02 ファン一号の勤め 前
河原で出会ったアンブロ君――名前を聞き忘れたので、彼が肩から掛けていたバックから命名――と別れて、私は自分のクラスを確認するとそのまま教室へと向かった。
「彼、何組になったのかな……?」
名ばかりの同盟で繋がっていても、やはり出会ったが縁の始まり。高校で初めての友達いや人生で初の男友達になった?のもあり、クラスはどこなのか気になったのもある。
廊下には、新しい制服、新しい教室、新しいメンバーでどこか期待を寄せたようなざわめきを帯びていた。
周りを見ると高校デビューとばかりに、ブレザーの特徴を生かして制服を着崩したり、髪を染めたり、ピアスを開けたり、化粧をしているためか、中学の頃と比べて多少大人っぽい人が多い印象を受けた。
私もスカートの裾を膝上十五センチほどまで曲げて、紺のソックスの出で立ちだった。ただし髪の毛はロングではあるが、いまどき珍しくまだ真っ黒だ。
その黒い髪を風に靡かせながら窓の外に目をやると、先ほどまで二人でいた場所がすぐそこにあることに気がついた。ついさっきの出来事とは言え、今一人いる心細さに少しため息をついた。
教室の前に着くと自分の座席表を確認して、まっすぐ机に向かった。
運が良いことに、私の席はグラウンドがよく見える窓側の一番後ろだった。
片肩にかけていたバックを机の上に置くと、入学式に備えて思い出した作業をしようとバックの中身を探し始めた時だった。
「あ。後ろの席の人?」
前の席らしい女生徒の声が右隣に聞こえた。そちらを向くと今どきの高校生らしい格好をした茶髪の女生徒がいた。
思わず見いっていると彼女は近くまで歩いて来て、私の前に立ちにっこりと笑みを浮かべて手を差し出した。
「あたし、後藤愛子ね。愛子って気軽に呼んで。あなたの前の席なんだ。よろしくね」
「あ、私は佐倉。佐倉梓桜。私も梓桜って呼んで良いよ。よろしく」
私は愛子の手をとって握手を交わすと、その流れで席に座って話し始めた。
「へー。梓に桜って書いて、『しお』って読むんだ。珍しいわね」
「ああ、うん。最初は誰も読めないから良く戸惑われるんだけど」
「それにしても、あなた初めて見たかも。この高校ってだいたい同中が集まるから、あたしの顔見知りばっかり。梓桜はどこ中だったの?」
「ああ、それ。私、中学は私立だったからそれで見たこと無いんだと思う」
「へぇ! もしかして、お嬢様とか?」
「えー? そんな大層な身分じゃないよ」
私が苦笑しながら愛子に返事をした時だった。
「あ、愛子っ! ここに居やがったな!」
「ホントだぁ~! もぉー、朝からすんごい探したんだよぉ~」
ドアから慌てたように男子生徒と女子生徒の二人が、こちらに向かって走ってきているのが眼の端に映った。
二人とも愛子を呼びながら、息を切らして駆け寄り机の前で足を止めた。
「あれ? 守山と菫じゃん。どうしたの、二人とも大声なんか上げちゃって?」
愛子は二人を見て不思議そうな眼を向けて言った。
「どうしたも、こうしたもないよぉ~。スクープスクープ!」
「?」
「聞いて驚け! なんと、同じ学年に怪物が居やがったんだよ!」
「……はい?」
「スミダだよ、スミダ コウタっ!」
「……誰それ?」
二人の興奮具合とは相反して、愛子は頭を捻り聞き返した。
すると二人は、信じられないものを見たかのように驚愕の目をして大きく息を吸った。
「はあ!? お前、サッカーファンなら知ってて当然だろっ!?」
「そうだよ、愛子っ! 十五歳以下日本代表の十番! その人が成聖に入学してたんだって!」
「……ええ~!? ウソでしょ~っ!?」
私はきょとんとしながら頭上で繰り広げられる三人のやり取りを眺めていた。
見ず知らずの二人が話す内容にちっとも付いていけないのはもちろんのこと、どんどんヒートアップしていく彼らの話に、私が入って行くのは無理と思って、彼らを尻目に横の窓からグラウンドに視線を移した。
すると教室に集合すべき時間はとっくに来ているはずなのに、ひとりの制服姿の男子がサッカーゴールを前に立っていることに気がついた。
よく目を凝らして確認した瞬間、「あ、」と周りには聞こえないくらい小さく声を漏らした。
それは、先ほど一緒にいた「アンブロの彼」だったからだ。
ゴールからだいぶ距離があるだろうか?
