾んだ。
でも、待ち合わせ場所へと行くと、目の前に座る親友と………先輩。
なぜ――?
頭を駆け巡る二文字と、二人を包む違和感。
知らない二人だけの話題、知らない二人だけの話し方。
少し前まで彼女は私の一喜一憂を隣で見ていたはずなのに。――親友が。親友だと思っていた。
フタリガ 付キ合ッテルンダ――。
いつからなのだろうか。私が思い上がっていた裏で笑って居たのだろうか。繋がらないはずの糸が裏で繋がっていた事に、この時になってやっと気が付いた。
そして、相手から送られる見え隠れする優越の視線と、罪悪感めいた視線が突き刺さる。
納得してはいけなかったかもしれない。自分が一気に惨めに思えた。羞恥心に揺さぶられた。知らない振りをしていた方が良かったかもしれない。バカにしているのかと怒鳴ってやれば良ったのか、私自身のプライドに深く深く傷が付いた事は明らかだった。
現実に押し潰されそうになりながらも、私は大人ぶって平気な振りをして嘘付いた。強がって見せた。寛容な人間を演じて見せた。
そして、振り返る。私は誰に恋をしていたんだろう? 演じる事で、本当の自分の感情が見えなくなった。蓋をした。それから私の心も黒く染まって――――壊れた。
ベッドに頭からダイブして、内に秘めるもう一人の自分とムシャクシャする気持ちをどこかへ追いやりたかった。
私が耕大君を好きでいるから嫉妬する。
ずっと永遠に。
この気持ちが変化する事はあるんだろうか。いつか忘れ去って思い出に変わったりするんだろうか。
私が耕大君を忘れる日なんて想像がつかない。でももう少しで夏休みだ。休みの間に気持ちを整理して新しい自分で彼と接しよう。
そう決意したにも関わらず、脆い意思は簡単に揺れ動くのだ。
翌日、いつも朝礼の30分前に教室に着く。登校して教室に入ると、居るはずのクラスメイトが誰も居らず、驚きの余り自分の腕時計に目を凝らした。
時計が指すのは、七時五十三分、木曜日。
恐る恐る教室の中へ入ると、やはり机にバッグは掛けてあって登校して居るらしい。
それとも昨日の試合が終わった後、ロング朝礼に変わると変更があったのか。不思議に思って、連絡掲示板に目をやっても、変更連絡は書かれていなかった。
自分の机にバッグを置いて、ついいつもの癖で外に視線を向けてこの不思議な現象をやっと理解した。
――サッカー部が朝練している場所に沿って集まる黒い影。
窓を開けて様子を伺うと、クラスメイトの顔と聞き慣れた声、そして、練習を見て沸き上がる応援の声。
『翠田くーん!』
『スミダー!』
『キャー! 鷺沼センパイ、カッコいいーっ!』
『森さん、ファイトー!』
『エイちゃーん! ガンバレー!』
明らかに今までと応援している人の数が違った。
きっと昨日の試合のせいだろう。みんな、サッカー部が練習をしている脇のフェンスに張り付いて、食い入るように見ていた。
私以外にも耕大くんのファンは増えている。
その証拠に耕大くんがパスを受け取ると、プレーの一つ一つを見逃さないように視線が彼を追っていた。
耕大くんのプレーは華麗だ。
ボールが足にくっついているように見える。まるでダンスを踊っている様なドリブルテクニックと人を欺けるほどの柔らかくてレベルの高いボールコントロール力には、一度魅入ればもう置いてきぼりにされる。
三六〇度全てが見えているかのように、甲で転がしてあった筈のボールはヒールキックでパスされ、足裏でキープされていた筈のボールは、一瞬の隙をついて足の内外側でキックパスをされ、どんなに粘り強くマークに付いても突破されてしまう。
驚異を誇るボールのキープ力に、誰もが度肝を抜かれそして釘付けにならざるを得ない。
「……私だけじゃ無くなったね」
呟いた声が聞こえたかのように、パスを見送って汗を拭った耕大くんがこちらに視線を向けた。
久しぶりに対面を果たしたけれど、付けられたエアコンが効き始めて、窓を閉めて背を向けた。
廊下からは愛子たちの話し声がする。ちょうど良いから、たまには出迎えをしよう。昨日の試合の事で盛り上がるかもしれない。でも昨日ほど心が乱れ、黒い心がにじみ出る様な感覚では無かった。
ガラッ
「あはは!」
「おはよー、梓桜」
「あ、梓桜ちゃん来てる! おはよう!」
「おはよう。ともちゃん朝から元気だねー」
「昨日の試合でうちのサッカー部の強さに超興奮しちゃって! んもー、スンゴイはまっちゃったかも!」
テンション高く、喋り出す難波友美の話しに相槌を打って聞いていた。
逆に隣に来た愛子はもうすでに苦笑いをした顔をしていて、どうしたのかと顔を覗き込んでみた。
「……愛子、どうかした? 体調悪い?」
「ううん、あたしは何とも無いんだけど……」
言葉を濁した言い方に首を傾げて見せる。言葉を続けるように施してみても愛子は気まずそうにしているだけだった。
「あ、梓桜ちゃんは知ってるー? E組の翠田君、A組の小菅さんと付き合っむごごご!」
告げられた言葉に頭から冷や水をかぶった感覚だった。
「ちょ、ちょっと!」
焦っている愛子を見て、動きを止めてしまった。
付き合ってる。
そう友ちゃんが言った気がする。
「それはあくまでも噂でしょ?」
「えー、でも昨日二人が肩抱き合って歩いてるの、愛子も一緒に見たじゃーん」
「だからって、付き合ってるって言えないじゃん。勝手な憶測はじゃん」
「ねーねー、梓桜ちゃんは知ってる?」
何なんだろう?
急展開に考える事を止めた。
またなの? どんだけ思い上がりの滑稽な奴なんだろう、私は。
「………ううん、初めて。はじめて、聞いたよ。その、ウワサ」
耕大くんの内側にある彼女が占める領域にすら立っていなかった。
愛子が何か言いたそうに見つめていたけれど、振り返る余裕も無くて自分の席に向かった。
窓の外の朝練は終わっていて、綺麗に片付けられている。
自分の頭の中も綺麗に片付けられたら良いのに。
今の自分の醜さに涙が浮かんで視界を歪ませた。