彼の近くにはさっきも目にした黒メインで、赤くUMBROと書かれているエナメルのバックが置かれ、足元にはサッカーボールがあった。
アンブロの彼はその場に仁王立ちをして、じっと白枠のゴールを睨みつけていた。
そして二、三歩ボールから距離を置き、すすっと、彼がボールに駆け寄っていった次の瞬間信じられないものを目にしていた。
蹴った瞬間、遠くに蒼の声援の中にいる彼の幻を見た気がした――。
彼が蹴ったボールは、最初ググッと回転を効かせて弧を描いていた。
ボールが弧の頂点に来た瞬間、ボールは急に回転を止め、スピードを変えながらゴールに吸い込まれていく。
その素晴らしい光景を教室から見ていたのは、私ただ一人だった……はず。
今までテレビの中継でしか見て来なかった光景が眼前にあり、生のフリーキックの軌跡を食い入るようにゴクリと咽喉を鳴らして見入った。
(すごい……)
ただ、その一言しか出なかった。
じっと窓から、彼が放つフリーキックを眺めていると何か視線を感じたのか、彼がふとこちらに顔を向けた。
アンブロ君が気づいたのか、こちらへ左手を軽く挙げて挨拶した気がした。
窓越しから手を振って応えると、彼はまた頷いて見せた。
(目、良いんだ……)
感心しながら愛子たちが盛り上がる脇でひっそりと彼を観察し、ファン一号としての役目を果たすことにしようと思った時だった。
頃合いを見計らったかのように、急に教室の扉が音を立てて開かれた。
私はアンブロの彼から視線を外し音の下の方に目を向けると、そこには無精ひげを生やしスーツを着崩した男性が教室に入ってきていた。
「おらぁー、時間だぞ、席に着けぇ」
何ともだるそうな声をして教壇に立つと、教室で喋っていた生徒は何事かと思いつつもそれぞれ自分の席についた。
今まで愛子と話していた守山、菫、と呼ばれていた二人も愛子に短く何かを言うと自分たちも教室へと戻って行ったみたいだ。
「まずはこれから入学式の諸注意を生徒会の方から説明してもらうのでよく聞いておけよ。それから、佐倉。佐倉梓桜はどこだ?」
男性が教室をざっと見まわしている時に、私は短く返事をして手を挙げた。
「おお、そっちか。ちょっと今から職員室の方に来てくれるか?」
そう言われると愛子はこちらを気遣うような目線を向けて来たが、思い当たる節もあり、心配ないというように少し微笑んでみせた。
歩きだす前に、ちらっと横目でアンブロ君の姿を探したけど、さすがに彼も教室に向かった様子だった。
足元に置いてあったエナメルのバックも無く、眼下には静寂なグラウンドがあるだけだった。
(もうちょっと見たかったなぁ……)
心の中でぼそりと呟いて、男性に続くように歩きだした。
職員室に着くと予想していた通り、応接席のようなところに通されて、そこにどっしりと座っていた中年の男性と対面した。
「佐倉梓桜さんですね?」
「はい」
見た目とはかなり違った丁寧な言葉遣いが、中年の男性から言われた。
「一-Fの佐倉梓桜です」
「さ、お掛け下さい」
「失礼します」
私が通された部屋は重厚な雰囲気で、通されたソファはとてもふかふかと体を包み込むように沈み、座り心地は抜群だった。
「さて、……依頼していたものはどうかな?」
「はい、こちらです」
中年の男性に催促されて差し出したのは、白の便せんに入れられた挨拶文だった。
彼はそれを嬉しそうに手にとって、ニコニコとしながらそれを読み進めていく。
「うん。素晴らしいね。入学試験で素晴らしい成績を収めた君には、ぜひともわが校で博学篤志を心がけ、修己治人になることを願います」
「……努力します」
言葉を交わしたのはたった片手で数え切れるほどなのに、なんだか面談でどっと疲れた気がした。
そんな私をここまで連れてきた男性教諭は何が可笑しいのか、クスクスと笑いながら私を見ていた。
「ご苦労だったな」
「……いえ。見た目と言葉遣いのギャップに驚きましたけど、やっぱり人は見た目通りなんだなってことに驚かされた瞬間ですね」
「ははっ! 言うなぁ、お前も」
博学篤志に修己知人
この二つの四字熟語はきっとこの学校が目指す、教科書の勉強ができる「おりこうさん」の事を指すんだろうなあー……なんて。
私は重いため息をついて春の陽気が進んだ廊下を歩いていた。